さいとうきいろ

1983年6月30日生まれ。もう恋はしたくない多趣味な主婦。常に車を買い替えたがってい…

さいとうきいろ

1983年6月30日生まれ。もう恋はしたくない多趣味な主婦。常に車を買い替えたがっている夫と、いつもプリントがくしゃくしゃの息子、歩いたり歩かなかったり気分屋な犬と暮らしています。日記、小説、短歌、いろいろ書いています。夢は豪華客船に乗って、1週間くらいのんびり過ごすこと。

マガジン

  • 生い立ちの記

    わたし自身の生い立ちの記。電子オルガンとわたし、いじめ、家庭内での違和感など。暗くならず、ユーモラスに書けたら良いと思う。

  • 【小説】ゴリラは心の拠り所

  • 気軽に読んでほしいエッセイ

    いろいろ楽しく書いています。

  • 誕生日の日記

    つい何か特別なことを期待してしまう6月30日に書いた日記です。

最近の記事

私の生い立ち6 ぶちまけられたパン粉(11歳)

 前回の生い立ちの記からだいぶ時間が経ってしまった。と、いうのもあまり良い思い出のない小学校5年生以降を書きたくなくて、どう書いたらよいのかわからずにいた。これからは、いじめの話や両親の嫌いな部分の話になるので、色々と不快に思う方もいるかもしれない。読みたくないと感じたら、そっと画面を閉じるなり、戻るボタンを押すなりしてほしい。  1994年、小学校5年生。我が家では、17時からはリビングで勉強。学校の宿題や進研ゼミなどをやった。それが終わったら19時まで自室でドリマトーン

    • 私の生い立ち5 黄色い悪夢(10歳)

       1993年、小学校4年生。マキコ先生という優しい女の先生が担任だった。マキコ先生は小学校2年生のときも私のクラスの担任だった。マキコ先生は、給食でごはんが残っていれば、なんでもおにぎりにしてしまう。 「あら、ごはんが残っている。おかずもこんなに。混ぜておにぎりにしちゃいましょう」  そう言って、先生はいつもおにぎりを握ってくれた。 「食べたいひとー、手をあげてー」  と、先生がみんなに聞くと、たくさんの人が手を上げた。じゃんけんで勝った人がそれをもらえた。私も2回食

      • あの日、弾けなかった曲

         小学生の頃、ドリマトーンという電子オルガンを習っていて、発表会の曲を選ぶ日が好きだった。その日は、自分がドリマトーンに触れることはなく、先生が候補曲をいくつか弾いてくれて、その中から自分の弾きたい曲をひとつだけ選んだ。先生の美しい演奏を聴くのが大好きだった。  小学校4年生の頃、先生が私の発表会の候補に選んでくれた曲は3つあり、一曲目は『鉄腕アトム』、二曲目は『ゲゲゲの鬼太郎』…この二つは正直ピンと来なかった。小1から小3まで、アニメの曲ばかり発表会で弾いてきたので、アニ

        • 【ゴリラは心の拠り所】1.春の足音

           春の風が吹き抜ける4月のキンメ高校。海からの潮風に混じって、校庭の桜の花びらが舞い踊る。授業を終えた松原小梅は、放課後、友達になったばかりの白浜美世子と一緒に部活動の見学をする約束をしていた。美世子は、吹奏楽部に興味を持っていたが、小梅はまだどの部活に入るか決めかねていた。どの部活も新入生を歓迎する雰囲気で、いっぱいだった。 「行こう、小梅」  美世子が元気に声をかける。二人はところどころで配られる部活紹介のビラをいっぱいに抱えながら、お互いの趣味のことや、昨日見たバラ

        私の生い立ち6 ぶちまけられたパン粉(11歳)

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        記事

          私の生い立ち4 ぼくらのホラーブーム(8歳〜9歳)

           1991年、小学校2年生。この年のことは、ほとんど覚えていないので、槇原敬之の『どんなときも』が大ヒットした年と書いておこう。ただし、この歌手のことを私が知るのは、もっとずっと後のこと。  アニメ『きんぎょ注意報!』にハマっていた私は、講談社の少女漫画雑誌『なかよし』を毎月、買っていた。『きんぎょ注意報!』のほかに好きだった漫画は、『コンなパニック』『パラダイスカフェ』『ミラクル⭐︎ガールズ』など。放課後、公園に集まり『りぼん』を買っている友達や、『ちゃお』を買っている友

