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タッカー・カールソンのプーチン大統領インタビュー:強いロシアは脅威なのか

前回はカールソン氏のインタビューのうち、ロシア建国からソ連崩壊までの歴史的経緯を振り返ったところまでをご紹介しました。ソ連崩壊後、米露関係は改善するとの見立てとは裏腹に、冷戦の枠組みは維持された理由について、カールソン氏は米中関係を引き合いに出して、ロシア側の見解を尋ねます。


カールソン:しかし、西側が強いロシアを恐れているという説明しか、これまであなたはしてきませんでした。ところが、強い中国という存在に対しては西側はさほど脅威を感じていないように見えます。ロシアはどうでしょう、政治家がそれをやっつけようと決断するのはなぜだと思いますか?

プーチン:ロシアの人口は1億5000万人なのに対し、中国の人口は15億人で、経済は破竹の勢いで成長している(年5%以上で、以前はもっとだった)のですから、西側は強いロシアより強い中国を恐れていますよ。まあ、中国の話はもういいでしょう。かつてビスマルクが言ったように、可能性こそが最重要なのです。中国の可能性は莫大で、購買力平価や経済の規模の観点からは世界最大の経済です。米国をとっくに追い越して、急速に成長しています。誰が誰を恐れているかなんて話はやめましょうよ、そんな考え方はやめましょう。1991年以降ロシアが、「文明国家」という親愛なる家族に迎えられると期待した時に、全然そのようなことは起こらなかったという事実を分析してみましょう。あなたは我々を騙したのです。(「あなた」というのは、あなた個人のことではありませんよ、もちろん、私が云うのは米国のことです。)NATOは東方に拡大しないという約束でしたが、5回起きました。(訳註:1999年から2020年までの間に)拡大は5波にわたって起きました。

我々はそれを全部我慢して、説得しようとしました。我々は「やめてくださいよ、今や私たちはあなた達と同じブルジョワですよ。我々は市場経済で、共産党政権ではありません。交渉しましょう。」と言っていたのです。もっと言うなら、過去にも公に発言したことがありますが、エリツィン時代を振り返ってみましょう、ある種の亀裂が両国の間に生じ始めた瞬間がありました。その前に、エリツィンは米国に来て、覚えていますか、議会で演説し、「アメリカに神の祝福を」という友好的な言葉を述べました。彼の言葉全てが「仲間に入れて」という合図でした。

ユーゴスラビアの問題がどうなったか覚えていますか?それまで、エリツィンは絶賛されていましたが、ユーゴスラビアで問題が起きると、彼はセルビア人を支持して声を上げました。我々はセルビア人を擁護して声を上げるしかありませんでした。あそこで複雑な事情があったことはわかっています、本当に。しかし、セルビア人はまた、私たちにとって特別で親しい国民であり、正教文化だったりということなので、ロシアはセルビア人を支持して声を上げるしかなかったのです。何世代にもわたって多大なるの苦難を経験した国民です。まあ、いずれにせよ、要するに、エリツィンは支持を表明したわけです。米国は何をしましたか?国際法と国連憲章に違反して、ベオグラードを爆撃し始めたのです。
玉手箱を開けてしまったのは米国でした。さらに、ロシアが抗議し、不満を表明したら、何と言われましたか?「国連憲章と国際法は時代遅れになった」と。今更になって、皆が国際法を振りかざしますが、その当時は「国際法なんて全部時代遅れで、全部変えなればならない」なんて言い出していたのです。確かに、勢力の均衡が変わったのですから変えなけれならないところもあるのも事実ですが、こんなやり方ではいけません。エリツィンはすぐさま市中引廻になって、アルコール依存症だ、アホだ、ボケだと非難されたのです。彼はちゃんとわかっていましたよ、私が保証します。
そうこうするうちに、2000年には私が大統領になりました。「まあ、ユーゴスラビア問題は仕方ないが、我々は外交修復をやってみるべきだ。ロシアが通ろうとしたあの扉を再び開けよう。」と思ったのです。そしてさらに、これは公に言ったことがありますが、繰り返します。ここクレムリンで、すぐこの隣の部屋ですよ、任期満了が迫るビル・クリントン大統領との会談で、私は言いました、「ビル、ロシアがNATOに加盟したいって頼んだら、出来そうかな?」と聞いたんです。突然彼は「それ面白いね、いけるんじゃないかな。」と言いました。ところが夜に、夕食の時になったら、彼は「あのさ、ウチの奴らと話したんだけど、ダメだ、今は無理だ」と言ったんです。彼に聞いてみてくださいよ、彼はこのインタビューを見ると思うから、彼が証明してくれるでしょう。起きてなかったらこんな話はしませんから。「そうか、へぇ、今はダメなのか」(訳註:と私は理解したのです)

カールソン:それは本心だったのですか?NATOに加盟するつもりだったのですか?

