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約束を通して、いまできることを考える。

2021年のキーワードを行動として、もう1度整理する。

約束するとは、
●世界を描くこと
●描いた世界の中で整合をもつ理由を事前的につくること
●それが説明できること

COVID-19によって、我々の意識はどう変わって、行動がどう変わって、環境がどう変わったか?を振りかえる。約束と理由がこうした環境の変化によって、自分の中に生まれた言葉だからである。

逆もしかりで、展覧会をみにいく視点で考えると、、、
見に行くこと自体もリスクを負うことである。そこまでわざわざ見に行く理由を考える必要がある。
リスクを負ってまでする必要がある経験や体験とは?

■責任とは?

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COVID19によって環境が変化した。変化するたびに聞かれる言葉である。我々は正しいのか、責任があるのか、自粛、、、こうした言葉は制約に直結し思考や行動を停止させた。これが2020年の春の状況だったとおもう。

いまから思うと、いわゆる行動自粛に入る前の準備期間として4週間は与えられており、生活に必要なものの買い出しとライフスタイルの適応期間であった。その結果、自宅の1部はオフィスとなった。

やがて、自粛による損益(やその可能性であるリスク)が見え始める環境になると、自粛をさせた人や、自粛しない人の責任を問うようになった。そして、再開の理由(言い訳)を探し始めるようになる。

この時点で、もし再開の理由があったときに、その理由をつくった人に責任がある ということに、おそらく環境も気づいていただと思う。

責任というと、自分では重すぎてもたない(≠もつことができない)なのに対して、他人に、責任をもってるでしょ?と問うこと をよく見かける。

■安全の前に、安心をしたかったのではないか?

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こうした様々な責任を前に、こうした意識や行動になる理由の1つに不安があったのではないかと考えられる。当時、優先されるのは物理的にできる(ハード面:安全)であり、これ前提になにもできないていた。その反面、心理的な側面(ソフト面:安心)は忘れられていたかもしれない。その結果、環境は安心を求めるようになる。

■安心を中心にした自粛に変化

2020年の緊急事態宣言のとき、環境が安全=安心であって、行動による自粛であるステイホームが成立したが、2021年では、安全≠安心 に変化した。その結果、自粛の意味のは大きく変化し、環境における行動に変化が現れた(ステイホームは成立しなくなった)。

安全≠安心となった結果、マスクや手消毒・換気にという、最善だが安全には十分でないかもれない、(安心できる)約束を(安心する為の)理由にとして解釈し、行動する。同時に、再開の理由(言い訳)を探し をしていた環境は、さらに強い約束を(つまり、法や制度による規則)社会を求めるようになる。

安全=安心の場合:自粛によって社会による約束が成立する。結果としてステイホームの行動となった。
安全≠安心の場合:自粛によって社会による約束が成立しない。結果としてステイホームはしていない。社会に約束(つまり、法や制度による規則)を求める

これまで責任について取り扱ってきたが、仮説として、責任=約束 として解釈している。

■社会に約束を求めること=思考の放棄では?

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これまで安心を求める為の行動として、自粛を絡めながらまとめてみた。しかし、単純に考えて、自分で行動するのに他人に責任を求めるのは矛盾している。

責任というと、自分では重すぎてもたない(≠もつことができない)なのに対して、他人に、責任をもってるでしょ?と問うこと をよく見かける。

自分の行動を他責にするということは、誰がの指示がないと動けない指示待ちと同じ状態であり、自ら思考できない状態であることと同義だと考える。
本当にそれでいいのか?

■行動には理由が必要となった。

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行動をするための宣言文であり、これをベースにA=AA≠A(Ring)の展覧会を開催することができた。今から思うと、これは 理由づくり であると同時に、その後に開催される個展の約束だったかもしれない。

いまから思うと書いたのは、宣言をした時点で約束や理由づくりという感覚はなく、展覧会を開催するためのプロセスと考えていたからである。約束や理由づくりという解釈は、一連のプロセスを事後的かつ俯瞰してみたときの言い方である。

■約束をプロセスという言葉に置き換え可能か?

ルーシーの骨の60%というプロジェクトを例に記載する。

今日までにみつかっている人類の祖先に近いとさせる化石は、ルーシーと名付けられた。”ルーシーはエチオピアの浅い川底で発見され、骨格の推定40%が完全な形で残っていた” とされている。
制作中でまだみつかっていないなにかを、ルーシーのまだみつかっていない骨の60%というタイトルに見立てて発表していく、活動の中でできあがる制作のためのソースに目次をつけるプロジェクトである。

整理すると、、、、

ルーシーの骨というタイトルに見立てて、
方針1:制作中でまだみつかっていないなにかを、(事前的に)発表していくこと
方針2:活動の中でできあがる制作のためのソースに(事前に)目次をつけること

つまり、作品ができるまでの制作プロセスを公開・対話をすることで、事前的にまだみつかってないなにかを引き出す、これから作品ができあがる瞬間を引き出す活動プロジェクトである。

① 仕事を進める方法。手順。工程。
② 事が進む経過。過程。すじみち

もし作品ができるとしたら?という問いに対して、プロセス(という事実)を積み上げていく様は、作品はできあがることの可能性を上げることでもある。つまり、作品ができるまでの事前と呼ばれるプロセスは、作品ができあがるまでの約束であり、作品ができあがった時点(事後)には、理由という意味でプロセスが取り扱われることになる。

プロセス=事前的にみた約束と事後的にみた理由

約束と理由によって、プロセスという言葉は解釈することができた、
ルーシーの骨の60%を題材にした2020年1月に着手したプロジェクトでのの解でもある。

■いま、我々は何を約束されており、なにを約束することができるか?

