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【戸次川の戦い】1586年12月12日

【戸次川の戦い】1586年12月12日
島津軍が秀吉方の軍監仙石秀久率いる征討軍を豊後戸次川で粉砕、長宗我部信親が戦死。秀吉の九州征伐は北九州の中国軍と佐多岬からの四国軍の2隊。先に渡海したのが四国軍の総勢2万。しかし仙石秀久の豊臣軍、四国軍、大友軍の混成部隊。大友は長い島津との戦いで疲弊、四国は長宗我部を中心としていたが、まだ四国征伐から間もなく、しかもその直前まで熾烈な戦いをしておりまとまりが無い。士気旺盛なのは豊臣だけだった。軍監仙石秀久は秀吉に良い報告がしたいだけの凡将。この状況を全く理解しておらず長宗我部父子の反対を押し切って豊臣秀長の本隊到着を待たずに6000で長宗我部をまず島津兄弟NO1の軍略家家久にぶつける。信親は奮戦したが、家久は1万以上の旺盛な軍。冬の戸次川を無理に渡河させられ信親は戦死 #光る君へ #大河ドラマ

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