雪の記憶。2020.3.29.
今日、起きたら、雪が降っていた。
昨日は、暖かくて、急に寒くなると言われても、ピンと来なかった。
だけど、天気予報は、本当に当たって、東京都内で、雪が降っていて、その雪の粒は、ちょっと大きめで、もしかしたら、大雪になるかも、といった気配まであるように、今のところ、遠慮なく降っている。
小学生くらいまでは、雪が降ると、確かに気持ちがわくわくしていた。
小高い山に、4階建ての鉄筋コンクリートでできたアパートが10棟以上、並んでいて、それは、団地と同じ作りだったけど、同じ会社に勤める人しか住んでいないから、社宅だった。
その社宅に、小さい頃は住んでいた。
家族向けの棟は4つで、その裏に空き地といっていい、子供にとっては、かなり広いスペースがあった。あとになって、もう1棟できたから、そのための場所として残してあったのだろうけど、小さい小学校のグランドぐらいの大きさのイメージだった。
そこには、ススキがたくさん生えて、冬になると、そのまま枯れて、だけど、土にかえるのではなく、わりと、立った姿のまま、残り続けていた。そんなススキの固まりが何十個もあるような場所になっていた。
小さい子供にとっては、ちょっと身を隠せるようなところが多く、同年代の子供達と、そこで、意味もなく走ったり、かくれんぼ みたいなことをしていた記憶もうっすらとある。
そして、ある年に、雪が降って、それは、関東地方としては珍しく、大雪といっていいような積雪量になったと思う。
ススキの固まりが並んでいる場所が、雪が降って、真っ白い平らできれいな場所になっていた。そこに、長靴をはいて、歩いて、まだ人が歩いていないから、自分の足跡だけが残っていく。
小学生で、たぶん低学年くらいの時だったから、長靴よりも、深くうまり、ヒザくらいまで雪でかくれ、足を踏み出すたびに抵抗感を感じながら、その重さがちょっとうれしくて、一人で歩いていた。
楽しかった雪の記憶は、今すぐに思い出せるのは、そのくらいしかない。それも、ずいぶん昔で、あいまいになっているから、いくつかの印象が、自分の中で勝手に合成されているのかもしれない。
10代の後半になると、勝手なものだけど、雪は、すでにうれしいものではなくなっていた。
今年で、大学入試の「センター試験」が終わり、「共通テスト」というものに、また変更されると聞いたが、私たちの頃は「共通一次」という名称だった。しかも、まだ始まってまもなくの時代だった。
鉛筆で楕円形のスペースを塗りつぶす、というマークシート方式自体に、びびっていた。その塗り方の練習までした記憶がある。
その「共通一次」の日に雪が降った。
受験自体が、真冬に行われるから、そんなことはあって当然なのだけど、あまり雪が降らない関東地方に住んでいると、雪が降ることが、なんとなく大騒ぎになる。
試験会場である某大学が、小高い場所にあるから、坂道を登って、試験を受け、試験が終わると、その坂を下る。
『ここで、すべったら、まずいよね』
まだ、ヤバい、という言葉が、そんなに使われていない頃だったから、確か、そんな会話をしながら、同じ高校の同級生と、坂を慎重に降りて行った。
ちょっと遠くで、うわっ、というような声がした。
転んでいる男子がいた。
雪に関しては、冬になっても、そんなに降らない地方に住んでいることが多く、このくらいの記憶しかない。
ただ、今日の雪は、これまでにないような状況の中で、あまり味わったことのないような不安の中で、3月の最後の日曜日に降った雪として、記憶に残るのかもしれない。
午前11時を過ぎて、雪の勢いは、少し減ってきたように感じる。