冷蔵庫と電子レンジとタンスを一度に持ち上げないといけなくなった話
完全リモートワークに移行して数か月経ったある日、チームのメンバーにzoomで画面共有しながらとあるWEBページを見ていたときのことである。
突然、誰かが噴き出すような音がした。
『ちょ、YeKuさんのPC画面、上からだんだん表示されてくるんですけどww』
指摘してきたのはチームリーダーである。
「はい?」
言われてブラウザを見ると、ページが一瞬で表示されず、画面上部から細切れに表示されていっている。
zoomで画面共有しているせいで、いつもより表示が遅いのだろう。
昔からパソコンを使っている人は分かるだろうが、黎明期ののインターネットサーフィンとはこういうものだった。
「気のせいです」
私は一応言ってみたが、明らかに気のせいではない。
現在進行形で表示が遅い様子がみんなに共有されている。
案の定、ヘッドホンの向こうから、メンバーの笑い声が聞こえてくる。ひとしきり笑った後、チームリーダーが代表して言った。
『YeKuさんちのネット回線どうなってるんですかwww』
私は聞かれ、唸った。答えたくないが、答えないわけにもいかない。
「ADSLですけど……」
『今どきADSLって! 速度どのぐらいなんですか?』
「いや……10Mbpsしか出ないですけど……」
『遅ッ! 時代はギガですよ?』
時代はギガって言いたいだけじゃん。
えー、一応解説しておくとメガとかギガとかいうのはこの場合通信データ速度を示す単位のことで、約1000メガ(M)で1ギガ(G)である。つまりこのリーダーは「お前の家の回線はテンで話にならない」と言っている。いやいや。
「いや、普段はzoom通話だって問題ないですし、普通に動画も見れますし。ADSLだと光回線にするよりも数千円安いんですよ」
『でもYeKuさんはゲーマーじゃないですか。ゲーマーはつよつよ回線でしょ』
確かに私はPCゲームが好きで、300本ほどのゲームをライブラリに持ち、一番遊んでいるゲームのプレイ時間は1000時間を超える。さらにSwitchもPS5もQuestも持っている。これがゲーマーじゃなくてなんだろうか。
だがゲーマーはみんなつよつよ回線というのは偏見ではなかろうか。
「……でも、私ネトゲはやらないんですよ」
そう、私はつらい人間社会から一時気を逸らすためにゲームをやっているフシがある。ゲームでまで人間社会に入ってどうするのか。ということでAPEXなどを始めとした対人のゲームはプレイしない主義だ。
『そんなこと言ったって、最近のゲーム、何十ギガもあるじゃないですか。どうやってダウンロードするんです?』
私は返事に窮した。
「それは……だから……数日待ってればダウンロード終わってます」
『遅ッ! 発売日にすぐプレイできないじゃないですか!』
「発売日なんて飾りですよ! 他人と競うものじゃないんですよ!」
私は言い張って会話を終えた。
まあ、別に光回線に切り替えてもいいのだが、まず、私はケチで、固定費が増えることをかなり嫌悪する性質がある。
それに、数年前に住んでいたアパートで光回線に切り替えようとしたとき問い合わせたら、1ヶ月以上も待たされて、結局「切り替えできない」と言われたことがかなりトラウマになっている。
第一、何か仕事でダウンロードするものがある時に、「いや……回線が遅くてなかなか終わらないんですよねえ」とか言ってればその間サボれるじゃないか。
そんなわけでいくらリーダーに笑われようと、切り替えようという気にはなれなかった。文句言うなら、私の光回線代をリーダーのポケットマネーで支払ってくれ。
と思っていたのだが、ある日、自社から些少なリモートワーク手当をもらえることになったので、光回線に変えてもいいかも? と思えてきた。
チームリーダーには平気なフリをしたが、ゲームのダウンロードが遅いのは若干苦痛である。なんだって毎回毎回、一つゲームを遊ぶために数時間~数日待たされるのだろうか。
大体、仕事もリモートワークなんだし。ネット回線は強化しておくべきだろう。
という訳でアパートの管理会社に確認したり、業者に申し込んだりして光回線への準備を整えたのはいいのだが、一つ問題があった。
電話回線の場所である。
光回線は電話回線から引き入れるのだが、肝心の電話回線の場所がよろしくない。冷蔵庫と電子レンジとタンスがハマった謎のラックに塞がれている。
そう、ここでタイトル回収である。
この謎のラックは、数十年前、私が一人暮らしを始める時に設置したもので、もはやどういう経緯でこの状態になっているのか思いだせない。引っ越しの時はこの状態のまま運んでもらってきた。
にも関わらず、光回線の工事の際、電話回線の前を50cmは空けるように求められたのである。
50cm……??
