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私の生い立ち7 熱血教師のこと(12歳)

前回までのあらすじ
小学校5年生。突然始まった学校でのいじめと家族への不信感。

 1995年。小学校6年生になった私は、テレビゲームや漫画に夢中だった。テレビを見るのも、流行の音楽を聴くのも好きだった。SMAPの中居くんが大好きで、中居くんの出ていたドラマやバラエティ番組などは欠かさず見ていた。

 担任の先生は、とても熱血な24歳の男の先生だった。週2〜3回、学級通信を出すような先生だった。何か事件が起これば涙を流しながら児童たちに説教するような。良いことをした時も、悪いことをしたときも、先生はこまめに児童の親に電話をしてそれを伝えていたようだ。こんな先生が担任だったおかげか、小5から始まった私へのいじめは一時的に終わったが、私はこの熱血教師についていくのが、とても大変だった。授業をしたくない気分のときは、校庭でドッジボールをすることもあったし、よく晴れた日の昼休みは外で遊ばないと怒られたりした。運動会やマラソン大会の練習もとても熱心で、放課後残って練習をした。

 私の通う学校では、夏休みの間の二日間、小学6年生が学校でお泊まり会をするイベントがある。昼間は海に行って泳いだり、校庭で遊んだりして自由に過ごす。夜はバーベキューをしたあと、校庭で星の観察をして学校で肝試し。それが終わったら、体育館に布団を敷いて6年生30人で眠る。朝は、ラジオ体操から始まり、朝食をとったあと随時解散。肝試しでは、先生は、男子と女子がペアになるようくじ引きを作った。女子のほうがふたり人数が多いので、余った女子はおばけ役。男子が私のことを指さして「あいつとは、絶対にペアになりたくない」「俺も俺も」と聞こえるように言った。私だって人をバイキン扱いして、避けていたようなやつらとは絶対に組みたくない。私は先生にお願いして、おばけ役にしてもらった。音楽室のグランドピアノの下に潜って、誰かが通るたび、「わあっ」と声を出したり、ピアノを鳴らしたりしていた。

 二学期、先生は6年生全員にノートを配った。

「先生と交換日記をしよう。君たちのことをもっと知りたいんだ。提出は自由だ。もうすぐ中学生になる上での不安や悩みを、なんでもこれに書け」

 私は、最初のうちだけ書いていたが、あとは提出しなかった。例えば親の不満や、勉強への不安を書けば、私が責められるような返事ばかりされていた。かといって日記のようなことを書けば、悪いところを粗探しして指摘されるような。例えば「今日はゲームをした」とか書くと「ゲームばかりしてないで外で遊べ」と言われてしまう。1年生のときに書いた「せんせいあのね」では、当時の担任の先生は全てを肯定してくれたけど、この先生は全てを否定してくる。そのうち私は提出しなくなった。出さない日々が続くと、「どうして提出しないんだ」と言われた。提出は自由だと言っていたのに。

 もう一つ嫌だったことを書かせて欲しい。先生は男女平等をよく口にした。「男だから、女だからというのをなくそう」と。それは別に構わない。だが、「男が女子トイレを掃除しても良いし、女が男子トイレを掃除しても良い」というのは何か違うと思った。なぜそれが良くないことなのか、12歳の私には上手に答えられずにいた。一度だけ、男子トイレの担当になってしまったことがある。今は手袋をしたり、マスクをしたりするのが当たり前だが、当時は素手でやるのが当たり前だった。男子トイレの小便器をブラシで擦ったり、縁を雑巾で拭いたりするのは、なんだかとても気持ちが悪かった。掃除中なのに、たまに男子がトイレに入ってきて用を済ませるのも最悪だった。男子トイレ掃除の日は食欲がなかった。男子がいるのに、女子に男子トイレを掃除させるのは、決して男女平等なんかではないと思う。

 ある日「生い立ちの記」を書くという宿題が出された。両親に自分の生い立ちを聞きながら「生い立ちの記」を書こうというものだった。当時、私は親とは、ほとんど口を聞いていなかった。口を開けばすぐに喧嘩になってしまう。なので、自分の生い立ちについて聞こうなんてどうしても思えなかった。また過去を振り返ると、いじめや自分の弱さや情けなさばかりが浮かんできてしまい、自分の物語に自信が持てず、どうしても書きたいと思えるものではなかった。楽しい思い出だってそれなりにあったはずなのに。2学期から始まった先生との交換日記のように、自分の生い立ちを否定されてしまうような気もして怖かった。周りが原稿用紙10枚以上もの「生い立ちの記」を提出している中、私だけ何も書かずに提出をした。当然、めちゃくちゃ怒られた。これは、先生への反抗でもありHELPのサインでもあった。12歳の私なりの精一杯の叫びだった。

 2024年。あれから29年が経ったが、先生は、まだ先生を続けていると地元の友人から聞いた。しかし、あの頃の熱意は薄れてしまったとか。あれから社会は多様化し、保護者や子どもたちの価値観も変わってきた。教育現場も色々と変化してきたのだろう。あの頃は、良い思い出ばかりではなく、腑に落ちないこともたくさんあったけれど、先生の熱意が薄れていくのは寂しいようにも感じる。授業をせず校庭でドッジボールとか、今だったらダメだろうなあ。

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