おそくなりましたが、あけました。2021年
やっと2021年に追いつきました。今年の目標を書こうとおもいます。
キーワードは、実体・リアルでしょうか。
遠くをみるというのは、みえないくらい遠くであればあるほど内容がはっきりしない。ゆえに、視覚だけにたよらない新しい世界に気づく可能性が高まる。やがて、Bをつくることができる。それがリアルではないか?
リアル:現実に即していること。そのさま。または、表現に現実感・迫真感のあること。写実的。
これまでに戻るのか?、変わるのか?という考えから脱構築して、”戻る・変わる”でない、進む世界とは?”こんなことをおもう新年です。
時価総額や株価、不動産の高騰に実体が伴わない話の連続だったが、果たして本当に実体が(リアルで)ないのか? ここからスタートしようとおもいます。
1 事物の本当の姿。実質。正体。
2 多様に変化してゆくものの根底にある持続的、自己同一的なもの。
不変の精神、不変の物質、不変のチカラ
3 真実の深い道理。真理。変わらない精神
■今年の目標:接点を増やすことができた
昨年は、延期という言葉をベースに一度立ち止まって、いろんなものを切断した年でした。今年は走るための準備にしたいと思います。おそらく結果が見えにくい年になるとおもいます。だからこそ、視覚だけに頼らない観察が求められると考えます。
我々は変わらなければならない → 我々は変わった。
では、どう変わったのか?
■ルールがなくなった。
ルールが不要な環境をつくると同義。小さな困りごとは、ばらしによる見える化され、課題形成される。それを仕組化に必要なルールというギブスをつける。我々はそのギブスを外して自立するときである。その準備ができた。
そのために、
■自分で決めることができるようになった。
自粛の解釈は、責任が個人に降りてきたことである。誰かに決めてもらうことの終焉である。それは選択することであり、認知・判断・操作のプロセスで、だれかと約束することである。
■特定の誰かへ応答ができるになった。
不特定多数のみんなという言葉に違和感を感じる年だった。みんなと会えなくなっても困らなかった。でも、特定の誰かに会えないのは、本当に困った。
■誰かに会わなくても会える方法がある。
媒体を介さないコミュニケーションから非接触のコミュニケーションになるのか?とおもったが、必要ならば接触がよい。そのときに我々はリスクを超える理由(約束)をもっている。そうすると、インターネットをつかった制限が入ったときに、コミュニケーションとも向き合えない人がいるのも理解できる
責任の解釈
事前的解釈:約束ができる
事後的解釈:理由がある
■責任は、ルールなき自由を呼ぶのか?!
約束ができる人を集まるとそこには、規定されたルールなしに対話ができる環境をつくることができている。それまでの手続きのルール(ギブス)は、文化や伝統、信仰の名のもとにきれいに自動化されている。
■操作の自動化と手動
私事でいうと、非接触に対応した手段を増やすことができている
ソフト的手段:Phyton、グラフィックレコーディング
ハード的手段:ロボット(ドローン)
■アイデンティ/自己同一性
自動化の世界になると、演奏に対して、命令を出す楽譜に比重がでてくる。これがいま考える リアル・実体 である。
その楽譜を描くことができるために、いまたくさんの演奏が必要である。演奏は日本語だけなく、英語による構築とも両立できている。
■昨年の振り返り
事前的と事後的との両方の解釈が(誤読によって)ぶつかってできた”なにか”は、コロナによって(BECV)延期になったが、音声による公開されない展覧会とワークショップを開催し、”見た感”があった。感染者がいなくなるまでにブックカバーチャレンジへの応答を継続しながら、空白なった日をテーマに制作開始するが、公開する理由をつくれないでいた。
購入した作品と向き合い制作したものは展覧会で発表ができたが、QRコードのキャプションがほとんど読まれなかった。VABFでは本も情報も断片化し断面をみることができた。空白をテーマにコピーを通して接続したなにかは、Aの偽物という解釈を捨て去るきかっけとなる。
■事前的と事後的と誤読
コミュニケーションは、基本的に誤読を含む。
それを解釈するか
解釈の手段は、2つ 事前的に事後的に
■音声による”見た感” =知覚による刺激
そこに実体がなくても、音によってつくられるリアルがある。
本物でなくてもそこに説得力があればリアルをつくることができる。
これまでリアルは視覚によるものがほとんどだった。
あたらしいリアルは聴覚かもしれない。
視覚は一度しまってもいいかもしれない。
■応答を継続
これまでの方法とは違っても対話は継続できる
それにはまず聴くこと。聞こえる環境にしている。
■空白なった日と公開の理由
空白=なにか は、事前的になにかわからないもの だが、可能性を示すものであり、そこに理由をつくることができればリアルになる。
■断面をみること
これまで と これから でなく、まったく違う世界を考える。
これまでは積み上げ(積分)だったが、微分の世界に軸を置く。
■Aの偽物という解釈を捨て去る
これまでのA=Aを期待し続けるとAの偽物でしかあり続けない。
A≠Aを肯定することで、Bというリアルをつくることができる。
■コピーを通して接続したなにか
事前な解釈で分かれた世界(楽譜)でも、事後な解釈(演奏)で接合することができる。それは 取り扱い という操作に収束する。
演奏の結果は、楽譜を書き換える(更新する)ことができる。
■なんとなく遠くをみること
空白としておかれた”事前解釈(楽譜)”を置くことは、その後のリアルをつくることである。事前的にはっきりしない内容であるほど、A≠Aを肯定するBに近づくことができるのではないか? 例えば、積み上げたもの(A)に切り込み微分解釈を持ち込むことは、Aの偽物ではない。そこ生成された理由Bが、それを支える。これは、みえないくらいの遠くのBにいけることを想像していく(のをつくる)ことである。
未来を過去形に、過去を現在形に表現することからはじめてみる。
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