プーチン:いいかね、私が聞いた質問は、可能かどうかだ。返ってきた答えはダメだった。もし私が指導者の立場を知りたいという願いに不誠実だったら…

カールソン:でも彼が「いいよ」と言っていたら、NATOに加盟したということですか?

プーチン:彼が「いいよ」と言ったら、歩み寄りの過程が始まったはずで、相手方に本気の願望が見られたなら、そのうちそうなったかもしれません。でもそうなりませんでした。「まあ、ダメっちゅうならダメだな、そうか、わかったよ。」(訳註:という結果になってしまった)

カールソン:それはなぜだと思いますか?動機が知りたいのです。あなたが明らかにヘソを曲げておられるところまではわかります。共感しますよ。しかし、当時の西側はあなたの申し出を、なぜそっけなく断ったのだと思いますか?なぜ敵対的だったのか?なぜ冷戦の終焉で関係が改善しなかったのか?あなたから見て、これの動機付けは何ですか?

プーチン:あなたは私が返事に対してヘソを曲げていると言いました。いや、ヘソを曲げているのではなくて、事実関係を述べているのです。夫婦じゃないんですからね、ヘソを曲げるとか、ルサンチマンとか、この手の状況ではそういう問題ではありません。我が国としては、そちらでは我が国が歓迎されていないのだということに気づいただけですよ。しょうがないですよ。だったら別のやり方で外交していきましょう、違うところに共通点をさがしましょう。なぜ我が国がそのような否定的な反応を受けたのかは、おたくのところの指導者に尋ねるべきです。私は、国が大き過ぎるとか、国自体が意見を持っているとか、などなどと推測するしかことしか出来ません。そして米国は…NATOでどのように問題が解決されるのか、私は見てきました。
別の例を出しましょう、ウクライナの件です。アメリカの指導部は圧力をかけ、するとNATOの全加盟国は、たとえ気に食わないことがあっても、従順に投票します。さて、2008年、この点に関してウクライナで何が起こったかについてお話ししますけれど、議論されてはいますが、私は秘密を明かしたり新たな情報を出したりはしません。とにかく、それ以降は、我が国は外交関係を違う方法で築こうとしたということです。例えば、中東での出来事、イラクでは、我が国は米国と非常に柔軟で慎重で注意深い方法で外交関係を築きました。
私は何度も米国に北コーカサスでの分離主義やテロリズムを支援しないようにと訴えました。しかし、彼らは関係なくやり続けました。そして、政治的支援、諜報支援、財政的支援、軍事的支援までもが、米国とその衛星国からコーカサスのテロリスト集団に提供されました。
私の同僚であるアメリカ合衆国の大統領にこの問題を提起したこともあります。彼は「あり得ない!証拠はあるのか?」と言いました。私は「はい」と答えました。私はこの会話のために準備していたので、彼にその証拠を渡しました。彼はそれを見て、何と言ったか知っていますか?(訳註:言葉が悪くて)ごめんなさいね、起きたことなので、引用します。彼は「ああ、奴らのケツを蹴っ飛ばしてやる」と言いました。我々は返事を今か今かと待っていましたが、返事はありませんでした。
私は連邦保安庁の局長に「CIAに手紙を送れ。大統領との会話の結果はどうだった?」と言いました。彼は1回、2回と書いて、やっと、返事をもらえました。その回答は公文書館にありますよ。CIAからの返事は「私たちはロシアの野党と連携してきました。私たちはそれが正しいことだと考えており、今後も続けるつもりです」というものでした。ばかげた話です。まあ、そういうことです。話にならないのだとわかったのです。

カールソン:あなたに対する反対勢力ですか?CIAはあなたの政府を転覆させようとしているのだと思いますか?

