『八本脚の蝶』をゆっくり読む - 7
2001年6月23日
奥歯さんは、彼女の哲学を行う姿勢について以下のように書いている。
「涵養(かんよう)させ」るというのは聞き慣れない言葉だった。コトバンクを見てみる。
「涵」という言葉にはひたすという意味があるようで、彼女が言おうとしているのは、過去の哲学者の考えというものに自分の持つ考えをゆっくりとひたすように溶け合わせていき、その結果として得られた何かを、自分の口から流れ出させたい、ということであると思う。
クワインの考えを自分の中に移して自分の口から流れ出させる、のではなく、間に自分の考えを涵養させる、というのを置いているので、単に過去の哲学者の考えをそのまま受け入れるのではなく、それに対して自分の考えを溶かし、そして吸収し育った結果としてできるものに意義を感じていたようだ。
「涵養」という言葉を調べたことにより、その次の「自分の口から流れ出させる」という言葉の両方に、水のイメージが含まれているのが分かる。彼女の中にある考えというものが水のようなものであるとイメージしながらこの文章を書いたのかもしれない。
次に、「哲学のダイナミズム」という分かりそうで分からない言葉について。なんとなく、哲学の持つ力強さ、というような意味だろうとは予想できるが、これもコトバンクで見てみる。
これを読んでみると、予想通り「内に秘めた力強いエネルギー」という意味があるのが分かる一方で、なんと哲学という文脈でのダイナミズムという単語も存在しているのが分かる。
これは多分だが、例えば人の魅力というものを、その人の持つ引力と表現するようなことを指すのだと思う。奥歯さんが言っているのはこれのことなのだろうか、という疑問が一瞬出てくる。しかし、まず今回の文脈では関係が無さそうであるのと、日記では「認識の変化する瞬間のスリル」と続く。これが哲学の持つ特徴について述べている以上、ダイナミズムというのも哲学の持つ特徴としての意味であると考えるのが自然かと思う。
そうして上のように奥歯さんの哲学についての姿勢が語られた後で、大学院でやっていくのには「論文を哲学史的用語に整理し、原文と参照することが有意義な読み方なのだ、多分」という批判のようなものを書いている。明文化されている訳ではないが、彼女が参加した読書会というものが、それを感じさせるような内容であって、それに対して少なからず落胆のようなものを感じている印象を受ける。
そして突然話が変わり雑誌オリーブというものについて触れられる。知らないのでとりあえず Wikipedia を見てみる。
日記の日付的に、「2000年7月18日号をもって休刊し、月刊誌にリニューアルして一時復刊するも」とあるように、月刊誌にリニューアルしたタイミングのものだろう。
彼女がつまらなかったと評価するに至った理由については想像するしかないが、この日にあった読書会で感じた落胆というものを払拭するために購入した雑誌の内容が、彼女の求めていたものではなかったことで、その積み重なってしまった感情をぶつけたという流れかもしれない。「つまらなかった」という言葉が、突然話が変化したように感じた読書会と雑誌の両方に向いている言葉だった可能性はある。
そして最後に出てくるVOCEという女性向けの美容雑誌。この雑誌だけは、なんの落胆もなく楽しく読むことができていて欲しいと思う。
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