見出し画像

#62 発達が階段状と思うとき

子育てしていると「ある日突然」できるようになる、と気づくときがあります。

今日は夕食後、もうすぐ2歳の末っ子が
「にーぃ、たーん、ちー、ろく、はち、じゅう!
♪おまけのおまけの きちゃ ぽっぽー♪
♪ぽーっとなったら あがりまちょ♪」
と歌うのを聞きました。
あれ!?
昨日まで、数なんて言ってなかったゾ。
と、家族みんなでびっくり。

子どもって、ことばを蓄積していって、あるとき、ぶわぁーっと表出し始めるんですよね。これが、長い子もいて、2、3歳のときはためるだけでほとんどしゃべらず、心配していたら4歳になって一気に話し出したお子さんもいました。

言葉に関しては、理解したあと、出てくるようになります。
長男の発達について専門家の先生がみるとき、何をしゃべるかではなく、何を理解しているか、を見ていました。言っていることが分かるか、どういった言葉なら理解できて、何だと難しいのか。認知をみていました。
言葉を発することをしていなくても、その発達に応じた年齢の理解ができているかどうか。

ちょっと話がそれますが、人はみんな、発達の偏りを持っていたりします。WISC(ウィスク)という、その偏りを測ることができるテストがあったりします。そこで、言語の値が突出して高い特性のお子さんもおられます。すると、言葉がゆっくりというのとは逆に、ペラペラペラと言葉は出てくるけど、意味を深くは理解してない、ということもあります。早いからいい、というわけではなくて。

話を戻すと、言葉が出てくるときには、たくさんたくさん言葉を聞いて、自分の中に貯めていって、あるときそれが出てくるんですよね。一度、出始めるといろんな言葉が出てきます。
数を言い始めた末っ子は、今日がそのタイミングだったんだと思います。

言葉を話し始めるときだけでなく、他のことにおいても、ある日突然できることがあります。発達に凸凹がある子どもたちはなおさらそうだなーと、長男を見ながらよく思います。きっと、ある日突然できる日がくる「かもしれない」、そう思っていることで、気長に構えられ、一見無駄に感じてしまう働きかけに虚しさをおぼえがちになってしまうところを、淡々と構えられる心持ちになれるのです。

例えば、最初に文字を書けるようになったときもそうでした。
小学校に上がると、通常級では1年生の1学期にひらがな、2学期に入ると簡単な漢字とカタカナを同時にやっていきます。どの字も、学校では
最初はお手本を見て、お手本の上を指でなぞる
→次に、空中で、書き順に合わせて皆で書く
→ワークの薄い字の上をなぞる
→マスの中に点が打ってあって、ガイドを頼りに書く
→自分でマスに書く
という手順で学んでいくことが多いです。
長男は「薄い字の上をなぞる」まではできたのだけど、そこから「見ながらガイドを使ってマスの中に自分で書く」というのが、なかなかできなかったんですよね。

私自身の子どもの頃は、わりと文字を書くことが好きだったのと、母が早期教育に力を入れていたこともあって、苦労したことがなかったんですよね。苦労してできるようになったことは、教えたり寄り添ったりしやすいけど、自然にできるようになったことは、なかなか教えるのが難しい。しかも私は、子どものこととなると、どちらかというと気が短い(テンポよく進みたくなってしまう)ので、ひらがなを教えるのに寄り添うのは、一苦労でした。
「う」という文字の書き方を理解できない長男に、どういう風に教えたら分かりやすいか、さっぱり分からず試行錯誤していました。分からないところが理解できなかったんですよね。
今なら、それにプラスして、長男は発達性協調運動症(DCD)ということもあって、目と手の協応するのが難しかったというのも理解できます。直接的な、ひらがなを書く練習、だけではなくて、目と手の協応(目の動きと手の動きのチームワーク)のトレーニングも必要だったんですよね。
さらに、もしかしたら、見え方も、私たちが見えているのとは違うように見えているかも、ということもあります。

そんなこんなで、ずーっと、なぞり書きはできるけど、写せない(視写といいます)ができない期間が続いていました。でも、長男、やる気だけは人一倍あるんですよね。
「できないけどやりたい!」
延々と練習してもしてもできなくて、寄り添うのにも疲れ、いつになったらできるんだろうと思いながらも、いつかできるようになったらラッキーくらいに思った頃、3学期が始まって2週目の1月。ある日突然、書けるようになったのでした。

ある日突然、急に文字が書けるようになったから、思わず先生に「どんな指導があったんですか?」と聞きました。学校からは、「おうちで何かされたのかと思いました」とのこと。
そのときは、「なんだかよく分からないけど、突然書けるようになった」と頭の中は「?」でした。

その後、成長していくにつれて、ずーっとずっと努力しているけれどできなくて、それがある日突然できた、とか、あんなにできなかったことがいつの間にかできている、ということがいくつかあって、ああ、長男はそういう発達のしかたをするんだな、と腑に落ちたのでした。
ひどかった食べこぼしも。前と後ろが分からなかった洋服の着替えも。おねしょも。忘れ物を減らすということも。学校行く途中で車を眺めて、長いこと足が止まってしまうことも。

みんないつの間にかできるようになってました。今も、つい長男のできないことが気になりがちだけど、淡々とした気持ちで、けれど「いつかできるようになるかもしれない」と、あきらめずに働きかける心持でいることにしています。応援しながら、信じながら。

小さい末っ子や、支援の必要な長男の話をしてきましたが、ウォーキングでも、英語やヨガでも「いつの間にか」があります。大人の「いつの間にか」できるようになった、は、「階段状に発達して一気に表出した」というより、「継続的に積み重ねていったものが、ある程度の蓄積が貯まって、その成長が認知できるようになった」というものだと思います。
それでも、ちょっとやったから効果がでない、というのではなく、いつか結果につながるかも、とコツコツ積み重ねていく地道なことこそが、一番の近道なのかもしれません。

参考になったと思ったら、記事をお友達やSNSでシェアしていただいたり、いいねボタン(ハートのマーク)を押していただけたら励みになります^^

それでは、また明日!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?