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【文化進化論の動作原理】文藝春秋の堕天過程について。
取り急ぎメモがてら。
-y( ´Д`)。oO○ https://t.co/hZePJc39bB pic.twitter.com/BqUd7MGSUt
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) February 1, 2025
この「だからおもしろい」という見世物の無責任な観客気分が雑誌媒体その他の伸張と共にうっかり爆発拡大してしまったことで、あの「私小説」大誤解の経緯もその後定説化してしもたような方向に固定されてしもたところ、あったんですわなぁ。
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だから、そういう意味で、すでに葛西善造と小林多喜二は同じハコだったわけで。#地雷は踏み抜く pic.twitter.com/OBn27wYM9B
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) February 1, 2025
大正末から昭和初年以降の情報環境においては、「見世物」としての文壇、ブンガク世間という意味で、その頃の私小説もプロレタリア文学も同じハコなんだってばよ。#踏み抜くったら踏み抜く
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それらの外側から「大衆文学」という〈リアル〉wが津波のごとく押し寄せてきたわけで。
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それまでは通俗だの何だの「別のハコ」して無視できていたものが、同じ読みもの文芸紙媒体市場という横並びに等価に放り込まれるようになって、部数と稼ぎと人気とが併せ技で否応なしに見せつけられるようになった、その反動としての「見世物」の尖鋭化。葛西も多喜二もその犠牲みたいなもんで。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) February 1, 2025
そこに「マルクス主義」という、また少し別角度からの、でもこれはこれで強力な「見世物」コンテンツwも同時代的に横失してきた分、いらぬブーストかかりまくったところもありまして( ^ω^)
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「文壇」と「論壇」とが一緒くたごたまぜに同じハコ化していった経緯、につながりますわな、そのへんは。
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「論壇」と「文壇」の来歴 - king-biscuit WORKS https://t.co/0bcS7fHd9c
ケタ違いの部数の向こう側に、「読者」もそれまでと違うありようで見えてこざるを得なかったわけで。それがそれまで自分たちが(勝手に)想定してきた「(望ましい)読者」とどれくらい違ってどれくらい重なっているか、についての測候ができぬまま右往左往していったわけで。 https://t.co/vlXBys5zjK
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) February 1, 2025
いわゆる「大衆社会化」の〈リアル〉について、うまく自分ごととして遠近法含めて測候、合焦できんまま、当面稼業としての売文だけは有卦に入って(゚∀゚)アヒャれる余地も拡がっていったわけで。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) February 1, 2025
まあ、そういう意味では、菊池寛と「文藝春秋」のうっかり切り開いてしもたもの、ってのはいろいろ罪深いところはありましたわな。 もともと単なる同人的内輪身内「おたく」内部のゴシップ専門同人誌みたいなもんだったわけで、あれ。 pic.twitter.com/WGoE5QCeik
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) February 1, 2025
この創刊号のメンツ、戦後「教科書」的ブンガク史目線からしたら、芥川に菊池寛、川端に横光、せいぜい直木くらいまでしかハイライトつかんだろうし、それ以外は「誰、これ」だと思うが、そういう目線&枠組み自体すでに「歴史」的フィルタありあり、なわけで、な。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) February 1, 2025
そして…
「戦前都市部のインテリ青年にアイデンティティ的拠り所を与えた」という点では日本推理小説文壇の大源流たる「新青年(1920年~1950年)」と重なってくる部分も?https://t.co/BiXCdkBOTy
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) February 1, 2025
結局(自ら「新青年」を降りて通俗小説の世界に転じた)江戸川乱歩の推した「戦後五人男」は「変格派」のレッテルを脱せず、それぞれ「ゴジラ脚本家」「忍法帖シリーズ作家」「ブン屋物創始者」「ハードボイルド作家虚淵玄の祖父」「古代史ロマン作家」に…https://t.co/gw2o4hpBuq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) February 1, 2025
それにつけても、どのアプローチから切り込んでも物凄い存在感なのに、今日ではあまり思い出されなくなった菊池寛とは一体何者だったのか…https://t.co/uT3T8pnNre
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) February 1, 2025
「文豪とアルケミスト」における「度量の大きく面倒見のいい、頼りがいのある青年。羽振りはいいが何で稼いでるかよく分からない」なる紹介文が、案外現代人観点から振り返る菊池寛のイメージの適切な要約になってる?https://t.co/bpXLuqU31m
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) February 1, 2025
そんな感じで以下続報…