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犬を見習う

犬と生きている。朝日がさすと寝ているわたしを起こしにやってきて、のそのそ起きてきたわたしを尻目にからだをひと伸び、ふた伸びさせ、朝のストレッチをする。
フードの置いてある場所でおすわりをして、食事を待つ。決まった量の食事をとり、水を飲み、さて、そろそろですかねという顔でドアマットを陣取り、外出(つまり散歩)を要求する。
散歩が終わって帰ってくると水を飲み、自分の好きな場所で眠る。
起きたらまたひと伸び、ふた伸びし、おもちゃを振り回したり、また寝たりする。

身支度をしていると覗きにやってくる。お出かけですか。自分も一緒に行けるお出かけですか、それでもそうではないですか。
身につけている服や荷物で察するらしく、一緒に行けないとわかると、ふん、と鼻を鳴らしてまた眠る。

帰宅すると、尻尾を千切れんばかりに振る。座るとひざに乗ってきて、しばらく頑なにその場所を譲らない。なでなさい、なでるのです。そのあとはごはんと散歩です。わかりましたか。

帰宅してもラップトップを手放さないわたしのひざに乗り、眠りにつくのを待つ。ラップトップを閉じるタイミングがどんなに遅くても、どれだけ強かに酔っていても、犬はわたしの1日の終わりを眠らずに待つ。

わたしの変調にもよく気づく。体がつらいとき、心がつらいとき、犬は絶対にそばを離れない。家中ついてまわって、まっすぐこちらを見つめる。出かけようとすると吠える。いまあなたは外に出てはいけない。つらいのだからわたしといなさい、と吠える。
そして、なぜか一緒に体調を崩す。そこはシンクロしなくていいんだけど…

一緒に住み始める前は、言葉の通じない生き物との意思疎通は難しいだろうと思っていたのだけれど、まったくそんなことはなかった。彼女は話しかければ返事をしてくれるし、自分がどう思っているか、わたしにわかるやり方で、きちんと伝えてくれる。
彼女のひとつひとつの行動を描写してみると、当たり前のことのようにも思うけれど、シンプルに尊い。自分が健やかに生きるために必要なことを理解しているし、自分と時間や場所を共有する相手を尊重している。

わたしは、どうか。自分はできているのか、相手にできているのか。
彼女をまねてひと伸び、ふた伸びするところから、まずははじめてみることにする。


本日の1曲は犬つながりで。大好きなアルバム、ホリデーシーズンの家のBGMの定番です。


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