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自分がなにを約束できるかわからない場合でも、もし自分が約束できるなら、信用できる人と約束すると思う。この場合、信用できるとか信頼する をお金を支払うことに置き換えてみてると、過去に書いた記事と接続することができた。

ここでは、お金を支払うこと=交換すること と解釈しており、交換に至るまでの対話とそのプロセス(=約束と理由)について書かれており、その目的は、価値観の一致と信用できる人をつくることである。つまり、約束ができる人をつくることである。ただし、ここでは約束の内容については言及できていない。

●価値観の合意形成には、対話が必要
ここで、重要なのは、交換ができることを約束する合意形成の生成である。
合意形成には、対話(生成された事実の積み上げを確認すること)が必要である。
交換とは、ある効果からその対象(思考or 表現 or 制作物)を解釈して、等価(交換できる状態)であることを合意形成できるようにすることである。
その結果、価値そのものでなく、価値観で語ると売買も交換に含まれる。

■時価総額=過去の成果+付加価値

いきなりお金っぽい話になったが、これがわかりやすい約束による成果ではないか?言い換えると、約束つくるリアリティ(実体性)によって、生み出されるお金であり、信用でないかと解釈することができる。

時価総額や株価、不動産の高騰に実体が伴わない話の連続だったが、果たして本当に実体が(リアルで)ないのか?

■前売り券

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約束がつくるリアリティがリアルとして現れる例を前売り券を例に解釈してみる。イベントが開催される当日・現地で購入する券(当日券)に対して、イベントが開催される事前に購入できる券(前売り券)がある。

イベント当日で現地であれば、観客にとって現地にいるという結果(理由)によってすでにイベントは開始されている。前売り券はそれが開始されていないので、観客にはそれを買った理由(リアル)がない為、購入することができない。そこで、主催側がディスカウントや特典を用意し約束(リアリティ)を事前に取り付けることで、リアルに前売り券の販売がする。

ここで、前売り券は、約束手形であり、鑑賞者にしてみると約束(リアリティ)そのものを示す唯一のリアル(実体)である。

■自粛の解釈:自粛できれることを約束すればいい。

他人から言われる前に自ら進んで行動慎むこと。と書いてあり、
要約すると

・現状を観察し、その結果を解釈すること。
・他人から言われるであろうことを事前に想像すること
・上記に対して自分がすべき行動を選択すること
・選択とは、認知・判断・操作(行動)である。

言い換えると、現状を解釈して、選択結果を(他人から言われる前に)自らと約束することである。

自粛できる人
=他人から言われる前に自ら実行できる人
 =約束できる人
   =理由をつくれる人
     =自分で選択できる人
       =観察した結果を解釈できる人

自ら、身体的リスクや精神的リスクを統合的に判断し、行動することを求めれいる。それを約束するのは自分自身であり、責任も同じである。
言い方を変えると、

ポジティブにとらえると、他人から言われる前にという表現になるが
ネガティブな言い方だと、他人の言うことは信用できない、最後は自分だけ

ということである。

ここで、政府や自治体が助言や要請をすることは、単純に個人に約束を押し付ける行為で責任の押しつけと解釈されても仕方ない。リアルに合わせて考えると自粛になるのは仕方ないと思うが、考え方としては好きではない。自粛なしに成立する環境(ルール無き環境?!)を目指すのが前向きであり、いまはその途上であることを願いたい。

本来は、自ら思考や選択できない人にとって必要な自粛であって、自ら思考や選択ができる人にとっては不要である。
自粛は、”自らできない人の存在によって生成される目に見えてしまった行動の制限”である。

すると、自粛として目に見えるから他人の鑑賞を受ける悪循環、、、、、、

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まとめると、自粛という言葉が本当にもとめていることは、

自粛ができるという約束(リアリティ)であり、
自粛(リアル)そのものでない。
その約束の前提は、思考ができること/信用できることである。

■意識が変わって、どう行動が変わって、どう環境がかわったのか

約束のくだりは、自粛の話だけでなく、他人によってつくられた物事に依存している環境全体に言えることである。同様に思考すると、ここにみえているリアルは、リアリティの集合といえるかもしれない。

◆ドリルの解釈

現場にリアルことがあることを認めつつ、リアルがあるのは現場だけでないを考える場

あえてオンラインではなくリアルな空間を使って、これまでと同じやり方でディスカッションすることはどういった意味を持つのか?の問いについて、
いま考えると、ディスカッションすること以前の問題に、リアルとは?/我々はなにを約束できるのだろうか? があると思う。

ドリルとは?
完成した作品を見せる場ではなく、「制作」「これから制作されるもの」を提示する成長にテーマを置いた場で3ヶ月ごとに定期開催し、それぞれの成長と変化を継続的に見ることが出来る実践的なイベント

◆中止になった2019年度黄金町AIRの成果展の解釈

展覧会としては、自粛でなく中止
アーティストとしては、自粛でなく公開中止を通した応答。

自粛でなく中止であるが、中止の時点で思考が止まってるので、展覧会としての再解釈が必要だが、個人として思考を止めずに応答した最初の事例。

2020年3月時点の応答でも、プロセスについて言及している。プロセス=約束+理由を軸に再度解釈ができると考えられる。

■我々はなにを約束できるのか?:アーティストにできることは?

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いまできるのは制作すること、制作物の提案である。もしそれによってたくさんの人と約束ができたときに、制作物は作品になれるように思う。

作品とは、自分や他人と約束できるなにか

事後的解釈して、作品は、次をするための(安心できる行動の)理由だとしても、そこには約束は存在する。

約束には、理由、責任、リアルとリアリティ、自粛、信用、時価総額と前売り券、価値観の一致と交換、プロセス、安全と安心 といったキーワードが関係していることがわかった。

ゆえに、いま約束できることを書くと、

いまアーティストができることは、作品をつくることしかない





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