上図の通り、現状は5cmも空いてない。ここを空けるためには謎のラックを持ち上げないといけないが、このラックは冷蔵庫とタンスと電子レンジを搭載しており、軽く見積もって70Kgはくだらないと思われる。
一応、持ち上げようと試みたが、ズラすことすら困難だった。
私は地道にラックからタンスなどを取り外す……とは考えなかった。
楽がしたい。できるだけ何もしたくない。これが私のモチベーションである。
非力な私が重いものを持ち上げる方法は何かないのだろうか……。
考えた末に、これを買った。
そう、重いものを持ち上げる=テコである。
テコしか勝たん。
私はテコを妄信していた。異世界転生した人は大体テコを活用している。マンガ『Dr.Stone』で仙空もテコ使ってたような気がするし。とにかくテコの原理は人間の力を何倍にも跳ね上げる魔法のパワーなのだ!
私はテコ棒をラックの足部分に差し込み、押し込んだ。
すると……。
上がる……! 持ち上がる……! 数十キロある不動のラックが!
やはりテコ! 時代はテコ!
テコ棒でラックの端を持ち上げ、コロ付きの台車部分をすかさず滑り込ませる!
フォオオオ! これはうまくいった。
私はこの調子でラックの足部分すべてに台車を滑り込ませた。
なお、このテコ棒で持ち上げる作業、思ったよりも力がいった。汗だくになった。地道にラックから積載物を下した方が良かったかもしれない。いや、そんなはずはない! 弱気になるな! 死ぬこと以外はかすり傷!
私は自分を励ましながら、ラックに力をかけて、少しずつ前に押し出した。
ガタッ!
台車についている車輪がちゃんと動かない。台車の一つが抜け落ちて、ラックの足の一部が床に落ちる。私はそのたびにもう一度テコ棒を滑り込ませ、再び台車を足に噛ませた。ラック自体が重いのでなかなか動かず、十分な隙間が空くまで数十回はこの工程を繰り返した。何度も心が折れそうになった。それでもなんとか、私はやり切った……!
気が付けば3時間経っていた。
ようやく空いた隙間を見て、私はぜえぜえと息をつきながら、思った。
え、これ、戻す時、もう一度やらないといけないの?
***
――後日、光回線工事は無事に終わった。
工事業者の方を見送った後、私はおもむろにラックのところまで歩いていく。
重くて腰が死ぬかと思ったが、なんとか電子レンジをラックから外した。
タンスの引き出しを外して全部外に出した。
そうしてからラックにテコ棒を差し込んで、台車を噛ませる。
ラックは、いとも軽々と元の位置に戻っていった。
それから、電子レンジやタンスの引き出しをラックに戻す。
全部で30分もかからなかった。
私はふうと汗をぬぐい、しみじみ思う。
テコに騙された。私はテコを過信したのだ。
急がばまわれとはこのことだ。この世に銀の弾丸は無い。地道にやっていくのが一番確実だということだろう。
とはいえ、何事も一度試してみるということが大事なのも事実だ。今回はうまくいかなかったが、自分の手で試したことで、いい学びになった。
テコは万能ではない。
これが今回学んだことである。
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