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武田信玄には、何人の妻がいたか、ご存知でしょうか?

武田信玄には、何人の妻がいたか、ご存知でしょうか?
フィクションで度々注目される薄幸の美女・諏訪御料人の印象が強いせいか。
信玄には「英雄色を好む」印象もあるかもしれませんが、現実はどうだったのか。
どんな女性が側にいたのか。好みだったのか。また、その子供たちは。
初婚は扇谷上杉家当主・上杉朝興の娘です。11歳だった。翌年お産で母子ともに死亡。2年後左大臣・三条公頼の娘である三条夫人が嫁いできたのです。甲斐源氏武田にとって政治的に重要だった。武田義信、海野信親、武田信之、黄梅院、見性院、真竜院の子を成す。しかし男子は皆早逝し家督相続は出来なかった。そして有名な諏訪御料人、諏訪を謀略で下し側室にしたいわく付きだが武田勝頼を生み家督相続した。この2人がゆうめいですが、その他、禰津御料人、油川夫人などが記録に残っていますが、まだ複数いた可能性が高い。家名の存続には欠かせないが、それ以外侵攻先の国人が誼を通じる為に側室に上げるケースが多く、単に「英雄色を好む」では無い政治力学が有る。信長の甲州征伐で高遠城の激戦を戦った仁科信盛は油川夫人の子。女子も有力家臣に嫁し一門衆に加わり家中万全に寄与した #べらぼう #大河ドラマ

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