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子規に学ぶ「季重なり」(その1)

【はじめに】
この記事では、2021年2月11日に、夏井いつきYouTubeチャンネルにアップされた「俳人列伝 ~2月の正岡子規~」から、正岡子規の『季重なり』の句を紹介していきます。

「季重なり」に敏感な昨今ですが、子規は、肩の力を入れずに「季重なり」の作品を沢山遺しています。例えば、

1.君を待つ蛤鍋や春の雪

この句は「蛤(はまぐり)」と「春の雪」が春の季語です。「や」が掛かるのは蛤鍋ですが、それぞれの要素が独立して互いを殺し合わずに存在しています。

冒頭、「君」とありますが、これは詩歌の世界では一般に“愛しい人”を連想させます。子規の短い生涯において想い人が居たかどうかはさておいても、この句は、愛しい人を蛤鍋を拵えて待っている状況を端的に描いています。

春に温かそうな「蛤鍋」を「や」で強調した後に、カットが切り替わって、外の光景(或いは窓の外を眺めているのかもしれません) 屋外は、春の雪が降っている。「君」が、寒い思いをしながらこちらに向かってきてくれているに違いない、そんな様子を見事に描いている作品だと思います。

「室内の様子」+「や」→【屋外の季語】という型は、プレバト!!で言うと、村上健志名人による『サイフォンに潰れる炎花の雨』を思い出しました。

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掲句に戻ると、「春の雪」という屋外の天文の冷たい季語をあたたかな屋内の光景(君+蛤鍋)の描写で対比させるという構図。一分の隙も無駄もなく纏まっています。

屋内のことに屋外の季語を取り合わせるのは、やりがちだけど案外難しいと教わった覚えもありますが、こうした成功例があるのを抑えときましょう。

2.馬ほくほく椿をくぐり桃を抜け

「椿」も「桃」も春らしい季語。「馬ほくほく」という上五も含め、非常に春らしい明るい風光を描いた作品だと思います。

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この句の季重なりは一目瞭然、「椿」と「桃」です。これは、先ほどの句が「春の雪」が主たる季語だった様な『メインとサブ』という関係性ではなくて寧ろ「並列」して成功しているタイプの句だと思います。

季重なりとなる場合でも、どちらかが主役の季語で、もう片方は季語としての力を削ぐのが定石なのですが、この句の場合は、「椿」や「桃」といった春の植物を個別に捉えるのではなく、その両方の植物が花を開くような春を大きな存在として文字の外というか背後に置いているような印象です。

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似た構図のプレバト!! 俳句に、『秋刀魚か鰯か我が決断の秋の暮れ』という高橋ひとみさんの句の添削例があります。これは、秋刀魚と鰯という秋魚の季語を、更に大きな「秋の暮」という季語で包含していました。

子規の掲句には、「秋の暮」のような大きな季語は明示されていませんが、椿も桃もダブル・キャストとして成功した見事な例だと思います。

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ちなみに、季重なりとは異なりますが、「馬ほくほく椿をくぐり桃を抜け」という表現の妙についても動画では語っていて、

「椿を【くぐり】」とあるので、騎乗している詠み手の頭上付近に「椿」があり、「桃を【抜け】」の部分では、頭上の椿とは違って、馬が桃の花畑をほぼ同じ高さでかき分けるように抜けていく。

読めば読むほど、この描写・表現力も見事だなと感じざるを得ませんです。

【おわりに】

まずは2句、子規の季重なりの句を紹介しました。その他の句も合わせて、元動画でいつき・正人親子の軽快なトークをお楽しみ頂ければと思います。

そして、改めて初心者の方に再認識して頂きたいのは、子規もたくさん、「季重なり」の句を作ってます。

「季重なり」そのものをタブー視することは本意ではないと夏井組長は常々言っておられますが、意図を持って成功している「季重なり」の名句もあるのですし、『季重なりがタブーではない』とは言えるでしょう。

ただ季語を詳しく勉強していないから「季重なりになってしまった」とか、「季語を入れなくても普通に出来る」とか、そういう段階の人間が生半可な知識で「季重なり」句を作っても失敗作ばかりが出来てしまうので、まずは『季語1つから始めよう』、『季語を一つ一つ調べて知識を深めていこう』という夏井組長の老婆心(?)を曲解されないよう、老婆心ながら結びの言葉とさせていただきます。

以上、Rxでした、次の記事でまたお会いしましょう。ではまたっ!

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