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声が出せないひきこもりニートだった自分が普通の人になった話

noteで投稿するのは今回が初めてです。

こどもの頃、私の家庭は近所ではそこそこ裕福な家庭でした。母親から期待され、ピアノ、スイミングスクール、塾と一通りの習い事をさせられていました。

その当時は甘やかされ過保護を受ける反面、うまく出来なかったらとても厳しく、ヒステリックに怒られたものです。


私は母親の操り人形でした。


小学5年生のあるとき、些細なことをきっかけに友達と話せなくなり、学校はおろか、祖父母や妹とも話せなくなったのです。最初は意地を張っていたのでしょう。

しかし時間が経つにつれ、話せない自分を変えられなくなっていったのです。

登校拒否をするのは時間の問題でした。最初はトイレに立て籠りました。熱があるだの、お腹がいたいだの。

最初の方こそ父親が無理やり引きずり出していましたが、毎日続くと親も諦めます。私は小学6年生から中学2年生の夏まで、学校に行かない日々を過ごしました。

なぜ中学2年生までなのかと言うと、この頃、学校の担任が近所のクラスメイトたちに迎えに行くようお願いしていたのです。最初こそ母親に言って断ってもらっていましたが、何回も迎えに来てくれるのが嬉しいのと申し訳ないのとで、登校する気になりました。


登校したのはよかったですが、当然勉強はついていけません。さらに相変わらず人と話せないので、意志疎通は首を縦か横に振るだけです。中学生の私は将来を悲観しました。

そうして半分だけの中学校生活は終わり、まともに勉強もしなかった私は私立の専門学校へと進学しました。

今思い返しても、その頃の私はなにも努力をしていませんでした。

高校でも同じです。ひとつだけ進歩したのは、出席簿の時だけ返事が出来るようになったことです。それ以外のコミュニケーションは相変わらず首を振るだけでした。

学校生活にモチベーションはなく、ただ時間を浪費する毎日。アニメに出てくるような青春とは無縁です。高校生活後半は不登校が増えていきました。

やがて高校も卒業を迎えます。人と話せず勉強も出来ず。。。そんな私が就職など出来るはずもありません。

そこから、ひきこもりニート生活が始まったのです。。



人と話すのが怖い。人と接するのが怖い。


私は毎日食べて寝て、テレビを見るかゲームをするだけの生活をしていました。


ある時、ネトゲに興味を持ちました。18歳か19歳あたりだったと思います。

当時のインターネットはWindows95が主流の時代です。ネットは普及しておらず、スマホなどもちろんありません。

そのゲームは「ファンタシースターオンライン1&2」というニンテンドーゲームキューブのゲームです。

このゲームはオンラインモードで全国の人と一緒にプレイが出来る、当時のコンシューマ機では珍しいものでした。

私は意気込んでプレイしましたが、オンラインに行く勇気はなく、ある程度慣れてからにしようとオフラインモードでレベル上げをしていました。

これくらいやれば他の人に迷惑かけないかなってところまでレベルを上げて、いよいよオンラインモードへ。

ローディング画面で心拍数が高まります。ロビーに着くとたくさんの人がいましたが、私は人のいないロビーへすぐに移動します。人のいる部屋に入る勇気などあるはずがありません。今でも鮮明に覚えているのですが、そのときはハロウィンの時期で、ロビーにカボチャの装飾と特別なBGMが流れていました。

私は自分で部屋を作って誰かが来るのを待ちました。


人のいないロビーで部屋を作っているので、そう簡単には誰も来ません。そわそわするだけです。



○○さんが入室しています…


!!!


私の心臓は飛び出しそうでした。



震える指でキーボードを打ちます。


「こんにちは」


………



以上が私の過去であり、原点です。

このゲームで出会い、仲間と言える人たちに影響を受けたことをきっかけに、外に出る勇気が持てました。今となっては過去の自分もそんなに悪くなかったと思っています。

昔の私のように、人と接するのが怖い。人と話すのが怖い。そんな風に悩んでいる人の心が、少しでも軽くなるような記事を書いていこうと思っています。

ここまで見ていただいた方に、心からの感謝を述べたいと思います。最後までご覧いただきありがとうございました。



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