終戦記念日だし玉音放送の最終原稿をバージョン1と比べてみよう
終戦記念日だ。
玉音放送の原稿(正しくは終戦詔勅で,それを音読したのが玉音放送)は社会科の資料集なんかにも載っているのでチラ見したことある人も多いと思う。
今だと国立公文書館のデジタルアーカイブからすぐに見ることができる。便利になったもんだ。
Wikipediaなんかにも書いているように,玉音放送の原稿は御前会議で最後の最後まで修正が繰り返され,最後の清書(浄書)が同時進行だったので公開版にも追加や修正の跡が見られる(青で囲った)。
では,この他にどういった修正が加えられて原稿は完成したのだろうか。玉音放送はバージョン1どころか,全てのバージョンをオンラインで見ることができる。公文書のあるべき姿だよ。
驚きなのは鉛筆書きというところ。時代というか,状況を感じる。文の区切りが分かるように青字で番号を付けた。
これがどう変わったのか。1ページ目だけ見てみよう。なお全体の書き換えの様子は以下の石渡氏(公文書館の職員)による論文が分かりやすい。この記事も同論文をおおいに参照した。
石渡隆之「終戦の詔書成立過程」『北の丸』第28号,pp.3-20. (元は縦書き)
第1文
第1文からして大きく違う。比較しやすいように並べてみる(カッコの現代語訳は朝日新聞より。ただしバージョン1は松浦が適宜変更)。
朕兹ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
(私はここに忠義で善良なあなた方国民に伝える)朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
(私は,深く世界の情勢と日本の現状について考え,非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い,ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える)
つまり,背景となる言葉が追加されているわけだ。背景大事だよって授業で言ってるけど,まさにそのパターンだ。
第2文
朕ハ帝國政府ヲシテ米英重慶ソヴィーエート政府ニ對シ各國共同宜言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
(私は,日本国政府に,アメリカ・イギリス・中華民国国民政府・ソビエトに対して,各国共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた)朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宜言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
(私は,日本国政府に,アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して,それらによる共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた)
当時の中国(中華民国)は南京を日本が占領しており首都が重慶にあったため俗称として重慶政府と呼ばれていた。また,ポツダム宣言を受諾するという通告を日本政府にさせたというのは決める主体が天皇だったことを理解するうえで分かりやすいと思う。
ちなみにソヴィーエートの表記がけっこうグッと来るのだが,これが「蘇」になったのは第4案と書かれているものからだ(ちなみに資料全体で9つあり,案としては第5案まであると見ておけばいいだろう)。この第3案に対する修正意見はメモ書きが残されていて,そこに重慶政府を支那に書き換えた経緯は分かるのだけど,ソヴィーエートを書き換えた理由まではここからは分からない。単に漢字表記に揃えるということだろうか。
第3行「米英二國並ニ重慶政権ソヴィエート聯邦」ハ「「米英支蘇」四國政府」トス
(重慶政権トハ今更言フヘキニ非ス)
(私訳:重慶政権なんて今さら言うものではない)
もうひとつ注目したいというか意地を感じたのは第3案の時点では中国もあくまで「政権」で「国」ではないと見なしていたところだ。これは誰が言ったのだろうか。
第3文
世界人類ノ和平ト帝國臣民ノ康寧トヲ冀求スルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
(世界人類の和平と日本国民の平穏無事とを希求することは歴代天皇が大切にしてきた教えであり,私が常々心中強く抱き続けているものである)抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ架ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
(そもそも,日本国民の平穏無事を確保し,すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは,歴代天皇が大切にしてきた教えであり,私が常々心中強く抱き続けているものである)
バージョン1では日本国民のことしか言ってなかったのだけど,いつの間にか世界の人々の話にまで広げていた。これも同じく第4案で書き換わったのだけど,修正意見には入っていない。
第4文
第4文は2ページ目にまでわたるのだけど,そちらはリンクの画像からどうぞ。
嚢ニ米英二國ニ對スル宣戦ヲ敢テセル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國主權ノ毀損ト領土ノ侵害トハ固ヨリ朕カ素志ニアラス
(先にアメリカ・イギリスの2国に対する宣戦をあえてしたのも,まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり,他国の主権の破壊と領土の侵害は,もとより私が以前から持った志ではない)嚢ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
(先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも,まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり,他国の主権を排除して領土を侵すようなことは,もとより私の本意ではない)
当初「あえて」と入れていたのは「戦争に追い込まれた」という気持ちを出したもので,太平洋戦争の背景に資源問題があったこととの整合性を取るという点では納得いく書き方だろう。次の「主権」のくだりでは話し言葉っぽくしたかったのかなというように見える。最後,「素志」から「素」を抜いたのは「もとより」との重複を避けたのかな。
以上,1ページ目だけ読んでみた。あらためて名前は知ってるけど読むことがなかった文献を読むとと,内容がイメージとだいぶ違うことが実感できる。玉音放送の場合,私はもっと負けを認めるという色が強い文章かなと思っていたのだけど,読んでみると言い訳とはいかないまでもそういうニュアンスを随所に感じた。
みんなもぜひいろんな資料をデジタルアーカイブなどで探してみてほしい。