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数値化、その後

こんな記事を出して3ヶ月、最近たまたま、私とちょっと違う視点からの数値化の記事を見かけました。
最初は「あっちの記事の方がいい」と思いつつ、
やがて「数字を使う人間の視点の違いかな」と思い、
最後は「『数字を使う』も単純明快ではない、多様な側面を持つんだな」
に至った、という記事です。

こちらの記事

1年前に本を出されている方です。
部下は自分を守るために数字を上手く使いますよ、という、防衛的な使い方、そしてその背景には心理的安全性の低さが・・・

納得しました。報告会の中でこれをやっているケース、組織の中で「あるある」と思いました。

という事実を認めた上で、思ったこと。

数字をどう使うかは、最後その数字が自分にどう被るか?

数字にはブーメラン性があります(と思っています)。
一度自分から離れていった数字が、上の方で
「この数字の元データは?」
という話になって、自分の方に戻ってくるのです。

守りでごまかしの数字を使った場合、そこで自分が苦しむ。

それが分かっていれば愚直に数字を使わないといけないし、分かってなければ(経験が浅ければ)最初にごまかす。逃げ切れる(組織変更や転職)と分かっていればごまかしはいい手段ですが、逃げ切れなければ最悪手です。数字のごまかしの連鎖が始まります。

繰り返しときます。
数字のごまかしはできなくもないが、逃げ切れなければ最後は詰む。

今回思ったこと:「性善説」と「性悪説」は反対ではなく隣同士

中国の古い有名なこれら、ずっと「逆」と認識していたのですが、上の2つの記事を考察してみると、

switch-case文程度の選択肢の違いだな

と思えてきました。

switch(状況){
case 逃げ切れる:
  ごまかしの数値
case 逃げられない:
  説明できる数値
}

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