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昨日と今日の日記

🐻‍❄️
地球儀にタブレットをかざすと、ホッキョクグマが表示された。「常同行動しない子ですね」。
─常同行動ってなんですか。
─動物園の熊が、一点でぐるぐるしたりしますよね、本来であれば北極みたいな、なにもない広いところにいたはずの子が動物園に連れてこられると、そういうことをするんです。言ってしまえば異常な状態ってことですよね。二世はなりにくいけど、連れてこられた子はなりやすいみたいです。サーカスのゾウがゆらゆらするのも、そう。
─へええ、知りませんでした。動物園、あまり行かなくて。
─引いちゃいましたか。すみません急に。こんなふうに聞いてくれるのは、ここで働いてる方だからですか?さすがというか、
─いえ、いえ、わたしはアルバイトというかそんな感じなので、これは個人的な興味です。
─そうなんですね、いや、大きい声では言えないけど正直、──(常同行動に対する、その人の個人的な見解)。
─なるほどたしかに、たったひとりで連れてこられて、その環境に適応するために試して、見つけて、バランスを取っているってことですもんね。すこしずれるかもですけど、中村文則さんってご存知ですか、作家の。その人の『列』という小説の中で、主人公がチンパンジーに火を使わせようとするシーンがあります。知性をつけて、人間から逃げろと。動物と人間の関係性を描いていると思います。
─知らなかったです。結末はどうなるんですか。
─いや、うーんと、
─いや、これは読んだ方がいいですよね。
─ぜひ。
思っちゃいけないことなんてこの世にない。ある個人がぐるぐると、もんもんと、でも確信めいて持っている価値観。画面に表示されたイラストのホッキョクグマを見ただけで口をついて出るような、ずっとあたためてきた思想は、一度口に出すと、まずシンプルに、その分量の小ささに驚くと思う。対面する人、もしくは社会に対して、決定的な一球を投じるようなつもりでも、意外とそのように受け止められることは少ない。その言葉の絶望感や緊迫感は思い通りの効力を発揮しないかもしれない。思っていけないことはこの世にない。軽んじられるべき感情はない。だが投げ方や相手を間違えると、なかったことにすることができないのも自明で。駅で停車中の電車の前方と後方で鳴る踏切が、まったく違う意味を持つように。でも普通ってなんだ。頭がおかしくなった熊ってなんだ。勝手に決めていいものか、勝手にかわいそうがっていいものか。人が不幸であると決めつけないほうがいいというのは最近胸に刻んだことだ、そう簡単なことじゃないのかもしれないけど。買い物が終わって店を出るとき、良い一日を、と声をかけてくれたお姉さんは、向かいで芝居を観る華々の誰よりも高貴でエレガントだった。

📞
またやってしまった。どくどくと、黒々とした気持ちを電話口で吐き出してしまった。三日ほど前から、心臓がずんっと重くて、口角に力が入らなくて、誰彼構わず疲れや不安を滲ませた。そういうのはやめたいと思っているのだ。大抵の人はこれからの人生、なにをテーマにしようかなんて考えていない。考えているとしても、どうせ道は決まっているでしょ、と、偏見でギトギトの目で見てしまう。そんな人に向かって、「これからの人生どうしていきたい?」なんて、厄介でしかない。もしかすると、いままで気にしていなかったことを突きつけて、考えさせてしまうきっかけになるかもしれない。喧嘩を吹っかけているようなものだ。いや、わたしと話すときはそういうのを期待しているのだろうか。でもわたしはみんなとそういう話をしていて、自分ともずっと話し合っていて、それがもう重くて、ちょっと辛くて、疲れたのだ。自分といることが一番疲れる。その最たるは出勤中だ。職場に着くと、本気で、やっと辿り着いた‥と思うことがある。こうやって沈むのは月のもののせいか。でも少し早い気がする。

切れない電話にしがみついて、歯医者に向かいながら、ついに言ってしまった。会いたい人に会って、はい、おーわりっと、人生を終わらせたい。ずっとうっすら思っていることだった。今後歳を取るのも、なんらかの形で人生を終わらせるのも面倒くさい。全部自分で考えないといけないような気がしている。死に方まで。接客業の限界を感じ、疲れている40代のおばさまの嘆きを身近に感じる。なんで人生には小休憩がなく、終わるときに苦しんだり、痛がったり、衰えたりしないといけないのか。マックス幸せな瞬間に終われないのか。すごく気持ち良くてもいいのではないのか。話はずれるが、恐ろしいことに、ピアニスト、画家、作家、そういう芸術家の方が、しかし亡くなってしまうと、死、それはどうでしたかと聞きたくなり、表現してほしいとさえ思ってしまう。
この一時間の過ごし方、その一つひとつに、マルとかバツをつけないであげてね。そう言われて電話を切った。

柔軟剤を買いに行った薬局でレシートを受け取ったとき、そういえば上京した初日にマツキヨの割引レシートを使おうとして、なんですかそれ、とキョトンとされ、中部地方限定で恥ずかしくなった、なんてことがあった。それから一年ちょっと、少しこの町はわたしに優しくなったように感じる。
読み終わらなかった本を図書館に一旦返しに行って、もう一度貸してほしいと言うと、確認しますね、うん大丈夫そう、と、もともと挟んであった「この日までに返しましょう」の付箋を外して、新しい日付のものを元の場所に挟み直してくれた。歯医者に着くと、名前を確認するでもなく手をパッと広げて、きむらさーんっ、と呼んでくれるお姉さんがいる。
あーーと口を開けてから、詰め物の型を取るため「噛んでください」と言われて、できるだけニーッとした口で噛んでみた。笑ったときの噛み合わせが、一番よくなるように。
この世界すべて。一人の部屋で行ってきますと言うことさえこわくても。
よくやっている、よくやっている。


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