わたしが性格研究で見つけたこと

(以下、わたし(当研究室室長)の四半世紀にわたる性格研究において、地球を観察した結果たどり着いたことを、少し記載したいと思います。)

この世の仕組みとは?
人間とは?
自分とは?

これらの問いに対し、突き詰めずに、答えが出ないままに今回のライフを終えていく人がほとんどであろう。
そもそもそこに興味のない人すらいるだろう。

でも、
この世の仕組みを知らずに生きる。
人間とは何かを知らずに生きる。
自分とはどんな人かを知らずに生きる。

というのは、例えばゲームにおいて、ゲーム全体の設定や、動かしているキャラクターの設定、そのキャラクターの持っている武器や弱点を知らずに戦うようなものだ。

この10数年、世間では「自分探し」が流行ってみたり、しばらく経つと
自分探しを続ける人を揶揄する風潮になったりした。

うまくいかない人も少なからずいる事実も踏まえ、
探し方には問題があるかもしれないが、
この世の仕組みや自分についてを追求したいと思う発想は、
前述のゲームの例の通り、至極当然である。

筆者も同様であった。
そして事実、そこがわかった今、今回のライフというステージは楽々進めるようになった。

のちにもっと体系的にまとめていくが、
まずは、今のベストで書き綴っていこうと思う。

これについて、理解を深めるためには、理論を熟読することだけでなく、
現実の生活の中で研究していくことと、自分を本来の自分にチューニングしていくことを併せて実践することが大切である。

チューニングの方法については別(noteにおいては別マガジン)にまとめるのでそちらを参照してほしい。

さて。

肉体において、生命に即直結するのは「循環」だ。
経済においても、景気においても、健全であるかどうかは「循環」の状態が鍵である。
そして、大自然も知っての通り、循環している。

巡りが悪くなる、滞ると具合が悪くなるのだ、何事も。

人間が普通に考えると、「良い」と思う状態がずーっと続く方が良いじゃないか。

でも「一部」や「個」が良いと思う状態が全体にとって良いかといえばそうではないこともある。いや、そうではないことの方が多い。

例えば、良い悪いではないけれど、桜の花見ができるのは1年のうちわずか1週間くらいであり、人は「ずーっと咲いていてくれたらいいのに」、と思うけれど、

開花は桜の木にとって生命活動の一部でしかない。
桜にとっては実を結んだり、葉を茂らせたりしつつ、子孫を増やしたり枝を伸ばしたりしていくことと同じく、一つの過程に過ぎないのだ。

我々人間は、毎年開花が見たければ、残りの360日を含めて何サイクルも、桜の木を保護していくしかないのである。

この「循環」の大切さは、ちょっと前の流行りのSDGsとか、LOHASとかいうのにも、大体は捕らえられている。

でもなぜそれが、結局根本解決に結びついてきていないかというと、
「循環」を全く表現(※)できていないサービスや商品の「宣伝のため」、
「その会社のイメージ戦略のため」だけにその冠だけ被せているからだ。

