管見談 チャットGPTで現代語訳 ②公儀-7
14.人の一生を四季に例え
原文
一、人世は譬は四時の如くなり、人寿百歳とハ申せとも七十猶古来稀也、大体躰八十歳を限りとする也、八十曰耋耋至なり、年の至極なり、因て人生八十年として生まれしより弐十迄は陽春発生の気也、血気未定心うハもりて取〆なく、只官遊ひ戯れ物に移り安きなり、
人ハ万物の霊長にて天地の和気を得て生るゝ故、中にある物右へも左へもよる心にて能移る也、此移り安きと発生の気とにつれて、導き次第にて善にも悪にもなり、習て久しき時は生まれつきの如くに成なり、故に孔子の少成如天性と仰せられし也、困り芸能なとも習はせてさへ置は敢而労するともなく自然に昇進する也、故に此間か一番に大事な時也、十八九迄に各別の人になるもの也、孟母も三遷も習慣か第一なる故也、
二十迄に男子の一体具足する故初冠して字成人の部に入也、然とも未柔弱なる故二十曰弱也、二十より四十迄の間ハ長夏暢長の気也、血気日々に壮なり猥りに移らす、物の勘辧も出て道理も別る様なれとも、未タ実に返らす故に、何となく物を隔たる様にて、明に見得兼是と極たる事なき也、芸能の事ハ暢長の気につれて昇進する物故、四十迄を限りとする也、是迄に成就させるハ用に立ぬなり、
四十より六十迄の間は清秋収歛の気なり、血気已に定り心落着て浮たる事なく、物の道理も次第に明になり、己か得手なる筋に傾きて疑ひ迷はす、天性の長する処成就する也、故に孔子の四十而不惑と仰られ、孟子の四十而不動心と云れし也、聖賢といへとも四十以前ハ疑惑を免れ給ハさると覚ゆる也、又孔子の四十而見悪其終而已と仰られ、
又四拾五拾而無聞不足畏と仰られたり、四拾より五拾迄ハ成徳の時なるにそれ迄に徳の成就せぬハ庸人なる故也、世語にも四拾五拾分別さかりと云なり、大器ハ晩成すといへとも五拾迄を限りとする也、故に四拾曰強而仕とありて、四拾迄に男子の全体成就し略道理も明になる故、始めて仕官し小事を勤むる也、
五拾曰艾服而官政すとありて、五拾ハ最早班白なりて益道理も明なる故、重役に進て国政に預るなり、六拾曰耆而指使とありて、六拾よりハ次第気力も衰るゆへ益重役に進ミ自力を用す人を使令して勤る也、
六拾より八拾迄の間ハ厳冬粛殺の気なり、血気日に衰へ心か薄くなりて物を忘安く、耳目も乏しく、手足も不自由になり、気も短くなりて怒安し、七拾曰老而伝とありて、七拾ハ既に老衰に及ゆへ致仕して家を子に伝へ残年を養ふ也、八拾ハ残年なり、正に是人生も四時に斉しき物也、
是をつヽめて云は四拾已前ハ血気の壮になる時故思慮薄し、四拾已後ハ血気の収る時故思慮深き也、其中思慮の盛なるハ四拾より七拾迄三拾年の間なり、されは少壮なる者ヲ拳而重く用るハ君子の慎給ふ処なり、いかにと云に右に申如く四拾以上にもならぬ内ハ兎角事の道理か見へかね人情世態を悟らさる故、疑い惑ふ事のミ多く人に頼りあたりを見合て、当前の事のミ落なき様にと大事つもるのミにて、踏込て勤る事ならす故に、人心服せつして治はならぬ也、
譬へは騎法に達せつして馬に乗る時ハ、馬の性合得られす、唯落ん事のミ恐るゝ故、乗りこなす事ならぬ也、若又己か器量を見せんとて先の見切もなき胆た ん量なる計ひすれは、必道理に背きて大なる害となる也、故に孔子にて子路か子羔を費の宰とせしを悪ませられ、子産ハ子皮か尹何を用し事と非とせし也、
且又孝悌の道ハ治世の根本也、孔子の上敬老則下益孝上尊歯則下益悌と仰られ、大学上老之而民興孝上長之則民興悌とありて、上にて老長を尊敬し給ふ時は、官位にある人も齢を重して、己か人の上に居るとて老長をハ如在せぬ事になり、下皆其風に化して広く孝悌の行るゝ事になる也、
曲礼に年以倍すれハ則父事之拾年以倍則兄事之五年以長則肩随之とあり、仮令官位にある人と云とも此意を本意となすへき事也、因而各別の甲乙もなき人ならハ老者を挙て少者の上に置給ふ時は、尊敬する処各別なる故、下の治も出来孝悌の教の本となる也、尚書に猷詢茲黄髪則罔所愆とあり、老人ハ人情世態に歴練する物故分別する所も道理に当る物也、
