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川村亘平斎のペタペタラジオ#2(ゲスト:神谷知里さん)


ー川村亘平斎のペタペタラジオー
全国各地でフィールドワークをしながら、土地の記憶を手がかりに影絵芝居を作り続ける影絵師・音楽家川村亘平斎が、各地で出会った人たちをお招きして、制作中の影絵芝居や土地のこと、音楽のことなどをお話しします。「peta」はインドネシア語で「地図」という意味。こちらのnoteでは、Podcastで放送されているペタペタラジオを文字起こしして写真や映像とともにお届けします。
Podcastはこちら/川村亘平斎ウェブサイトはこちら


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島での共同生活から影絵をつくる

川村:神谷さんと僕は今も新しいプロジェクトをやっています。神谷さん、どういうプロジェクトか紹介していただけますか?

神谷:そうですね、昨年までは小豆島の福田集落を舞台に影絵制作を川村さんと4年間連続でフィールドワークをしながらつくってきました。今年は私自身が新しい一般社団法人を直島で立ち上げたこともあって、直島を舞台にして影絵をつくるというのを一緒にやらせてもらいたいなーというので始めています。
「直島影絵」というプロジェクトで、島外の人たちを関係人口として島に呼んで、一緒になにかのプロジェクトをやるということで補助金も活用してやっています。島の外から「直島影絵」の出演者として参加するメンバーを募集しました。このあいだ、9月に1週間の滞在制作をみんなでして、11月23日24日が影絵公演の本番になります。公演に向けてもう1回、1週間島に集まって一緒に滞在制作をしながら本番を迎えることをプロジェクトの最終的なアウトプットとして考えているものですね。

「直島影絵」の公演は11月23日24日(詳細はこちら

川村:2022年の瀬戸内国際芸術祭のときにも小豆島でこれのプロトタイプみたいなのをやりましたよね。そのときは、僕が神谷さんとか地元の人たちとフィールドワークを事前にしていて。物語をある程度立ち上げた状態で、全国から影絵芝居と新しい村祭りに参加したい人を募集しました。
1週間くらい共同生活をして、僕がフィールドワークした場所をまわったり影絵の練習をしたり…。そういうふうにしてつくるというのを2年前に1回やっているんですけど、それの進化形として今回この直島のプロジェクトがありますよね。

神谷:そうですね。小豆島では今もやっているところもあるんですけど農村歌舞伎とか、集落のなかで集落の人が集落の人に向けて奉納的に芝居をやるとかなにかを演じる文化がずーっとあって。でも今は過疎化している地域が多くて。それがもうできないっていうところが多いときに、島外から人を呼んで、職業的な役者ではなく市井の若者が土地のものを食べて一緒に暮らしながら奉納的に芝居を土地に返すという枠組みを小豆島の福田で初めて2022年にやりました。
当時は、物語とかなにをやるかというところまでは川村さん自身が作り上げてきて、台本的に参加者が読みながらそこで一緒に暮らしながら芝居をやるっていうことをやったんですけど。今回の直島ではフィードワークとか物語をつくる工程から入ってきてもらう形でやっていますね。 

はじめましての参加者と“家族”になる

川村:今年、実は東京にある東京芸術劇場で近いことをやっていて(東京芸術劇場での企画はこちら)。フィールドワークからみんなが入って、参加者が見つけてきたことを僕は編集するかたちで作品をつくるというのをやってみていて。
今回の直島でも同じようなプロセスを踏んでいるんですが。想像を超えた…なんですかね、参加者同士のつながりっていうんですかね。不思議な空間が生まれるなと思っていて。この先も何年かかけて、いろんな場所でいろんな枠組みで続けられたらいいなと思えるすごく貴重な体験だと思っています。今回、参加している人たちって直島に来るまではオンラインで話してはいますけど、はじめましての人たちでしたよね。

神谷:全員はじめましてですし、地域としては千葉、東京、長野、大阪、京都とかからそれぞれにいらしていて。SNSを通じて広告を出したりして募集をかけたんですけど、直島も知っているけど来たことはありませんって人たちで。なおかつ川村亘平斎さんを知りませんって人がほとんどだったんです。「全く分からないんだけど、でも自分の人生でこのタイミングなんだと思って応募しました」って人たちが多くて。それは私も驚きましたね。

