こんな先生は嫌だ!!!
某ドラマで出てきた、賢者の贈り物というお話のの読書感想文のシーンで、先生のコメントがどうにも嫌だった。
〜賢者の贈り物〜
Wikipediaさんでもざっくりとあらすじが載ってました。
ドラマではYouTubeで読み聞かせ動画があったけど、現実にもあるのかしら……?
さてさて、ドラマの話に戻ります。
子どもがそのお話についての読書感想文で、
「2人ともおっちょこちょい。打ち合わせすれば良かったって後悔したと思う」
と書いた。
それに対して、教師は
『本当に2人はそう思ったのかな?』
というようなコメントを添え、再提出をさせる。
いやいやいやそれはね、ダメだと思う。
典型的なダメパターンだよね?
お話を通じて感じ取ってほしいこと、読み取ってほしい登場人物の気持ち、学んでほしい教訓……そういうのは確かに存在するし、テストなんかでもそこを書かせることになるので、それをつかまないまま先に進んでしまっては、その単元の学習としては不足するのかもしれない。
でも!でも!よ。
教師の意図から外れたからって、子どもの書いた内容を否定しちゃダメよ。
まして読書感想文なんだから、どんな感想も、その子の感想なんだから、それはそれでいいのよ。
間違えてなんかいないのよ。
さらにその続きのシーンで、感想文を
「贈り物は思いやりだったと思う」
と書き直したのに対して
『そうだね!』
との教師のコメント。
いやだから、お前はその登場人物本人じゃねえだろうよ。
正解も不正解もないのよ。感想文なんだから。
教師が意図した読み取って欲しい内容へと誘導して満足するのは、ただの教師の自己満よ。
そんな教え方をして、子どもが大人の顔色窺って、自分が抱いた率直な感想じゃなく、空気を読んだソツない感想しか話せなく成長したらどうしてくれんのよ。
世の中、予定調和なことばかりじゃないのよ。
教師の意図する方向へ誘導してお利口さんな回答をさせるよりも、子どもが真剣に考えたことはそれとして受け止めてあげた上で、さらにもう少し視野を広げ、大切な教訓も見つけることができるような力を育ててあげてほしいわけよ。
最初の感想にやり直し出すのは良いとして、そこに書き添えるコメントは感想を否定するものではなく、
『本当にそれだけで終わってしまったかな?もう少し考えてみようね』
と伝えて、もっとじっくり読んでみる、最初に受ける印象の他に、じっくり読み解くことで見えてくるものがあるかもしれないことを示唆する。
そして2回目の感想には、
『前回よりも深く2人の気持ちを考えることができたね、見方が広がったね』
と褒めてあげる……そういう指導をしてやっておくれよ。
最初の感想だって、間違えてなんかないし、ダメなわけでもないんだ。
教師の意図を掴むことが正解なわけじゃないし、教師が読み取った内容が正解とも限らないんだ。
教師だって本当は登場人物の本当の気持ちなんか、分かりはしない……だって、教師だって登場人物とは他人なんだから。
でも、じっくりと読んで、考えてみることで、違う見え方も出てくることがある。
パッと最初の印象で決めつけたり、目に見えるものだけにとらわれずに物事を見たら、失敗や残念なことや悲しく思えることも、もしかしたら幸せなことだったり、心温まることが隠れているかもしれない。
私は、そういうことを、子どもたちには実感として学んでもらいたいな。
ドラマ自体はめちゃくちゃ面白くて、テンポも雰囲気もとっても大好きで、ゲラゲラ笑いながら楽しく見て、次回も楽しみ!な気持ちでいるので、その『先生』のコメントだけがどうにも気に入らなかった。
現実に存在する先生じゃなくて良かった。
非実在青少年ならぬ非実在教師に、ついつい苛立ってしまった私なのでした。
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