然ニ只官少壮を挙て老者の上に置給ふ時ハ、身分座席の次第のミになりて老者を物の員とさせる事になり、其風義下に移り老人ハ無用の者の様に思ひ却而賎しめ、其物云なとハ片腹痛く思ふ様になる故、大に風俗軽薄になりて孝悌の道廃るゝ本となる也、孝悌ハ吾父兄を父兄とし人の父兄に及して風俗和順になり国寧也、
近き昔迄も重役の人々ハ皆中年以上の人なりし故威重くして人皆畏れ敬ひし故、治も行届き世の風も老長を敬ひ幼少を愍む風俗なりしか、今は風儀甚薄くなりし様に存るなり、兎角少壮を重く用るハ君子の思慮を加ひ給ふ所なるへし
現代語訳
一、人の世は、たとえるなら四季のようなものです。人の寿命は百年と言われますが、七十年さえも古来稀であり、基本的には八十歳を限りとします。八十歳を「耋(てつ)」と言い、人生の終わりを意味します。ですから、人の一生を八十年として、誕生から二十歳までは春のように成長の気が満ち、血気は未だ定まらず、心も落ち着かないため、遊びや戯れに夢中になるものです。
人は万物の霊長であり、天地の和気を受けて生まれるため、心はあちこちに動きやすく、その導き次第で善にも悪にもなります。長い間続けると、それが生まれつきの性格のようになるため、孔子も「若いうちに習うことは、天性のようになる」と仰いました。技芸なども若いうちに学べば、自然と上達していきます。だからこそ、この時期は最も大切な時期です。十八、十九歳までには人としての基礎ができるものです。孟母が三度も引っ越したのも、習慣が最も重要だからです。
二十歳になると、男子は一通り成長し、成人としての仲間入りをします。しかし、まだ柔軟な時期でもあるため、二十歳を「弱(じゃく)」と言います。二十歳から四十歳までは、夏のように成長の気が続き、血気は日々強くなり、物事の判断力も出てきますが、まだ実際に行動に移すことはできません。四十歳までに技芸を成就させなければ、役立たなくなるでしょう。
四十歳から六十歳までは、秋のように収穫の気が漂います。血気は落ち着き、心も安定し、物事の道理が次第に明らかになり、自分の得意なことに集中して成就させることができます。孔子は「四十にして惑わず」と言い、孟子は「四十にして心動かず」と述べました。聖賢であっても、四十歳以前は疑いから逃れられなかったと考えられます。
四十歳から五十歳までは、徳が成る時期です。これまでに徳が成就していなければ、それは凡人です。世間でも「四十、五十で分別が盛ん」と言います。五十歳を超えれば重役に進み、国政に関わるようになります。
六十歳から八十歳までは、冬のように厳しい時期です。血気は日に日に衰え、物事を忘れやすくなり、耳や目も衰え、手足も不自由になります。七十歳は「老」と言い、すでに老衰に達しているため、役職を退き、家を子供に譲って余生を過ごします。八十歳は「残年」であり、正に人生の終わりです。
これをまとめて言うと、四十歳までは血気盛んな時期であるため、思慮が浅く、四十歳を過ぎると血気が収まって思慮深くなります。その中でも、思慮が最も充実するのは四十歳から七十歳までの三十年間です。だからこそ、若者を重要な任務に就けるのは慎重に行うべきだとされています。どういうことかと言えば、四十歳を超えないうちは、物事の道理がよく理解できず、人情や世間の状況を悟ることができないため、疑いや迷いが多く、人に頼りがちで、周囲の様子を見ながら、目の前のことを失敗しないようにだけ心を砕き、大きく踏み込んで仕事に取り組むことができません。その結果、人々の心をつかむことができず、治世を成し遂げることは難しいのです。
たとえば、馬術に熟達していない者が馬に乗る時、馬の性質を理解せず、ただ落馬することを恐れるあまり、乗りこなすことができないのと同じです。また、自分の力量を示そうとして、よく考えずに大胆な行動を取れば、必ず道理に背き、大きな災いを招くことになります。孔子が子路を費の宰(あずかり)に任命したことを悪く思い、子産(しさん)が子皮(しひ)を用いたことを否定したのも、このような理由です。
