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【移住雑記149日目】大雪と消える境界線

雪が降った。厚真では何十年に一度の大雪らしい。

あたり一面は雪で覆われ、車道や駐車場の白線も見えない。いつも通っているはずの道が、なぜか全く違って見える。街に出ると、それぞれの家の前で雪かきをしている人たちがいる。中には白い息を吐きながら空を仰ぎ、延々と降り続ける雪にやれやれだといった表情を浮かべている人もいる。

「大変でしょ、厚真はこんなに降ることほとんどないんだけどね」

歓迎してくれているのか、洗礼を浴びせているのか。とにかくこんなに雪が降るのを見るのは生まれて初めてなので、寒いとか困るという以上に僕は興奮していた。誰も踏んでいない新雪があちこちにあって、そこを踏み込むときに足裏に感じる独特の感触が心地よい。

田畑の広い一面が白く覆われて、ところどころにキツネやキジだろうか、動物たちの小さな足跡が点線になって続いている。家の裏のなんでもないような空き地に、そんな細い線の交差が日を追うごとに増えていく。人間にはわからない、生き物ごとの冬の過ごし方があるのだろう。


東京に住んでいた頃、冬が大嫌いだった。寒くて、日が短くて、厚着をすると肩が凝る。北海道に行くと決めた時、何人かの友人から「どうしてまたそんな無理を」と言われるくらいに冬嫌いだった自分が、ここのところ何故か元気に過ごしている。

いつもお邪魔している中学生の勉強会に行った時、ふと僕が外に出たタイミングで近くにいた男の子に雪玉を作ってぶつけると、彼らも応戦してきた。夜の歩道で始まった突然の雪合戦。最初は男子だけだったけれど、気が付くと女の子たちも外に出てきて、四方八方から雪が飛んできた。いつもは人見知りな僕も中学生も、雪を投げ合っているうちに何故か距離が近くなっていくみたいで、指先がきんきんに冷たくなるまでぎゃははと笑いあう。

とんでもない量の雪が降った次の日の朝、アパートの下の階に住むお兄さんのノックで目が覚めた。ぼさぼさの寝癖頭でドアを開けると、「おはよう!今日の午後、うちの前にもついに・・・除雪が入るから車移動させるよ。・・・あんちゃん、今起きた?」ということだった。今まで駐車場で挨拶を交わすくらいしかなかったお兄さんと雪かきをしているうちに、妙な一体感が生まれる。「こっちはやっときます!」「じゃああっちは任しておいて」

除雪が間に合わず、あちこちで人が助け合って雪かきをしている。道沿いに除けられた雪の山は徐々に高くなっていき、今や僕の身長を超えるほどに大きくなっている。もこもこと膨らむ雪の山は映画館の売店のポップコーンみたいに見える。腹が減る。あちこちで除雪の話をしている。

暮らしのなかに積もった雪が、暮らしを繋げている感覚。家と家のあいだだけでなく、人と人のあいだにも雪があって同じ暮らしの中にいる。この雪のあいだ、あらゆる境界線が雪の下に埋もれている。

先日、母親と電話をした時に「元気そうだね、珍しく」と言われた。冬嫌いな僕が、北海道に来て冬を好きになるなんて、それはちょっとできすぎた話にも聞こえる。洗礼はきっとこれからかもしれない。この冬が終わるまで、大好きとは絶対に言わないでおこうと思う。近所の保育園で子どもたちが雪山を登って笑う声が、今日も聞こえる。

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