川村:しかも、18歳以上という募集をしていたんだけど、「5歳と1歳の娘も連れて行っていいですか?」って応募があって。参加者は1歳から60代までという、すごいチームになっていますよね(笑)。
 
神谷:私たちも補助金の活用をしていることもあって、募集要項には<都市部在住の若者を募集する>という文言を書いていたんですが、応募の年齢制限の上限を取っ払ったら1歳から60代までになるっていう(笑)。

川村:それがすごく重要だった気がします。直島のなかでどういうことをやったかでいうと、僕は2日遅れて行ったんですけど、事前に神谷さんたちにワークショップ参加の人たち9人と、直島の周りの島を船でまわってもらったり、直島にある美術館を見てもらったり。事前にフィールドワークの下地を作ってもらっていて。その後、僕も入って島の方たちにお話しを聞くとか、お話しのなかで出てきた面白そうな場所に行ってみるとか。そういうことを5日間くらいやっていますよね。

神谷:そうですね。滞在自体は川村さんが来てからの期間も含めて10日間くらいいるのかな。

川村:直島の周辺の島々っていうのは実は古墳がたくさんあって。旧石器時代の矢じりとか土器みたいなものもいっぱい人が住んでいない島にもあったりして。そういうところをみんな見に行ったりして。直島というとアートの島ってイメージがあるけど、そういうずーっと昔の記憶だったり、100年くらい前から三菱マテリアルの工場が島のなかで大きな力を持っていて。その歴史を知るとか。
そういうことをいろんな年齢のはじめましてのメンバーが、一緒にチームになってしかも共同生活でやっていったらなんか知らないけど家族の新しい形みたいな…。妙な仲の良さが出てきているのが面白いなと思いました。

神谷:直島って直島諸島といわれる群島一帯で、27の島々でなっているんです。そのメインが“アートの島・直島”といわれています。最初に参加者が来たときに、クルージングで直島諸島がどこなのかというのをいろいろまわって、そのなかに縄文の頃の遺跡とか石器の欠片が落ちている浜辺があったり、あの辺一帯の歴史に触れられるような場所ですね。

川村:そこは島の人もあんまり行かないもんね。

神谷:島の子どもたちでもあんまり知らないかもしれないですね。

影絵をつくるだけではない、エンパワーメントの瞬間

川村:非常に貴重な体験をさせてもらったなと思うんですよね。最近、市民参加で物語を探すってときにいつもやってもらっているのが、それぞれ自分の目線で街を歩いてもらうんだけど。「自分が感じた違和感とかすごく小さなことでもいいんで持って帰ってください」と。それを持ち寄ってその断片で物語をつくっていくことをやっているんですね。
最終的にみんなで影絵をつくることが参加者の頭のなかにあるから、街の違和感とか島の違和感っていったときに、普段は目につかないような場所の影の部分っていうんですかね。目には見えないんだけどなにかあるかもしれないっていうものを参加者が自然と感じてくれているみたいなんですよね。
今回の「直島影絵」に参加した人たちはすごく面白い視点をぽんぽん投げてくれるし、二拠点で暮らしている人も多くて、アクティブにいろんな場所に動いている人たちだから、自分の主張がはっきりあって。物語づくりのミーティングも話がすごく盛り上がって面白かったですよね。

神谷:集まった参加者がパフォーマーだったり表現者だったっていうのもあったかもしれないです。 

川村:フィールドワークをして物語を探すっていうのは一人でやっているじゃないですか。みんなで移動しているけど、一人ひとりが自分の目線で場所を見ていて、それを持ち寄って全部を照らし合わせると、「この人と私は同じ目線だったんだ」とか「違う目線だけど物語としてくっつけると繋がりがあるんだ」とか。
2個か3個くらいクッションを置いて誰かと繋がってみる体験というのがコミュニケーションの仕方として面白いなとすごく思っているんですね。今まで体験したことのない繋がり方だなとは思っています。
 
神谷:自分自身が感じたり発見したと思っていることを言葉として出していくことと、それが他者と繋がり合ったという瞬間ってすごくエンパワーメントされるというか。

川村:うんうん 

神谷:すごく元気が出てきますよね。そういう形で場の熱量があがっていくのは見えたなと思います。

川村:エンパワーメントって非常に重要ですよね。今回の「直島影絵」はそれがすごく強くて、どう繋がっているかはわからないんだけど…。それぞれが探してきたものは断片断片でつながりがないもののように見えるんだけど、それが一個の物語の形として道筋が見えてくるとそれぞれがより強く光り出すというか。エンパワーされて1が2ではなく4とか8くらいに膨らんでいくというか。そういう感じがすごくありますね。

