痛い言葉との向き合い方
逃げるようにnoteにやってきました。
ある大切なことをしてもらいたい方に宛てたお手紙ならぬ依頼文を書いたのですが、その内容がきちんと伝わるどころか、内容について予想もしていない反応が返ってきました。
私としては精一杯、自分の思いを伝え、なぜその方にお願いしたいのかを書いたつもりでした。それが「人を見下しているような内容かつ一方的」ととられてしまいました。ご本人というより、それを読んだ第三者の方のコメントではあるのですが…。
胸の奥が締め付けられるような痛みって本当にありますよね。そんなつもり全く、一ミリもなかったんですが、そう受け取られてしまう書き方をしているという点が自分でも怖いです。
過去にも、年上の方から「なまいき」(直接はそう言われませんが)と思われることがありました。何度か同じような経験をしたときに初めて、私にも何かしらの原因があるのかもしれない、と思いました。ここ最近は、まわりにも恵まれ、そういったことはなかったのですが、久しぶりに同じ傷をえぐられるような事が起き、この数時間、言われた言葉にずっと引きづられています…。
ふとしたときに言葉を思い出して、自分の言葉の能力を疑ったり、反発したい気持ちになったり、どこやって改善できるのか、ぐるぐるしています。このままじゃ、また同じような事が起きてしまうし、「自分が損」(元上司の言葉)なので、そういう印象がないような言葉選びをしたいのですが、人それぞれ受け取り方が違うこともあるので、気にし過ぎたら何も書けなくなってしまいます…。
うまいフィードバックのもらいかたも、冷静に考えないと、ダメージを受けて立ち直れなくなりそうなので、HSP(Highly Sensitive Person)の場合は、どういったプロセスがいいのか調べてみようと思います。
日記を書くことは心を落ち着かせる効果があるらしいので、本来はそっとしておきたい痛みを伴ったままの気持ちを書いておこうと思いました。
今日はいかにとらわれずに寝るかが課題です。
明日には少しスッキリしてますように。。