ぴっぴ
主に、遠距離恋愛をしていて思うこと。
2017年11月に旅立った、愛犬チョコとの日々
誰に伝えたらよいか分からないことたち
ああ早く会いたいなぁ、会って気にせず濃厚接触できる日が待ち遠しい。
死ぬと蝶になって、自由になる。 時間も距離も、物理的な障壁はすべて取っ払って。 不自由な身体を繭のように脱ぎ捨てて。 そのために、自分がやり残したこと、そして、自分の周りの大切なひとたちがやり残したことをやっておく必要がある。 せっかく再現の無い幸福な空間に飛び立てるのに、それを引き留めるような足枷にはなりたくないでしょう? 無理に笑う必要はないけれど、涙の跡は消して、自然体で見守ってあげよう? ただもしあなたにとって大切でたまらないひとが急に飛び立った場合で、あなた
取り返しのつかないことをしてしまって、いくら詫びても許されないのではと思う、そんな出来事を背負うひとへ。 あの時わたしの口から出た言葉は、今どうあがいても取り消すことはできず、むしろ弁明がその言葉を際立たせるような気がして、15年ほど経っても口に出すことができないでいる。 今年、子育ての卒業式という結婚式を迎えるにあたって、きちんと自分の過ちを謝罪したいと思っている。そして自分の人生をもって、その過ちを過ちだったと示していかなければとも思う。 *** きっかけは些細な
過去の下書きに、やりたいこと100個書こうとして33個で挫折した形跡が残っていたので、今の自分と照らして更新することにした。 1年と3ヶ月で達成できたのは、木のまな板と勉強用のクッションと行政書士の資格(予定)を手に入れたことだった。 今年はどんな年にできるかなぁ。 *** 1. パパとママとハワイに行きたい 2. フルマラソンを5時間以内に走りたい 3. 女の子と男の子の子どもを持ちたい 4. お互いの家族と祖父母と親族とで、結婚式と食事会をしたい 5. パ
「あと3年がリミットかな」 そう彼に告げられて半分の1年半が経った。 その間に色んなことがあって、令和2年元日、ようやく2人の未来が像を結びはじめている。 素直に、嬉しいのだ。 お日柄というものを初めて気にしてみたり、共通の銀行口座の貯まった額を眺めたり。 同じタイミングで結婚する親友と、あれやこれや話をしたり。 ただ時折、どうしようもなく悲しくて恐ろしくて、何をどう考えたらよいかわからなくなる日がある。 そんな自分に戸惑う。幸せなのに。 幸せすぎて明日死ぬんじゃない
何者かになりたくて ならないといけない気がして いいねって言われたくて でも周りの目が怖くて ぐるぐるちくちかもじゃもじゃと のどにつっかえていっぱいで 目の下の堰が切れたら どんなに楽だろう 地面にスマホを投げつけたら 地面は割れて世界は壊れますか? ゴールドの光が広がって I’m the concept そんな可能性に気づいた私に、 いいねって誰か言ってよ 毎日が誰かと私を比べるテスト あれ、花丸はこんなにもらえないものでした? 上見て右見て左見て上見て なんとなく
寂しいって思ったときに、へぇボタンみたいに寂しさが数値化されて誰かに伝えられるおもちゃがあったらいいのに。売れると思いません…??
だいすきなあの子が夢にでてきた。 二度と会えないあの子。 でもこうして一緒に過ごせるあの子。 夢の中は今まで行ったことも何かで見たこともない新しい世界だった。 弟がサラダを作ると言った。 わたしはカレーを作ると言った。 冷蔵庫を開けると、出かけた母が帰ってきたらすぐ作れるようにと分量分ラップに包んだ野菜が目に入った。 「帰ってきたらもう完成してるなんてびっくりするだろうな」 にやにやしながら弟と料理をした。 外にでると、そこは駅のホームだった。 駅の外の道路の向こうに三角
親の言うことなら間違いない。 そう思って決断を委ねたことが何度もある。 今までそれで結果上手くいってきたし、 これからもそうだと思う。、けど、、 ほんとうの幸せは自分で決めないと ほんとうに求める自分にはなれないんだ。
連絡が来る瞬間が幸せの絶頂で、 返信をしてしまうと終わってしまう気がして 返信を先延ばしにすることがある。 LINEだと、既読にならないようそっと閉じる。 うん、すぐ返さなくてごめんなさい。 でもね、 連絡が来たと知った時に、その事実そのものの幸福感を味わって、どんな知らせかなってその人との過去から最近までのやり取りを思い返して、さぁなんだろうって開くから、って伝えたら許してくれるかなって。 それくらい、誰かがその時間自分を思って、自分だけに向けた言葉や写真を送ってくれる
新入社員の男の子の歓迎会。チームの誰かに仕事中聞きづらい質問していいよって言ったら、わたしにまっすぐ向き直って。「(ぴっぴ)さんのキャラが分からないんですけど、どういう風に接したらいいですか。」 …そんなにわたしキャラぶれてるかな?! と、3週間経った今でも何かにつけ思う。 いや、世の中のサラリーマンサラリーウーマンたちがみんな自分のキャラを前面にだして働いているとは到底思えないが…!?(極端) とにかく、心に突き刺さった問いであった。 「この人はこういう人だ。」 会社に
変わらないことに頷くことができるなら、 それを道しるべに、変わることもできるよね。 迷うことはなにも、ないもんね。
久しぶりにEvernoteを開いて、5年前の自分の文章を読んだ。 変わってなかった。 思わずにやけるくらいに。 社会人になって、勤務地が2回変わって、仕事でもプライベートでもいろんな人と出会って、辛いことをたくさん乗り越えた気がするし、楽しい思い出のネタにも事欠かない。 でも。 上京して、初めて自分で多くを選択する自由と責任を手にした5年前から、 わたしは変わってなかった。 自分の幸せとは何か、どんな風に働きたいか、どう生きていきたいか。 実はもうわかっていて、多少のこ
好きなものを好きといい、嫌いなものには嫌いという。とてもシンプルなこと。 赤ん坊の頃はきゃきゃっと笑ったりわーっと泣いたり、全身で上手に好き嫌いを表現することができたはずなのに。何だか最近難しい。 家までの道を歩く時、凹凸のあるコンクリートの地面に手の内のスマホを叩きつけて、粉粉になった所を見たいと思う日が3日ほど続くと、あれ、と心の異変に気づく。 心がどろどろぐちゃぐちゃしている原因は、大抵、好きと嫌いがごちゃごちゃとした沼に陥っているからだ。 幸か不幸か、赤ん坊の頃と
「悲しくて泣いていた、ひとり歩く帰り道 そんなとき、ほんわかなみんなに会いたいな」 ばかり、頭の中で永遠リピートされている
昨年11月6日。 最愛の愛犬が亡くなりました。 一緒に歩いているとよく笑顔が素敵ねと声を掛けられ、その度に鼻先をこちらに向けて得意げな表情をする、とびきりチャーミングな自慢の妹でした。 わたしは、彼女が壺に落ち着くまでの一部始終を日記帳に詳細に描写した後、その事実を閉じ込めたまま過ごしていましたが、最近暑くなってふと、彼女が発つ前に伝えてくれた幾つかのシグナルを思い返すことが多くなりました。 先週、ある本に衝撃を受けました。 象徴言語には二種類あります。言葉によ