持続可能かどうか。それはその循環が、地球の仕組みと合致しているかどうか、だ。

この地球の仕組みのコアは「陰陽の循環」である。

論を進める。

陰陽とは何か。

この記述においては

相対的に
小さなもの」「たくさんあるもの」を「陰」
「大きなもの」「希少なもの」を「陽」

と定義する。

そして、陽は陰をギュッと押し固めたものである。

つまり、陰は陽の材料である。

陽は明るい、あったかい、 陰は冷たい、暗い

そんなイメージがあるかもしれないが、それは他面的な特徴の一つであり、本質ではない。

本質は、上記の定義の通りである。

この記述における陰陽の循環の定義は、

押し固めては壊して材料に戻す、また作りたいものを作るために、材料である陰を押し固める

という、この「集中(圧縮)」「拡大・拡散(分解)」のサイクルのことを指す。

桜の木を例に挙げると、葉や花や実という陽を生み出すために、水や光や土中の養分という陰がぎゅーっと圧縮されて枝に集中する。

そこからパーっと芽吹いて葉が育ち、やがて葉が落ちる
パーっと花が開いて、散る。
葉や、結実した実は、動物や虫に食べられ、分解される。

桜はこうして動物や虫の養分となるがその動物や虫もまた、死した後分解され、土に還り、また何ものかになっていく。

こういう仕組みになっているのである。

この世の全ては、一つの例外もなく、この陰陽循環の法則で成り立っている。

我々人間は基本、陽を好む生き物であるが、
それは、好んでいるというか、

習性的に「好んじゃっている」のである。

陽から陰への流れは、無意識的にほっと言っても勝手になっていくものであるが、陰から陽への流れは意識の集中がなければ起こらないからである。

我々人間を「考える葦」と表現したのはフランスの哲学者パスカルであるが、

我々の思考する=「知性」という特徴に大きく影響するのは「意志」という力である。
これが意識の集中を起こし、そこに「陽」が生まれていくのである。

このように、知性を持つ我々は生まれながらにして「陽」を好むように作られており、その逆の「陰」を忌み嫌ってしまうようにも作られてしまっている。

しかしどんなに忌み嫌っても、法則上、必ず陰は起きる。
そして法則上、陽よりも陰の方がはるかにたくさんある。
(小さな陰の積み重ねが陽だからである)

こんなに当たり前にある陰をどうしようもなく忌み嫌っちゃうことを、

「だって嫌なものは嫌なんだもの、仕方ない」

と、ただただその感覚のままに、「陽」を礼賛し、陽を作り出す、つまりクリエイティブなことのみが賞賛され評価されるというフォーマットが少なくとも近代以降何百年と続いている現状がある。

だけど、陽は材料である陰がなければ絶対に成り立たない。
そして陰は基本、素粒子の他は限りある資源か陽を分解したものだ。

我々は習性として、陽の分解を忌み嫌い、恐れるが、
知性を使って現実的に考えるならば、材料には必ず限界がある。
自国になければ他国、自分の星になくなれば他の星に、と、

外へ外へと求めると考えがちだが、どうしたって最後はなくなるのは
現代経済を考えてみても想像に難くないだろう。

でも何かを使える形に分解すれば、次の陽の材料になる。
欲しい未来の雛形を作り、そこに陰を詰めて圧縮していくことで新しい陽ができる。

デザインを「クリエイトだけ」で終わらせない、
分解までをも「当たり前に」デザインに組み入れていくことができるか。

ここに、新しい文明の切り口がある。

陰を実態通りに、正しく理解すること。
陰の再評価

これが起きることを筆者は願ってやまない。

実態通りに、というのはとても重要で、良い面にだけフォーカスしたり、
美化したり、ということならしないほうがマシで。

正確に理解し、実態に即した評価をし直すこと

が大事なのである。そうでないと、結局私たちはこの先も
「悩み続ける」しかないからだ。

今まで忌み嫌ってきた陰を理解し、受け入れる。
なんなら積極的に陰を促進させる、より良質な陰を生み出すことに
意識を向けることで、

陰陽循環がスムーズになる。

そして、陰の流れなのに抵抗したり、陰になり切ってないのに使えない陰を陽に無理やり固めようとしたりするなど、今まで無駄に使ってきたエネルギーを、

有効活用できるようになるからである。

これは、単に物質的なことだけではない。

私たちの「心」のカテゴリももちろん、同じ仕組み上で循環している。
「心」は基本「陰」だ。

ちなみに人間は陰陽両面を併せ持つが、男性は陽傾向が帯びがちで、女性は陰傾向を帯びがちだ。

砂は陰で、砂の城は陽だ。

子供は陽で、大人は陰。

女王蟻は陽、その他働き蟻たちは陰

分解者は陰の担い手なので、人に嫌われるカラスやネズミ、ゴキブリ、菌類、ミミズなどは全て陰

自分の家の子は陽で、どこかの小学校の校庭で遊んでいる子供たちは陰だ。

こんな風に、物事全ては陰陽で捉えることができるが、
あらゆる事象を陰陽で表現できるようになることが、
陰陽Adv.の理解度に比例していくので、日々鍛錬してほしい。

そして、この地球の仕組み=陰陽循環について、当たり前のことと受け入れられるかどうか。

このルールは絶対変えられないものとして、
このルールを如何に多角的に深く理解することは、

この地球で、いずれ絶対に陰に分解される肉体を持った「自分」として今回のライフを充実させるために大きな助けになるのだ。

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