フィールドワークから物語をつくるということ

今回、11月にやる「直島影絵」では大きく2つの物語をやろうと思っていて。そのうちの1つはフィールドワークで参加者と一緒につくった物語をやろうと思っているんですね。「のらくら地蔵」という全く新しい昔話。タイトルからなにから全部新しくつくりました。この物語は、今回のフィールドワークで見つけたいろんなことを題材につくっています。

ーのらくら地蔵ー
舞台は直島です。直島の島民たちがどんどん失踪する事件が起きます。残された人たちはどうしようどうしようといっていると、そこに牛頭馬頭(ごずめず)という地獄の門番が現れて、1人連れて行っちゃうんですね。
連れていかれた人は地獄に行っちゃって、地獄の門番に「お前はYESなのかNOなのか?」と問い詰められる。YESって答えると片一方の鬼が怒って頭を叩く。そうするとカニになってしまう。別の村人がまた連れていかれて前の人がYESって答えてカニになったから、NOって答えると今度は反対側の鬼が怒ってカニに変えちゃう。島民がどんどんカニに変えられちゃう。
島中カニだらけになると人はどんどん減っていっちゃう。いったいどうしたらカニになっちゃった人間をもとに戻せるんだろうと。地蔵山に住むのらくら地蔵にお参りすると地獄から人を救ってくれるらしいという伝説を思い出して、のらくら地蔵のところに行きます。すると、地蔵が歌い出すんですね。「のらくら~のらくら~のらくら~音頭~」って。歌い出すとそこにいたカニたちが踊り出して次々に人間に復活してくる。「ああ、なるほど。こうすればカニになっちゃった人をもとに戻せるんだ」ってなって。
残された村人たちが、のらくら地蔵を担いで直島にある古い古いトンネルに入っていきます。その先に地獄があって、その地獄でのらくら地蔵のスイッチをオンにしてさっきの曲をかけるんですね。そうすると地獄中のカニが踊り出して、地獄の門番も踊り出して、みんな人間になって島に戻ってくる。

神谷:ちゃんとこうやって連なりで聞くと物語ですね。 

川村:そうですね(笑)、すごく荒唐無稽に聞こえたかもしれませんがほぼほぼ全部フィールドワークで見つけた話を繋げていますよね。 
例えば島民がカニになってしまうということは、直島も観光地としては有名ですけど、過疎で人が減っていて空き家もあります。空き家が並んでいるところに大量のカニが歩いていて、フィールドワークに参加した若い子がそれを見て「わぁ、これもう島民がみんなカニに変えられちゃったんじゃないの」って言ったんですよね。これだ!って思いました。実はその後、『ダンダダン』って漫画を読んだら死んだ人の魂が地獄に行くのにカニに変身するっていうエピソードがあって、これあながち嘘じゃないなっていう。

川村:地獄の門番がYES/NOを出してくるというのは…僕はいろんな土地で土地の物語をつくるけど、その土地の人間ではないんですよね。ざっくりいうと、そこの土地のネイティブではないですよね。ネイティブでない人間が、どうしてその土地のものを扱っていいのか?というのは非常にセンシティブ。世界中で起こっている問題に繋がる問いだと思うんですけど、それに近い問いがフィールドワークの参加者と話をしているときにあがってきて。ネイティブなのか非ネイティブなのかというYES or NOで自分の立場を明確にしないといけないというのが現代的な地獄というかですね。僕らの宿命だったりするんですけど、それはもう逃げきれないなにかなんじゃないかと。

川村:そのときに、島のお地蔵さんの前掛けを修理しているというお年寄りの方に話を聞きに行って。お地蔵さんは地獄に行った子どもたちを呼び戻すためにいるんだみたいなお話しを聞いて。YES/NOの地獄から現代に呼び戻すための地蔵がいてもいいんじゃないかと。それで地蔵のアイコンがでてきたんですね。そこで一番キーになるのが「のらくら」ってことです。直島とかどこでもそうですけど、ものすごく小さい場所で限られた人数で住んでいて、そのときに誰が悪い誰が良いとはっきり決めちゃうとそこの場所ではやっていけないですよね。みんながそれぞれを思いやってその場所で生きていくっていう一つの倫理観というか。そういうのは大事かなと思ったんですよね。いろんな話を聞いて。
火事の話も興味深かったですね。直島で火事がけっこう起きると。火の不始末だったりするんだろうけど、それが誰であるかってことをはっきりさせないっていうことは結構大事なことかなと思ったんですよね。のらりくらりやるっていうのもいいかもしれないねっていう。YES or NOということを突き付けられるときにその答えを一旦保留にして、自分がちゃんとそれに向き合えるときになったらもう1度出すっていう。一旦保留にするっていうことをのらくら地蔵っていう形にして物語にしてみたと。 

