【本願寺が京都へ移転】1591年1月19日
豊臣秀吉が本願寺を京都六条の地に移す。信長との10年戦争が終結、大坂を秀吉に明け渡した。京都に行ってからの本願寺は時の権力者に利用される。基本的に教主は世襲、内輪揉めが酷くなる。秀吉に接近し重用された准如、閑職に追いやられていた教如。これに目を付けたのが家康だった。秀吉を本尊とする豊国社に隣接していた本願寺から、教如に新たに分寺と寄進し、東西の本願寺が成立した。その事により教団は分断され勢力も弱まり江戸幕府に取り込まれて行く。秀忠の寺社御法度により、寺は戸籍や檀家と言った幕府の徴税政策の歯車にされてしまった #べらぼう #大河ドラマ
