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「死者に会える」サービスに悪影響があるとしても、望む気持ちに共感

最近、生成AIを利用した、「死者に会える」サービスが世界各国で生まれつつあるようです。

TBSが報じた中国のサービスでは、亡くなった老人や、幼くして亡くなった子どもの動画を作って、家族にAIサービスを提供している。

ITmedia ビジネスオンラインより

少し前に、個人で生成AIを利用して、亡くなった奥様の画像や音声を再現されている男性が話題になりましたが、個人ではなくサービスとして提供されるようになるという事実に胸を打たれます。大規模なサービスになるということは、それだけ望む人が多いということ。

記事によると、本当に自然で、本人が喋っているのと遜色が無いそうです。

原始仏教の時代から、人間が望むことは、「死なないこと、老いないこと、病気にならないこと」でした。もはや遺伝子に刻まれた望みなのか、私たち人間の歴史は、常にそれに向かって技術を発達させてきました。

生成AIが≪死によって愛する人と引き裂かれない≫ために活用されるのは意外ではありますが、理解できます。

結局のところ、愛する人を失うと「もう一度だけ声が聞けるならなんでもする」と願ってしまいます。世界中に人はいっぱい居るし、亡くした人は唯一無二の聖人という訳じゃありません。それなのに、どうして他の人では代えがきかないのでしょうか。自分の生存に支障が無いのに、なんで自分の全てを失ったように感じるのでしょうか。

愛情や愛着とは本当に不思議です。

対話型の人格再現サービスが出来て、あたかも相手が旅に出ているだけであるかのように、「あなたがいなくて寂しい」と伝えられるなら、何を捨てても惜しくない。

時間が経ち、すでに死別を乗り越えているとしても、「もう一度だけ話したい」と思うのは人情だと思います。

それを叶えてくれるなら、まさに夢のサービスです。

懸念点

記事によると、「死者と気軽に話せることは、精神衛生上よろしくないかもしれない」という趣旨の懸念があるらしいです。

言わずもがな依存してしまったり、現実から目を背けやすくなってしまうかもしれません。どういった影響があるかは、研究が待たれるところです。

ただ、一つの事実として、「死者と対話する」という状況は別に新しいものではありません。もともと人間は自分の頭の中で死者と話す能力を持っています。ふとした時に話しかけ、風や物音、匂いにその人を感じたりできます。想像力の強い人は、話すだけでなく夢想の中で体に触れたり、微笑みをかわすことだって出来るのです。

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どこまで・いつまで夢想に耽溺するかは人それぞれですが、死者を懐かしんでも、たいていの場合、時間が経てば前に進むことが出来ます。それはこのサービスを利用しても、同じではないかと思います。死別によるショックでうつ病などの精神疾患を患うぐらいなら、和らげるために大いに役立つ可能性に価値があると考えています。

もちろん、「死者自身が生前それを望むか」といったプライバシー的な問題はありますが、この世は結局生きている人間のもの。残された人の苦しみが和らぐなら、それに越したことは無いでしょう。

あまり規制されず、普及しますように

ちょっと極端かもしれませんが、個人的には、「死は自然の摂理だから、受け入れるべき」という考え方には同意できません。

かつて人類が空を飛べなかった頃、仕方なく船や陸路で移動していただけであるように、「死」も今までの技術でどうしようもなかったから仕方なく受け入れて来ただけです。「死」の本質は残酷さそのものであり、人間が最後に乗り越えるべき課題ではないでしょうか。

その克服方法が、デジタルであれアナログであれ構いませんが、アプローチの一つとしてとても興味深いと思います。

そしてまた、大切な人を失った人の救いとして、広く利用できるように普及してくれることを願います。


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