プーチン:もちろん、彼らがここで言いたいのは分離主義者、コーカサスで我々と戦った、テロリストたちのことです。それが彼らの言うところの野党です。これが第2の点です。
第3の瞬間は、とても重要なものですが、アメリカのミサイル防衛システム(ABM)が作られた瞬間です。その初めです。私たちは長いこと米国にやめるように説得しました。加えて、ブッシュ・ジュニアの父、ブッシュ・シニアに招かれて彼の海辺の家を訪れた後、私はブッシュ大統領と彼の閣僚と非常に真剣な話し合いをしました。私が提案したのは、米国、ロシア、ヨーロッパが共同でミサイル防衛システムを作ることで、それは米国が公式には、イランからのミサイルの脅威に対して作られていると言ってはいますが、もし一方的に作られた場合、我々の考えでは、我々の安全保障上の脅威になるからです。それ(訳註:イラン)がミサイル防衛システムの展開の正当化でした。私は、ロシア、米国、ヨーロッパで共同で取り組むことを提案しました。彼らはとても興味があると言いました。彼らは「本気ですか?」と私に訊きました。私は「当然です。」と答えました。

カールソン:これは何年の話だったか教えていただけますか?

プーチン:思い出せないですね。インターネットで簡単に見つかりますよ、ブッシュ・シニアの招待で私が米国にいたときのことです。(訳註:おそらく2007年の訪問)人から習うのはもっと簡単ですけど、この時の話をします。とても興味があるという話だったんですよ。それで私が言ったのは、「想像してみてください。もし私達がこのようなグローバルな戦略的安全保障の課題に共同で取り組むことができたら、世界は変わるでしょう。私達の間にはもしかすると経済的、あるいは政治的なところでさえ合意できないこともあるかもしれませんが、世界の状況を根本的に変えることもできます。」ということでした。彼は「そうですね」と言って、「本気ですか?」と訊いてきたから、私は「当然です」と答えました。「ちょっと検討します」と言われたので、「ぜひ、そうしてください」と言いました。その後、R.ゲイツ国防長官、元CIA局長、C.ライス国務長官がここに来ました。まさにこの部屋ですよ。ここで、このテーブルで、彼らがこちら側、私と外務大臣、ロシアの国防大臣は、そちら側に座りました。彼らは私に「検討してきまして、合意します」と言いました。私は「神に感謝、よかった」と言いました。「ただし、例外もいくつかあります」(訳註:などと言われました)

カールソン:なるほど、米国の大統領が判断したことが、後で彼らの機関の長によって覆されるということをあなたは2回も説明しました。ということは、あなたが説明しているのは、あなたの言い分によれば、選挙で選ばれた人によって運営されているのではない体制のように聞こえます。

プーチン:そうなんです、そうなんです。最終的には彼らは要するに失せろと言ったわけです。なんだかんだ言って、これは機密の会話でしたから、あなたに細かいことは教えられません、そういうのは良くないと私は思っていますから。とにかく、私達の提案は拒否されたというのが事実です。
その時こそ私が、「ちょっと、そういうことなら我々としては対応策を講じるしかなくなるぞ。我々はミサイル防衛システムを克服するような攻撃システムを間違いなく作る。」と言った時でした。答えは「別にあなた達にどうにかしようというわけではないから、お好きにどうぞ。我々米国に対してでない限りですけど。」だった。私は、「そうか」と言いました。
結構じゃないですか、そういう成り行きだったのです。それで我々は大陸間の射程の超音速システムを作りましたし、今後も開発し続けます。我々は、超音速打撃システムの開発において、米国や他の国の先を行っていますし、日々改善しています。しかし我々が仕掛けたのではありませんからね、我々としては別の方法を提案して、跳ね除けられたのです。
さて、NATOの東方拡大の件です。まあ、我々は約束されていたわけです、NATOは東に行かない、1インチたりとも東に行かない、と言われていたのです。それでどうなりましたか?彼らは「まあ、書面に銘記されているわけではないので、拡大します」と言ったのです。それで5波に亘る拡大、バルト諸国、東欧全体、などなどがありました。

