家族の映画|『スープとイデオロギー』、『沈没家族』
先日、ヤンヨンヒ監督の映画『スープとイデオロギー』を観に行った。
映画の余韻が覚めやらぬまま映画館を出たところで、いきなり中年の女性(同じ映画を観ていたらしい)から「どうでした?映画」と感想を求められた。にこにこと微笑みながら私の答えを待つ女性を前にして、この女性は私がなんと答えるのを望んでいるんだろうか、政治的にあまり踏み込んだ感想は言わない方がいいのだろうか、でもとてもいい映画だったので正直な感想を言いたい、とぐちゃぐちゃ考えた挙句、「泣きました」と咄嗟に答えた。そしたら女性も「私も号泣した!!」と返してきたので、ひとしきり二人で映画の感想を話し合って別れた。
よくわからない出来事だったけれど、あの女性の気持ちが私にも分かる。思わず人に感想を言いたくなるような、とても心揺さぶられる映画だったから。
ヤンヨンヒ監督は大阪にあるコリアンタウン出身の在日朝鮮人二世で、監督の両親–アボジ(父)とオモニ(母)は朝鮮総連の熱心な活動家だった。ヤン監督には三人の兄がいるが、両親は「帰国事業」の際に兄たちを全員北朝鮮に送り、それ以来家族は長年離れ離れで暮らしている。
監督はこれまでも家族と北朝鮮を題材にしたドキュメンタリー映画を数本撮っているのだけれど、本作『スープとイデオロギー』は監督のオモニと1948年に済州島で起こった4・3事件を題材にしている。その題名の通り、家族と家族が背負ってきた歴史に焦点を当てたドキュメンタリー映画だ。
私は過去5回旅行に行ったことがあるほど韓国が好きなのだけれど、在日コリアンの歴史に興味を持ったのは大学2回生の頃だった。民族と教育に関する授業で初めて朝鮮学校や在日コリアンが抱える問題について知り、「どうしてこんな大事なことをこれまで誰も教えてくれなかったんだろう?」と思った。自分の暮らしと地続きの場所にある大きな裂け目に胸がヒリヒリした。
それ以来、在日コリアンの人が書いた本や映画を見たり、朝鮮半島の南北境界線に行くツアーに参加したりもした。ただ単純に韓国の文化が好きだとか歴史に興味があるとか、そういう次元を超えて彼らの抱える葛藤が他人事だとは思えなかった。
それは自分が自死遺族というマイノリティだからなのかもしれない。埋めがたいアイデンティティの空白や所在のなさ、その理不尽さというテーマにどうしても心惹かれてしまう。(私自身は在日コリアンではないのでこんなことを言うともしかしたら失礼なのかもしれないけれど。)
映画を通じて4・3事件について初めて学んだことも多かったけれど、それ以上にこの映画は純粋な家族のドキュメンタリーだと感じた。映画内では民族的な感情や思想が全面に押し出されることなく淡々と物語が進んでいく。それでも、家の中に北朝鮮の「将軍様」の写真が掲げられていたり、オモニが「祖国」(両親はともに済州島にルーツがあるので「故郷」は南側である)を讃える歌を繰り返し歌ったり、日常生活の全体にこの家族が背負ってきたイデオロギーが染み付いている。
結婚の挨拶をしにオモニのもとを訪ねるヤン監督の日本人の夫(監督の亡きアボジは日本人とアメリカ人とは絶対恋愛するなと言った)と同じ目線で、私たちはそれを追体験する。
愛する息子三人との離別を選んでまでも「祖国」を信じ続けてきた両親と、それを受け入れることができなかったヤン監督。監督が抱え続けてきた葛藤は、少女時代に済州島に疎開したオモニの歴史を紐解くことで氷解していく。
オモニが一人で抱えてきた痛みと、北朝鮮という国を信じ続けてきた理由をヤン監督が心から理解したシーンは涙なしでは見られない。
この映画のすごいところは家族という私的な物語から民族的・政治的な断絶という大きな物語について自然と考えさせられるところだと思う。
他者とのあらゆる葛藤や断絶は、ごく身近なところにいる人の痛みを理解し、その人が背負ってきた歴史や人生を受け入れるところから始まるのではないだろうか。
すこし毛色はちがうけれど、同じく家族をテーマにした映画で『沈没家族』もとてもよかったので紹介しておく。
監督は加納土さん。彼は「沈没ハウス」と名付けられた共同保育・共同生活の取り組みの中で育った。
「沈没ハウス」の取り組みだけでなく、シングルマザーになってこの取り組みを始めた(両親は土監督が幼い頃に離婚している)母の穂子さん、「沈没ハウス」の住民たちとは距離を置いていた父の山くんに焦点を当てながら、「家族とは何か?」を模索するドキュメンタリーだ。
両親はなぜ「普通ではない家族」であることを選んだのか。そのことを知るために、監督は父と母にインタビューをする。
映画中一度も3人が一緒にいるシーンはないものの、監督が屋外(海辺や公園)でお酒を飲みながら父と母それぞれにインタビューをするシーンを見ていると、この人は紛れもなくこの両親の息子なのだなぁと思えて微笑ましくなった。「家族とは何か?」を言葉にしなくとも、紛れもなくそこには家族の風景があった。
『スープとイデオロギー』も『沈没家族』も、家族の歴史を紐解きながら監督自身の新たなアイデンティティを獲得していこうとするドキュメンタリーという点ではとても似ているかもしれない。そして私はそういう映画がとても好きで、映画に出てくる彼らのことを羨ましいとも思う。
19年前に自殺した母が今も生きていれば、私たちの間には今とは違う別の大きな葛藤が生まれていただろう。母の精神疾患、両親の離婚、祖父母との軋轢。私もまた「普通ではない家族」の一員として育った。
母の亡きあと、直接語り合うのとは別の方法でアイデンティティの空白を埋めようとしているけれど、もしもそうすることが叶うのだとしたら、そのときはまた別のアイデンティティを発見していただろうか。
*映画を読んだあとにヤンヨンヒ監督の著書を読んだら両親や北朝鮮に渡った兄たちへの思いが知れてとても面白かった。北朝鮮社会の異常性ばかりが取り上げられるけれど、その国には私たちと同じく泣いたり笑ったり冗談を言ったりする普通の人たちの日常がある。ヤンヨンヒ監督の映画、全部見よう。