また、孝行と弟(てい)道(兄弟の間柄における敬意)は、治世の根本です。孔子は「上の者が老人を敬えば、下の者も益々孝行を行い、上の者が年長者を尊重すれば、下の者も兄弟を敬うようになる」と述べています。『大学』には「上が老いた者を尊重すれば、民も孝行を興し、上が年長者を敬えば、民も兄弟を敬うようになる」と記されています。上に立つ者が老人を敬うと、官位にある者も年齢を重んじ、自分が人の上に立っていても、老年者を尊重しないことはありません。下の者たちもその風習に従い、広く孝行や兄弟愛が行き渡るようになります。
『曲礼』には「十歳年上であれば、父のように仕え、五歳年上であれば、兄のように仕える」とあります。たとえ官位にある者でも、この教えを本意とすべきです。もし特に優れた者でなくても、年長者を少者の上に置くことで、尊敬の念が生まれ、治世が安定し、孝行と弟道の根本が築かれるのです。『尚書』には「黄髪(老人)に意見を尋ねれば、過ちがない」とあります。老人は人情や世間の状況に熟達しているため、その判断は道理にかなったものです。
しかし、若い者を官職に登用して老人の上に置くと、ただ官位の順序だけが問題になり、老人を役に立たない者として扱うことになります。その風潮が広がれば、老人は無用の者のように思われ、侮辱され、彼らが何かを言えば、聞くに値しないとされるようになるため、世の中は軽薄な風潮に陥り、孝行と弟道が失われる原因となります。孝行と弟道は、自分の父や兄を敬う心から、人々の父兄にまで及び、社会全体の風俗が和やかになり、国も安定するのです。
少し前までは、重役に就いていたのは皆、中年以上の人々でした。彼らは威厳があり、人々は畏れ敬っていたため、政治も行き届き、世の中の風俗も老長者を敬い、若者を労わるというものでした。しかし、今ではその風習が非常に薄れてしまったように思います。だからこそ、若者を重要な役職に就ける際は、君子が慎重に考慮するべきことなのです。
15.孝悌が社会の安定の根本
原文
一、上に申如く孝悌ハ治世の根本也、上たる人吾父兄のことく人の父兄に及し給ふ時は、下其風に化して孝悌に興るへき也、乍去富而後教とありて、士庶人共に恒の産有て恒の心あるにあらされは行れ難き事なるへし、
旦夕の儲もなく纔に死亡を救て不足を畏るゝのミにてハ何の暇ありてか善行を為すへき哉、民貧則姦邪生ずと云へり、貧すれは鈍すると云世の諺もありて、貧苦に責らるれハ心さまも悪しくなりて、善には進ミ難く悪にハ落易きなり、
且又当世ハ上は下を悪ミ賎め、下ハ上を怨ミ譏りて上下寇あ た讎かたきの如く也、君子ハ民の父母と云へは民は子なり、父子如此を何とか申さん、違所令従所好と申せは、当時の有様にては孝悌の行れん事難かるべし
現代語訳
一、前に申し上げたように、孝悌(こうてい:親孝行や兄弟仲良くすること)は、治世の根本です。上に立つ者が、自分の父や兄弟のように他人の父兄を大切にすれば、下の者もその風に従い、自然と孝悌の精神が広まるものです。しかし、『論語』には「富んでから教えを施す」とあります。つまり、士(さむらい)や庶民が共に安定した生活を持たなければ、恒常的な心も持てず、孝悌を実行するのは難しいということです。
毎日の生活費にも困り、かろうじて飢えを凌ぐような状況では、善行を行う余裕がありません。「民が貧しければ、奸邪(悪事)が生じる」と言われ、また「貧すれば鈍する」という世の諺もあります。貧困に苦しめられると、心のあり方も悪くなり、善に進むことは難しく、悪へと落ちやすくなります。
さらに、現代では上の者が下の者を軽蔑し、下の者は上を恨み批判しており、上下がまるで敵対するような関係になっています。君子(立派な人物)は「民の父母」と言われているのに、民は「子供」です。もし父と子がこのような関係にあれば、何と言うべきでしょうか。孔子の言う「命令に背いて自分の好むことを行う」という状況が、現在の有様を指しているようです。こうした状況では、孝悌の実践は難しいでしょう。