
私の生い立ち8 中学校に馴染めず自分の世界に籠る(13歳)
前回までのあらすじ
小学校6年生。担任の教師の熱血指導。先生との交換日記、男子トイレの掃除、どうしても提出できなかった宿題の生い立ちの記。
1996年。A東中学校に入学。バスに乗って通学をしていた。1学年2クラスで、私は1年B組だった。
この中学校は、バレーボール部、バスケットボール部、テニス部、卓球部があり、必ずどこかの部活に入らなければいけなかった。この中のどれにも入りたくなかったけど、テニス部に見学をしに行くことにした。でも、見学していたら、男子テニス部を見学していた同級生の男子たちに言われた。
「お前のスコート姿見たくないんだけど」
「太い脚見せるな」
その場では笑ってみせたけど、これ以上、自分が傷つくのが嫌で、逃げるように卓球部に入部した。そこでは、いかにも運動が嫌いな人たちが集まって、だらだらと練習をしていた。それは、私が卓球部に入りたくない理由の一つだった。私も運動が苦手だが、そんな理由で卓球部に入部するのは、悔しかったし自分の中で許せなかった。だから、球拾いも筋トレも真面目にやろうと頑張った。朝練にも毎日参加した。先輩たちとも仲良くしてもらったし、他の一年生が球拾いしている中、私は先輩とラリーをやらせてもらったりもした。
また、この中学校には、誰が決めたのか、いつから始まったのかわからない、校則にはないおかしなルールがたくさんあった。バスは来た人順ではなく3年生の男子から乗るとか、先輩には立ち止まって挨拶しなければいけないとか、3年生女子の髪型は自由だけど1、2年生の髪型はショートヘア、または長い場合は耳より下で結ばなければいけないとか、1、2年生女子だけでハンバーガー屋に行っては行けないとか。そのルールを破ると「先輩に目をつけられる」というけれど、実際どうなるかはわからない。こういうルールをなくしていかなければいけないのに、上級生や保護者が面白がって、どんどん周りの人に伝え、それを下級生が鵜呑みにしてしまうから収拾がつかなくなる。私は、そんな学校に馴染めなかった。むしゃくしゃしたり、消えたいと思うたび、授業を抜け出し保健室に篭った。ダメな生徒だった。
そんな私の昼休みは、友達の輪に入っていけず、いつも図書室で過ごしていた。赤川次郎の『三毛猫ホームズ』シリーズや、星新一のショートショートが大好きでよく読んでいた。銀色夏生や工藤直子の詩も好きだったし、山田かまちの本もとても印象に残っている。
一学期の期末テストの順位は中の下。数学、理科、社会が全然できなかった。父と母は
「あなたは真面目な子だから、もっとできると思っていた」
と、とてもショックを受けていた。習い事のドリマトーンもやめさせられた。ただ、それで勉強するようになったわけではなく、家に帰るとヘッドホンをしてドリマトーンで、新しい曲を独学で練習したり、好きな音楽を聞いたり、ラジオを聴いたり、学校から借りてきた本を読んだり、週刊少年ジャンプを読んだり、ますます自分の世界に籠るようになった。ラジオから流れてくる『JET STREAM』の機長が「ではまた明日の午前0時にこのラウンジでお会いしましょう」という挨拶をする頃、眠りについていた。
二学期の期末テスト、三学期の学年末テストと、テストの順位はどんどんと下がっていった。テストの成績を見せるたび、父から、母から、きつく叱られた。