ピアノさえあれば彼氏はいなくてもいいと本気で思っている話
昔務めていた会社で、週に一度、社員が変わり番子に自分の好きなものを紹介するという朝ミーティングをやっていた時期がありました。
定められた20分間で、学生時代にやっていた研究、本気でプロを目指してバンド活動していた過去、面白いと思った本の紹介など、皆さんプレゼンする内容は様々。
ある日、ついに私の番が来て...
20分じゃ足りないくらい、自分の音楽に対する愛を事細かに語り、さらには「こういう情熱に溢れる音楽に共感するんです」とYouTubeで好きな演奏の動画を流し、あぁこれよこれ!と、1人音楽に涙ぐみながら、胸熱く語ったものです。が。。。
ふと皆を見渡してみると、戸惑いに満ちた表情...質疑応答タイムも、誰からも質問がないまま、上司からは「本当に音楽が好きなんだね」というコメントをもらって、終了したのでした。
あれ以来、音楽に対する情熱を他者に語る事は無かろうと思っていたのですが、いい機会なのでnoteに残してみようと思います。
ピアノは永遠の友
ピアノは母が弾く関係で、私が産まれた時から家にありました。
どんな物でも「本物に触れさせたい」と考えていた母は、私が興味を示せばピアノを触らせてくれたので、3〜4歳の頃にはドヤ顔でピアノをバンバン鳴らし、母の真似をして楽譜をめくり、たまに大人の方をかえりみては拍手を求める子供に成長していたようです。
実際にピアノを習い出したのは5歳の頃...
最初は母が教えようとしたらしいのですが、親子間の良好な関係を保つため、すぐ他に先生を探してくれました。
(普段の練習はちゃんとやらないと、すぐに背後に現れます...)
習い始めてから、好きで毎日1時間は練習し、気がつけば高校を卒業していました。
あんまりピアノが好きなんで、母は私を音楽学校に行かせる準備もあったようなのですが、私はと言うと、「音楽じゃ食べてくの難しいから趣味でいい」とバッサリ。
実はその時期に流行っていた前世占いで、「前世は食べていけずに餓死した音楽家」とあったので、そう答えたんですけどね。
まさか人生の進路を左右してしまうとは、無料占いも侮れません。(親には言えない)
趣味でも、真面目に先生に習わせてくれて、先生の先生がアメリカから来た時も大枚はたいてレッスン受けさせてくれて、両親にはとても感謝しています。
悲しいときも、嬉しいときも、怒っているときも、ピアノはずっと側に居て、私の話を聞いてくれました。
音を奏でれば、必ず音色で返事をしてくれる。
悲しいときは一緒に悲しんでくれて、嬉しい時はピアノも喜んでくれて、怒っているときは共に怒り狂ってくれる。(自分で弾いているから当たり前なんだけど。)
ピアノはずっと、今でも私の1番の友人です。
数百年前の作曲家と交流するのが楽しい
私が習っているのはクラシックピアノなので、普段弾いている楽譜はだいぶ昔に音楽家が残したもの。
楽譜には、音の強弱や演奏する速度、雰囲気(生き生きと、とか、情熱的に、とか)、そういったものが記されているのですが、これは楽譜が残されていく過程で、後世の人が演奏の解釈の仕方として足していったものが多いそうです。
なので、同じ曲の楽譜にも違うバージョンがあるし、演奏家によって曲の雰囲気、弾き方が変わったりします。
私、気に入った曲は、毎日でも飽きずに弾くのですが、ある時から「あ、ここの部分はこういう風に弾くのがしっくりくる」という感覚が芽生えるようになりました。
今までは、譜面通りに弾いていたのが、ある時から、「音が弾き方を教えてくれる」ことに気づいたんです。(え?気のせいじゃないよね?)
なんでここでこういう和音に変わるのか、どうしてここは少しゆっくり弾くのか、なんか、それがあるべき姿だからそうなんだ〜って、妙に納得しました。
何とかって彫刻家は、「私が彫っているのではない。ただそれがあるべき姿を還元しているだけ(いらない部分を削りとっているだけ)」というような意味の名言を残していると聞いたことがあるのですが、そんな感じかなと。
で、やっぱり、作曲家によって「あるべき姿」は違うようです。
私個人の感覚ですが、モーツァルトの曲は精巧な人工物、カラフルで美しい陶器製の置物みたいなイメージ。
ショパンはとにかく壮大な景色っぽい曲が多くて、私が気に入ってるのは、波の穏やかな大きな湖を、雲一つない満月が照らしているイメージの曲。
最愛の作曲家はベートーヴェンなのですが、ベートーヴェンの曲は「生命」そのものを感じる曲が多いです。
「熱情」という曲名で知られる曲が私の最愛なのですが、生命の脈動と血液の流れが感じられるんです。(これ、誰か共感する人居ますか?)
もうベートーヴェンは天才としかいいようがない。音の配置全てが合理的すぎる。
そこにその音なかったら、脈なかったよね!?って位に。
力強い曲ゆえに、力任せに弾く人もいるんだけど、私はそれ違うと思う。
生命の原始的な荒々しさと繊細さを併せ持っているのが、ベートーヴェンの曲で、そういう風に私は弾きたい。
最近は、窓の外に鳥が集まってきて、一緒に歌ってくれる特定の曲もみつけたりして、数百年前の作曲家と交流する以外に小鳥とも交流できて、めちゃくちゃ楽しい。
防疫の関係で引きこもりが日常化している今日この頃の楽しみです。
と、ここまで情熱任せに書いてみたけれど、果たして共感する人いるんでしょうか(汗)
書いてたら弾きたくなってきたので、今からピアノ弾こうと思います。
ここまで読んで下さった方、どうもありがとうございます(深々とお辞儀)。
また、色んな考え方があると思います。私が書いたことに全然共感できない方もいるでしょう。
そんな時は私個人の思い入れとして、ぬるい気持ちで読み飛ばしてもらえれば幸いです。
最後に、彼氏を奪われても生きていけるけど、ピアノのない人生なんて想像できない、いや、想像したくないという思いから、タイトル付けました。
実際、ピアノが人生から奪われそうになって破局した彼氏が過去にいるのは、また別のお話...