『八本脚の蝶』をゆっくり読む - 4

2001年6月19日


日記の4日目にして自死に関する話だ。

名前が出た「青山正明」については、調べてみると中々に凄い人であった。ここで簡単に紹介するのも難しかったので、どのような人であったかは以下の Wikipedia を一読してみて欲しい。


この日の日記を何度目かに読んだタイミングで、「気が済んだ」から自死を選ぶという考え方があることに驚いていた。自ら死を選択することを、無意識に逃避のようなものだと考えていたからだと思う。何かに満足して死を選ぶ、そういうことがありえるのだということに気付く。また同時に、他者の行動の理由を考える時には、どうしたって自分の中の常識の範囲内でしか想像することはできず、大抵の場合相手を正しく理解することは不可能なのだとも気付いた。


時系列的にはこの本を何度か読んだあとのことだったが、比較的親しかった叔父にあたる人が自死してしまうということがあった。その時、多分この本を読んでいなかったら、自分が受けたショックやその時の感情を上手く受け入れることが難しかったはずだ。

また、叔父には家族がいて自分より年下の子もいたのだが、彼等に対して自分がかけるべき言葉は何もなく、むしろそれで良いのだと考えることもできなかっただろうと思う。ただそれまで通りに接した。それがうまくできていたのかは分からないし、相手がそれをどう受け取ったかも分からないが。


この note を読んだ人がどのように感じるかはわからないが、自分としてはこの本を読むことが自分の人生と向き合うことの強いきっかけになったということもあり、内容ほど暗い状態で書いたわけではない。それは今後の感想でも全て同じだ。


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