さて、そしてここからが主要な話になるのですが、彼らは最終的にウクライナまで来ました。2008年のブカレスト首脳会合でウクライナとジョージアについてNATO加盟の道筋があると宣言されました。(訳註:記者会見で述べられたのは「我々は今日、これらの国々が将来的に加盟国になることで合意に達した」という内容であった)
さて、そこでの意思決定がどのように行われるかについてです。ドイツ、フランスや他の欧州数カ国はそれに反対しているようでした。ところが、後になってわかったことですが、ブッシュ大統領は、えらいならず者で、やばい政治家で、後から私が聴いたところによると、「彼は私達に圧力をかけてきたので同意するしかなかったんです」ですって。バカけた話じゃないですか、お幼稚園みたいです。どこに保証があるのでしょうか?どこの幼稚園ですか、どんな人で、誰ですか?お分かりですか、圧力をかけられて、彼らは合意しました。それで後から彼らが言うには、「ウクライナはNATOに加盟なんかしないよ、わかってるでしょう。」ですって。私に言わせれば、「わからないね、君たちが2008年に合意したのは知ってるけど、なぜこれからは合意しないの?」「だってあの時は脅されたんだもん。」「明日にでも脅されるかもしれないじゃない?そしたらまた合意するでしょう。」ということです。
まあ、意味不明ですよ。一体誰と話したらいいのか、私には全然わかりません。こちらは話す準備はできてますよ。しかし、誰と?保証はどこにあるんですか?全然ありません。
こうして、彼らはウクライナの領土を開発し始めました。何がそこにあるにせよ、私はあなたに背景や、その領土がどのように発展したか、ロシアとの関係がどのようなものであったかを話しました。そこにいる2、3人に1人は常にロシアと何らかのつながりを持っていました。
そして、ウクライナを中立国と定めた独立宣言の結果として、すでに独立した主権国家になっているウクライナで選挙の時、そこに対して2008年に突然NATOへの門戸が開かれたのです。おいおい、約束が違うだろう!ところで、ウクライナで権力の座についた大統領はいずれも、何らかの形でロシアに好意的な有権者に依存してきました。これはウクライナの南東部のことです。結構な人数がいます。そして、このロシアに好意的な有権者の意向を変えるのはとても大変なことでした。
ヴィークトル・ヤヌコーヴィチが権力を握ったわけですが、どうだったかと言いますと、1回目は(訳註:2004年の選挙における決選投票で)クチマ大統領の後任として勝利すると、彼らはウクライナの憲法に違反して(訳註:決選投票に続く) 3回目の選挙を企画しました。これはクーデターですよ。想像してみてください、米国で集票結果が気に食わないと誰かが言ったとしたら

カールソン:2014年のことですか?

プーチン:もっと前です。いや、これそれよりも前です。クチマ大統領の後、ヴィークトル・ヤヌコーヴィチが選挙に勝ちました。しかし、彼の反対派はその勝利を認めず、米国は反対派を支持し、3回目の選挙が設定されました。何ですか、これは?クーデターですよ。米国がそれを支持して、3回目の選挙の勝者が権力の座を手に入れました。もし米国で何かが誰かの気に食わないということで、合衆国憲法に違反して、3回目の選挙が企画されたらどうなのか、想像してみてください。とにかく、ウクライナではそういうことがされたのです。
そうか、親西洋的な政治家とされるヴィークトル・ユーシチェンコが、権力の座についたか。仕方ないから、我々は彼とも外交関係を構築しましたよ。彼はモスクワを、我々はキエフを訪問しました。非公式な形式で会いました。彼が親西洋的なら、結構だ。いいから、やらせておけ。状況は独立したウクライナの内部で進展するべきですからね。クチマの指導力で、状況は悪くなり結局ヴィークトル・ヤヌコーヴィチが政権を取りました。
彼は、ともすれば最高の大統領や政治家ではなかったのかもしれません。知りませんけどね。批評するつもりはないですけど。しかし、(訳註:2013年に)EUとの連合の問題が浮上しました。私達はいつでもそれに寛容でした。「お好きにどうぞ」と。ところが、連合の条約を読んでみると、我々にとって問題になることがわかりました。というのも、我々はウクライナとの間に自由貿易通行圏を設定していたので、この連合によって、その(訳註:ウクライナの)国境を欧州に対して開放しなければならないということになると、我々の市場が氾濫につながる可能性がありました。
「ダメです、これはうまくいきませんよ。そうなったら我々はウクライナとの国境を閉じることになります」と我々は言ったのです。関税上の国境のことですよ。ヤヌコーヴィチは、ウクライナにとっての損得勘定をしはじめて、欧州側の相手に「署名する前にもう少し考える時間が必要だ」と言いました。そう彼が言った途端に、野党側が破壊活動を始めて、西側はそれを支援しました。それが最終的にマイダンとクーデターに繋がりました。

