シンギュラシティより恐ろしい「Big Data活用術の人間への依存率が低下していく時代」における個人のSustainability戦略についての話。
地球上の生物が初めて視覚と視覚情報を授かったカンブリア爆発期に「史上初の百獣の王」の称号を射止めたアノマロカリス。ただしこの生物には硬い殻や棘で覆われていたり、体内に毒を蓄えたり、常に泥中に潜伏する難敵を捕食する手段が一切なく、それ以外全てを乱獲で滅ぼした末に餓死した可能性が指摘されています。
一方最近、深層学習界隈が「学習データの自給」を標榜する様になりました。それまでこの界隈の伸びが著しかったのはインターネット上の巨大トラフィックが「餌」に使えたから。適当なスクレイピングで稼げた時代があっという間に終わった様に、人工知能技術投入によるテコ入れにも限界が見えてきたのでこの展開とすれば、それは「シンギュラリティの沓音」というより「植物の誕生」という事。さらに「各目的に特化したマーケティング用仮想市民生成」構想まで登場し、今や「ネットから少しでも有用な情報を得ようとしてきた(平均情報量を少しでも下げようとしてきた)」捕食者側が、既存のネット住民について何の期待も抱かなくなった(自己情報量も情報エントロピーも0と見積もる様になった)可能性が急浮上。
こういう場合の情報量回復の手段は2通り。アノマロカリスの生存手段を模倣して追い抜いた魚類の様に主要技術への知識を深めて出し抜き方を考えるか、あるいは(棘や殻や毒で自衛して捕食者の関心を下げる作戦の真逆に)、生成AIの学習が十分でなく、かつそれなりに需要がある領域を伸ばして自らの付加価値を高めて関心を引き戻すか。そういう話をすると必ず一定確率で「余計な話は聞きたくない。何も耳に入れなければ心配もまたない」と席を立つ人が現れますが、それこそが最悪の選択肢。
源氏物語「少女」帖に「なほ,才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ」とあります。次第に朝廷で国風が唐風より重んじられる様になっていく過渡期、紫式部や清少納言の様に幼少時より漢籍の英才教育を受けてそれを足掛かりに立身出世を果たした側の発言ではありますが、それでもなおこの章句に込められた 「なるほど、日本人に生まれついた以上、特に勉強なんかしなくたって自然に振る舞うだけで大和魂(日本人の独自性)に到達可能とお考えか。だが唐心(外国の考え方)について学ばずして、どうやってその範囲が自覚出来るというのか」なる鋭い警報自体は今日なお色褪せる事がないのです。
ここまででとりあえず1000字弱。プロダクション・ノート的まとめは以下。
そんな感じで以下続報…