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なんで芸術家が飯を食べていけないんだ!

こんな演奏上手いのになんでこんな人がこれっぽちの給料しか貰えないのだろう?

と思ったことありませんか。

どのような人を芸術家かと呼ぶかは人によって少し違うかもしれないが、例えば作曲家、ミュージシャン、画家、作家、漫画家、などなど。個人的には芸人や大道芸人、研究者なんかも一種の芸術家であると感じる。

まず最初に断っておくが、僕は芸術家でも何でもない、ただの火星を研究する大学院生である。最近ブルシットジョブ(訳: クソみたいな仕事)という本を読み始めたところで、疑問に感じたこと、世の中の闇をつらつらと書いてみることにする。(読み始めたと言っても前書きの部分しかまだ読んでいない)

この本によると、なんで自分はこんな仕事をしているのだろう?、この仕事は本当に社会に必要とされているのだろうか?と思いながら働いている人がこの世の中にはたくさんいるらしい。統計情報もあるし、自分でも思い当たる節はある。正直この仕事無くてもみんな困らないだろうなと思う仕事は結構ある。全くその仕事を否定しているわけではないし、社会的価値を決める客観的尺度は存在しない。
鉄道動かないとみんな困ってしまうのは言うまでもない。音楽が無くなった世の中なんてつまらないし、絵のない世界もちっともワクワクしない。苺がないショートケーキみたいだ。ただ甘いだけで酸味がない、酸味があることでより甘さが際立つもんだ。

今の世の中は、生活に彩りを与えてくれる音楽や絵(もちろんそれ以外にも僕たちを豊かにしてくれる芸術はたくさんある)を作って魅せてくれる人にお金が集まらない仕組みになっている。資本主義の中では、利潤を生んでくれる事業に対してインセンティブがあるようにできている。労働に対して価値が付与され、それが値段というラベルに置き換えられる。そのラベルに従って労働価値を交換可能にするお金という媒介道具を使って僕たちは生活しているのだ。

ただ現在は、決して社会的価値を基準にインセンティブが与えられる社会構造にはなっていない。念の為断っておくが、別に資本主義を批判しているわけでは無く、資本主義は人類至上で1,2を争うレベルの画期的なシステムで、誰でも資本を募って今まで不可能だった莫大な金額を必要とするプロジェクトを可能にし、人類を豊かにしたことに間違いないと思う。

でもそうなってるものは仕方ないじゃん。そう思うのも無理はないと思う。このシステムは一個人がそう簡単に変えられるものではないのは明らかだ。
じゃあ自分に何ができるのだろう?

僕は一人一人がこんな意識も持ってみるのが大事なんじゃないかなと思う。まず、自分の生活を豊かにしてくれるものにどんなものがあるか考えてみる。例えば好きなアーティストの音楽や漫画、noteにある誰かのエッセイだっていい。自然が好きなら地球環境を大事にしている会社も自分を豊かにしてくれているのかもしれない。
次に、そんな活動をしている人や団体を応援してみる。どんな形でもいいと思う。コメント欄に応援メッセージ書いたり、記事をシェアしたりするだけでも大きな力になる。もちろん寄付も素晴らしい。
一人一人が”ありがとう”という気持ちを持って見返りを求めず、お互いを支え合う社会になってほしい。

もし、こんな拙い記事を読んでくれた人がいたら、自分の生活を豊かにしてくれている人や事を思い浮かべて、どんな形でもいいので応援してみてくれたら嬉しいです。


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