          私の生い立ち4 ぼくらのホラーブーム(8歳〜9歳)

          夏休みのラジオ体操

           2019年8月2日(金)息子が小学校2年生の時の思い出。  午前6時。天気は晴れ。蝉が元気よく鳴いている。住んでいる地域は違うけれど、私が小学生の頃、見た景色と変わらない夏の朝だ。ああ、ラジオ体操日和だな、と思う。小学2年生の息子は眠たそうな顔をしながら、パジャマから、Tシャツと半ズボンへと着替え、ラジオ体操のカードを首からぶら下げた。 「もう慣れたでしょう。一人で行ってみたら」 「一人はいやだ」  息子は、まだまだ私から離れることができない。息子と同級生の子は、も

          夏休みのラジオ体操

          私の生い立ち3 ドリマトーンとことばの教室(6歳〜7歳)

           母は本当は「モモ子」ではなく、「モモ」と名付けたかったと言っていた。でも、祖母が「子」の字がないとおかしいと言ったので、「モモ子」という名前になったそうだ。そんな本名のせいか、私はピンク色のものを与えられることが多かった。洋服も、お弁当箱も水筒もピンク色が多かった。だけど、私にはピンク色は似合わない。特に日本の伝統色で桃色と呼ばれるような淡いピンク色は似合わない。黄色や緑色の元気な色のほうが好きだし似合っている気がする。大人になった今でもそう思う(今、文章を書いたり、短歌を

          私の生い立ち3 ドリマトーンとことばの教室(6歳〜7歳)

          1階1列18番に捨ててきた気持ち

          「そろそろ起きなさい。もう出かける時間だよ」  夫に優しく起こされ、枕元のスマートフォンを見ると、16時をすぎていた。コンサート中、疲れないようにと少しだけ眠るつもりだったが、2時間くらい昼寝していた。コンサートの開場時間は17時。ささっとワンピースに着替え、ぱぱっとファンデーションを塗り、お気に入りのアイシャドウをピッと引いて、5分でメイクを完成させた。ボサボサの髪の毛はささっと溶かして、派手な柄のヘアバンドで、はねた髪の毛をうまく誤魔化した。チケットがぐしゃぐしゃになら

          1階1列18番に捨ててきた気持ち

          2024年6月30日の日記

          「41歳おめでとう」  と、夫が言った。日付が変わる瞬間を、世界で一番好きな人の腕の中で迎え、そのまま眠りについた。  午前6時、起床。天気は曇り。  6月30日、今日は私の41歳の誕生日。41年前の今日、静岡県某所の川から流れてきた大きな桃の中から私は生まれたと両親は言った。なんてSFチックな生まれ方なのだろう。  そんなことは!!!どーでもよくて!!!  今日は、これから14時35分発の新幹線に乗って東京に行かなければいけない。マッキーこと槇原敬之がゲスト出演す

          2024年6月30日の日記

          私の生い立ち2 おたふく騒動(5歳〜6歳)

           新しい家は、海まで歩いて5分で行けるような場所だった。私と一つ下の弟、キン太郎には、それぞれ部屋が与えられたが、6歳までは広い畳の部屋に敷布団を敷き、家族4人で寝ていた。隣の家には、弟と同い年の女の子と、その弟が住んでいて、4人でよく遊んでいた。  B保育園では、おつきさま組だった。私は、おつきさま組の中で一番背が高く、みんなに揶揄われるのが嫌だった。とくに男の子たちは、いつも乱暴で、どうしても仲良くできなかった。髪をはさみで切られたり、腕を噛まれたり、突然殴られたりもし

          私の生い立ち2 おたふく騒動(5歳〜6歳)

          私の生い立ち1 黄色いウサギ(0歳〜4歳まで)

           小学6年生の頃、「生い立ちの記」を書くという宿題があり、私は1ページも書けなくて、先生にめちゃくちゃ怒られた。「自分の生い立ちを親に聞きながら書きましょう」というが、当時、私は親と喧嘩ばかりしていて、たとえ宿題だとしても、親とは口を聞きたくなかったこと。楽しい思い出もそれなりにあったはずなのに、いじめられていたことばかりを鮮明に思い出してしまい、書けなかったこと。小学校6年生の時の担任だった熱血男性教師に抱いてしまった不信感。40歳になった今では、親や担任に反抗していた自分

          私の生い立ち1 黄色いウサギ(0歳〜4歳まで)