【日本史#05】飛鳥時代2 - 大化の改新【歴史】
聖徳太子は仏教を進め奈良に法隆寺を建設しました。当時の国は仏教推進派の蘇我氏と仏教反対派の物部氏が争っていました。
結局、物部氏が倒され、蘇我氏が徐々に勢力を増します。
推古天皇と聖徳太子が亡くなる
この二人がいなくなり、蘇我氏の天下となります。
蘇我馬子が何人もの娘を天皇の妃とし、天皇家の血縁を結びます。
親子関係は
蘇我馬子 - 蘇我蝦夷(えみし) - 蘇我入鹿(いるか)
馬子の孫の蘇我入鹿に聖徳太子の一族は滅ぼされ、蘇我蝦夷と蘇我入鹿がやりたい放題でした。
大化の改新
それをよく思わなかったのが中大兄皇子で、力のあった中臣鎌足と協力して、まず蘇我入鹿を暗殺しようと綿密に話し合いをします。
そして、それを天皇を前にしながら決行しようとします。しかし、暗殺者が蘇我入鹿を前にして直前にビビり、それを見かねた中大兄皇子自身が天皇の前で蘇我入鹿を倒します。
それを知った蘇我入鹿の父の蘇我蝦夷は自ら命を絶ち、日本は落ち着きを取り戻します。
貴族が力を付けて天皇を疎かにしてしまった過ちを繰り返さない為に
645年に天皇を中心とした国とするべく中大兄皇子と中臣鎌足が大化の改新の政治を始めます。
公地公民と班田収授法
全ての土地と人々は天皇のものとした公地公民の制度と農民は口分田が与えられて、収穫した一定の農作物を朝廷に税として納める班田収授法を実施します。
新しい天皇
大化の改新で本来なら中大兄皇子が天皇になることが相応しいはずですが、本人は自分が天皇になりたかったから蘇我氏を討ったと人民に思われたくないと懇願し、別の人が天皇となりました。
次の記事の飛鳥時代3は中大兄皇子も天皇になります。
都を大阪の難波(なにわ)に移し、政治をするも上手くいきません。再び奈良に戻します。
百済が滅ぼされる
660年、仲の良かった百済が唐と新羅の連合に攻撃を受け、日本も援軍を送りますが及ばず、滅ぼされてしまいます。
唐の攻撃が日本にも来るのではないかと恐怖し、都を滋賀の琵琶湖の近くの大津へ移します。
この時期は都の位置が安定しないですね(;'∀')
また、中国からの攻撃に備えて、九州に恐らく普通の人を兵として配置する防人(さきもり)の制度を導入しました。
ここで少し休憩ヾ(*´∀`*)ノ
中大兄皇子と中臣鎌足は悪者だった!?
大化の改新って正義っぽくて、かっこ良いですよね!
しかし、色々な資料を読むと中大兄皇子らが悪者のように書かれている書物もあります。
そもそも天皇の前で権力者を討っているので印象がよくない。下記の知恵袋に詳しい方がいたので興味のある方は是非。
確認問題
聖徳太子が建てた奈良の有名なお寺は何
中大兄皇子が天皇の前で討った人の名前は
土地と人々は天皇のものとした制度の名前は
口分田を与えられて収穫したらそれを一部、納税しなければならない法は
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