【里見義豊、鎌倉侵攻】1526年12月15日
【里見義豊、鎌倉侵攻】1526年12月15日
里見義豊が鎌倉に乱入、三浦沖の海戦で伊東主膳・小笠原源左衛門ら北条軍を撃破、乱戦のうちに鶴岡八幡宮が炎上したため撤兵。安房、現在の南房総市富浦に水軍を終結し鎌倉の由比ガ浜に上陸、同時に三浦半島攻略の噂も流し北条軍の分散に成功。また友軍の上杉が玉縄城を攻撃し鎌倉を挟み撃ちにした。乱戦の中、里見氏の乱取りが酷く、鎌倉時代以来の宝物が多数流失した。戦いは里見有利となっていたが、関東武士の守護神、源氏の流れの里見氏は八幡宮は炎上するのをみて驚愕し撤退となった。戦果以上にこの失態の影響は絶大で、北条と敵対していた小弓公方足利義晴は鎌倉の守護と八幡宮を統括する「雪下殿」だった事などで、北条氏からの八幡宮再建要請には誰一人異論を唱えられなかった #光る君へ #大河ドラマ