カールソン:それで、彼はEUよりもロシアと多く貿易をしたのですか?ウクライナは…

プーチン:もちろんです。それは(訳註:単なる)貿易量の問題ですらなくて、大部分はそうですけれども。それは、ウクライナ経済全体の基礎になっていた協力関係の問題なのです。ソ連時代以来、企業間の協力関係はとても密接でした。あるあちら側の企業は、ロシアとウクライナの両方での組み立て工程がある部品を製造していました。以前はとても密接な関係がありました。
それでクーデターが犯されまして、詳細に踏み込むのは不適切だと思いからやめておきますけど、米国が我々に言ってきたのはこういうことです。「ヤヌコーヴィチを落ち着かせれば、我々は反対派を落ち着かせる。政治的解決の筋書きで状況が展開するようにしよう。」我々は「わかった。同意する。それで行こう。」と言いました。ヤヌコーヴィチは、アメリカ人の要求通り、武装勢力も警察も使用しませんでしたが、武装した反対派はキエフでクーデターを犯しました。それは何を意味するんですかね?「何様のつもりだ?」と私は当時の米国指導部に尋ねたかったですよ。

カールソン:誰の後ろ盾でそうなったのですか?

プーチン:CIAの後ろ盾で、ですよ、もちろん。私が知るところでは、あなたが昔参加したいと思っていた組織ですね。させてもらえなかったことを、我々は神に感謝すべきかもしれませんね。とはいえ、真剣な組織ですよね。わかりますよ。私がソ連の第1総局、ソ連の諜報機関で勤務していたという意味で、私のかつての相手方ですから。彼らは常に我々の対抗者でした。仕事は仕事ですけどね。
彼らは技術的には、すべて正しくやって、政権を交代させるという目標を達成しました。しかし、政治的な観点からは、それは巨大な過ちでした。政治的指導部の誤算だったに違いありません。どんなものに進化するか見極めるべきでした。
おさらいすると、2008年にNATOの扉がウクライナに開かれたのでした。2014年にはクーデターがあり、クーデター(間違いなくクーデターです)を受け入れなかった人々を追及し始め、クリミアに対する脅威を作り出した結果、我々はクリミアを保護下に置かなければならなくなりました。彼らは2014年にドンバスで戦争を始め、民間人に対して戦闘機と迫撃砲を使用しました。それが、ことの始まりです。ドネツクを上空から攻撃する航空機の映像があります。彼らは大規模な軍事作戦を一つ開始し、次にもう一つ開始しました。失敗すると、次のものを準備し始めました。これらすべての背景には、この地域における軍事的な展開とNATOの扉が開かれたことがあります。
これだけのことが起きている時に、どうして懸念を表明しないことができましょうか?そうしたら我々の側は、過失犯ということになってしまうところでした。そうでしょう。超えればロシア自体が破壊される可能性がある一線にまで米国の政治的指導部は我々を追い込んだということですよ。それに、我々は信仰の兄弟であり、事実、ロシア人民の一部でもあるのを、この「兵器」の前に放置するわけにもいきませんでした。

カールソン:でもそれは、現在の紛争が始まる8年前ですよね。あなたにとっての引き金は何だったのでしょうか?やるしかないと決断した瞬間はいつでしたか?

プーチン:元はと言えば、ウクライナでのクーデターが紛争を引き起こしました。
ところで、当時、欧州3カ国の代表者(ドイツ、ポーランド、フランス)が来ました。彼らはヤヌコーヴィチ政権と反対派の間で締結された合意の保証人でした。彼らは保証人としてそれに署名しました。それにもかかわらず、反対派はクーデターを行い、これらの国々はすべて、彼らが平和的和解の保証人であったことを覚えていないふりをしました。彼らはたちまちそれをストーブの中に投げ捨ててしまって、誰も覚えていません。
この事態全部をを政治的な分野に戻す代わりに、クーデターを支援した保証人3カ国と当局、反対派との間での合意について、米国が何か知っていたかのどうか、私は知りません。とはいえ、信じてください、それは無意味でした。なぜなら、ヤヌコーヴィチ大統領はすべての条件を呑んで、率直に言って、誰の目にも勝ち目のない早期選挙をすることにしていました。それならなぜクーデターや、犠牲者が必要なのでしょうか?なぜクリミアを脅かすのでしょうか?なぜドンバスで作戦を開始するのでしょうか?これが私には理解できないところなんですよ。
それがまさに(訳註:米国の政治的指導部の)誤算です。CIAはクーデター遂行させる役割は果たせました。確か、国務次官補のうちの一人(訳註:当時のヌーランド国務次官補)だったと思いますが、曰く、それに50億ドル近くもの大金がかかったということでした。しかし、政治的には巨大な過ちでした!どうしてそんなことをしなければならなかったのでしょうか?これら全部は合法的に、犠牲者を出さず、軍事行動なしで、クリミアを失うこともなくできたことです。もし血まみれのマイダンの出来事のためでなければ、我々は指一本動かすことさえ考えることはなかったでしょう。

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