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【エッセイ】マタニティブルーズから抑うつ診断がついた話

病名:抑うつ状態

(病名なのに"状態"って何だろう。)

人生初のメンタルクリニックの扉をたたき、出された診断書を見ながらぼーっとそんなことを考えていました。
2023年10月末、妊娠が発覚した3か月後の秋のことでした。


✍転機

わたしは、ITコンサルとして企業の様々なプロジェクトに外部から参画し、プロジェクトの改善支援や実行支援を行っています。
ほぼリモートの環境下で、ファシリテーションやタスク管理、交通整理といった業務に日々勤しんできました。
ありがたいことに何度か契約を更新していただき、プロジェクトも次第にゴールが見え始め、

「次の契約更新のタイミングで、そろそろもう1つレベルの高い現場に移ってみよう」

そう直属の上司・Aさんと相談していた時でした。

Foremniakowski/gettyimages

2023年夏、第二子の妊娠が判明。
喜びも束の間、次に頭に浮かんだのは仕事のことでした。

今のプロジェクト先にはもう離脱の話をしてしまっている。
次のプロジェクトに参画できても、産休のことを考えると3ヶ月しかいられない。
かといって、どこのプロジェクトにも入らないわけにもいかない。

不安はありましたが、結局、わたしは予定通り今のプロジェクトを抜け、新しいプロジェクトに参画することになりました。

✍不調は突然に

新しいプロジェクトは、前のプロジェクトよりもさらに規模が大きく、高度な業務知識と柔軟な立ち振る舞いが求められるハイレベルなものでした。
培った経験もどう活かせばいいかわからないほど、求められるレベルと実際のレベルとのギャップが大きく、やりづらさを感じながらも何とか業務をこなしていました。

そんな中、急に体に異変が起こりました。

昼夜関係なく襲ってくる猛烈な眠気。
寝ても覚めても常に眠気がまとわりついて、とにかく体がだるい。
頭がさっぱり働いてくれず、集中力も1時間ともちません。
なかなかしんどい状態でしたが、この時は(まだ何も結果を出せていないし、もっと頑張らなくては)と、ガタついた車輪を無理やり走らせるかの如く自分を追い込んでいました。
また、この不調は妊娠からくるものだろうし、眠いだけで弱音を吐くなんて情けなさすぎる、とも思っていたので、Aさんや自社の同僚には、いつも通り何でもないように、努めて明るく振舞っていました。

しかし、状況は次第に悪くなり、今度は相手が言っていることが理解できなくなっていったのです。

元々プロジェクト先の上司は業務スキルは高いけれどもあまり指導に長けている方ではなく、「自分の契約内容に指導・育成は入っていないから」が口癖のような人でした。

なので、「すみません」と手を上げ質問しようものなら、

「何がわからないかわからないんだけど」

とにべもなく切り捨てられるので、その度にわたしは冷水を浴びせられたような気持ちになっていました。

今思えばこの上司の言っていることも一理あるのですが、当時のわたしの激弱メンタルでは受け止めることも受け流すこともできず、ますますどうすればよいかわからない状態に陥ってしまいました。

✍「限界かもしれません」

「プロジェクト先からクレーム来てるよ。今までそんなこと無かったのに珍しいね。どうした?」

Aさんからそう声をかけられた時、わたしはもう以前のように、積極的に仕事関係の人とコミュニケーションを取りに行くことはできなくなっていました。
それもそのはず、前のプロジェクトでの実績をかわれて今のプロジェクトに入ったのに、蓋を開けたら何もアクションは起こさないし、何ならまともに会話もできないのだから、クレームが来るのも当然でした。

さすがにこの状況で「大丈夫です」とは嘘でも言えず、今の状況を正直に話そう、そう思いました。

わからないことだらけなんです。
色々調べてみても解決しませんでした。
でも上手く説明できなくて、聞くのが怖いです。
聞いてみても、話しながら「呆れられているのではないか」と考えてしまいます。
人と話すのが怖いです。
前までできていたことが急にできなくなりました。
与えられた仕事はしっかりやりたいけど、心がしんどいです…。

「あの、」

モニターに映る上司に向かって口を開いた瞬間、頭の中が真っ白になって、目頭が熱くなりました。

あー、もう無理だ、これ。

そして、涙声になりながら、なんとか一言絞り出すことができました。

「すみません、ちょっともう、限界かもしれません」

✍「抑うつ」と言われて

Aさんはすぐ自社の営業担当と連携し、わたしがプロジェクトから外れられるよう動いてくれました。
その上で、どこかメンタルクリニックか病院の精神科で診断書をもらって、産休までの残り期間は休職しては?と提案されました。

そして、冒頭に至ります。

その後はあれよあれよと休職手続きが進み、仕事関係の一切からいったん離れることになりました。

ちなみに「抑うつ」とはなかなか耳慣れない単語ですが、クリニックの医師によると「明確な線引きはされていないが、うつの一歩手前の状態」なんだそうです。
ただのマタニティブルーズだと思っていたので、まさか自分がうつになりかけていたとは驚きでしたが、実際に診断書を目にして、謎に安心した記憶があります。

休職してすぐの頃は、とにかく感情が平坦になっていて、1日中ふさぎ込んだりうまく笑えないことが続きました。
朝食を食べながら急に泣き出すこともあったので、上の娘が、不思議そうな、心配そうな表情をしていたのを覚えています。
そんな娘の様子を見て、愛おしいやら情けないやらでまた涙が出てきたり。

それから年が明けて、休職が産休に切り替わり、春先に無事第二子となる息子を出産しました。

まだ人と話す時に、相手にどう思われているかを気にして少し尻込みしてしまうところはありますが、幸い投薬せずに復調することができました。
働くことに対する意欲はすっかり戻り、現在は家事育児の傍らで仕事のリハビリをしている毎日です。


この経験を書こうと思ったのは、誰かの気持ちを楽にしたいとか、何かに役立てたいとか、そんな高尚なものでは無く、あくまで自己満足なんですが。それでも、こんな拙い文章が、投稿を読んでくださったあなたの心のどこかに刺さってくれたら嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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