神谷:いろんなところからのらくらの文脈が出てきたんですよね、もともと直島の領主だった人が豊臣の時代には豊臣についたし、徳川が勝ったら徳川につくみたいな生存戦略をやっていたりとか。地域の人にインタビューしに行ってもここがすごく面白いみたいなところを一生懸命しゃべってくれるんだけどオチはつけないみたいな。

川村:あの感じ良いですよね。 

神谷:不思議とそれを共通してみんながそれぞれ思っていたのが面白かったですね。 

与えるから、差し出すから、力が湧く

川村:それが物語の向いていく方向な気がしたんですよね、少なくとも直島では。ほかの場所ではその美意識みたいなものは違うってなっちゃうかもしれないんだけど、直島でより良く生きるっていうことの1つの形としてはあるかなと思ったんですよね。まあ、そんな話をつくっていて、ワークショップ参加者はサザエさんの家みたいなところで共同生活なんですよね。

神谷:そこまで広くない一軒家に5人の想定でいたところが9人になったまま押し込まれて(笑)。

川村:しかも男性1人っていうね(笑)。作品をぎゅっとつくるときに一緒に生活しているってことはすごく重要だったのかもしれないなと思いますね。作品づくりのなかでみんなで話しているときも、それぞれが直島で見たものをもっとみんなの共通理解として深く理解するにはどうしたらいいだろうって。
それぞれが考えて、自分の身体のもっと底のほうまで落として、お互い持ち寄っているイメージがあったんですよね。現実的に見えている直島ではなくて、より深いところで島らしさというか、島に暮らす人たちの深い心理状態を探し出そうとすること。みんなで手に手をとって潜っていこうとする感じが同じ営みをともにしている感じというか。
与えられたものではないですよね。なにか一緒にいることを与えられたというよりも、自分たちから一緒にいようとするというか。一緒に進んでいこうとするこの営みが、すごく家族の信頼関係もしくは僕らがイメージとして思う良い家族のモデルと意識のなかでくっついた気がしたんですよね。
 
神谷:1歳から60代の参加者って話をしましたけど、10代20代…各年代の人たちが集まっていて、世話を焼く相手がいたりとか、何十歳離れた人がいたりとか。そういう形も良かったと思うし、それぞれのキャラクターもあったと思うんですけど。さっきのYESかNoかはっきりさせなきゃいけない地獄じゃないですが、答えの定まっていないことを「こうだと思う」っていうことに対する恐れがすごく現代を生きている自分たちのなかにありますよね。フィールドワークをしていくなかでこれが答えじゃないかもしれないというか、合ってないかもしれないという状態で、でも個人的に感じたり見たものを差し出していくことのなかで、安心感みたいなものは生まれていくというか。言っても良いんだとか表現しても良いんだという場ができていった感じは受け取りました。

川村:バリの芸能をずっと学んでいる身としては、バリの人たちは常に自分たちが島に対して捧げものをしている自己認識があるんですよね。そういうことって、たぶん僕ら日本でも大事なんじゃないかなっていうのを今回の企画を通じてすごく感じたんです。参加した人たち自身が励まし合うというか、それによって自分のなかの力が湧くみたいなこと。
それは誰かからもらったから湧いているんじゃなくて、自分が差し出したから湧いているんですよね。それって最近の消費社会とか資本主義のなかでは持ちにくい感覚で見失っちゃいがち。安心はもらうものだと思っているんですけど、実は差し出すことで湧いてくる。そういうことは今回すごくキーワードな感じがしますね。
あと、直島の参加者のほとんどの人が僕のアトリエにやってくるっていう。影絵人形をつくるのを手伝いに来るんですね。みんなフットワーク軽すぎだろって(笑)。

神谷:そこに行って、またみんなと会ったらもう一度元気が湧くって感じがするんですよね。

川村:実際そういう感じになった。みんなですっごい豚肉焼いて食いましたけど(笑)、人形づくりはそこそこにして。

神谷:また1歳と5歳の子も来たんですよね。 

川村:あ、来ました来ました。1泊して海行ったりしてました。そういうふうにして、場所に縛られずに自分の気持ちがおもむくところに行けるっていう、そういう時代が来ると良いですよね。

唯一無二の出来事になっていく

神谷:個人的な興味なんですけど、自分で物語をつくるほうが簡単じゃないですか。たくさんの人の意見とか視点が入ってきて編集してまとめあげるっていうのは結構パワーのいることだと思うんですけど、川村さん自身は制作のやり方を試行錯誤されているなかで、やりづらさみたいなものはないんですか?大変ではないですか?

川村:大変は大変ですね。だけど、いわゆる芸術家が芸術作品として物語をつくるっていう視点ではきっとつくっていないんですよ僕。むしろ、ファンタジーが体験になるってことが大事で。例えばバリ島だとお芝居があるんですけど、お芝居はそのままお祭りの儀礼につっこんでくんですよね。
フィクションで見ていくんだけど、フィクションだった役者たちがトランス儀礼でトランスしていくと。そうなった時点でそれはお芝居じゃなくて出来事になってるじゃない?その場で起きている出来事なんですよ。たき火で火が燃えているってことと同じことになるんですよね。お芝居だったのに。これが非常に大事だと思っているんですね。
物語が物語で終わらないで、出来事になること。物語はあくまでも乗り物でしかなくて、最終的になにかの出来事になってほしいから。そうすると多くの事実とか多くの視点がそこに含まれていたほうが、出来事になるんじゃないかなと思っているんですね。 

神谷:今回の直島でみんなフィールドワークをして物語をつくる作業をしていたはずなのに、気が付けばアトリエまで来ちゃったっていうのは出来事になっているんですよね。
 
川村:そうですね、そのことのほうが大事だと思います。“その人がそういうふうに生きてしまった”ということのほうが大事だなと思います。消費されないってことですね、抽象的にいうと。「面白い映画見たー楽しかったー」で終わらないんですよ、出来事になると。そこに自分も参加しているんだって意識になると「じゃあ、私はこの役割をしよう」って自分が動き出すようになると思うので、そういうことがすごく大事だと思います。

川村:じゃあですね、この「直島影絵」は一般にも公開されるものですね。

神谷:そうですね、はい。 

川村:11月にやるイベントの告知をしていただきましょう。 

神谷:ありがとうございます。今もうチケットの販売がpeatixのほうで始まっているんですけど、「直島影絵-のらくら地蔵-」というタイトルで11月の23日土曜日と24日日曜日の2DAYSで直島ホールという場所で夕方の17:30-18:30の約1時間の影絵公演を予定しております。非常に面白いものができあがるんじゃないかって、自分が一番わくわくしているのでぜひたくさんの方に見に来ていただけたらなと思っています。

川村:すごく良いホールですよね。 

神谷:三分一博志さんという方が設計された空間で、ホールのなかも360度白い壁でラウンドに広がっているんですけど、そこに影絵を映してパフォーマンスの一部として使えたらなと思っていて。

川村:ごろっとしながら見れる感じですもんね。 

神谷:そうですね、ちょっと移動もしながら影絵の空間を楽しんでもらえたらいいなと思っていて。小さいお子さんも走り回っちゃうんじゃないかなって心配もあると思うんですけど、逆に走り回ってほしいくらいの素敵なところです。

川村:ぜひみなさん来てください。それではそろそろ今回の放送を終わろうと思いますが、月に1回くらい放送しようと思っております。今後は神谷さんとお話しした直島影絵の現場でどういうことがパフォーマンスになったかとか、12月には僕が主宰している滞空時間の新しいアルバムのリリースライブがありまして、それのお話をしようかなと思っています。
最後に、小豆島で神谷さんとやっていたプロジェクトでつくった曲がありまして、それがなんとスペインのラジオ放送局のワールドミュージックラジオの10月のランキングにランクインしたそうで驚きなんです。最後はその曲を聴きながら終わりにできればと思います。

滞空時間で「福田海山小噺」です。みなさんありがとうございました。


11月23日24日の「直島影絵」についてはこちらをご覧ください。


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