今回は以下のメモの掘り下げから出発します。
「都知事選が可視化した恐るべき票田」?
暇空茜氏の立候補理由については、最初期のインタビューから割とはっきりと明言されています。そう「ネット票が石丸伸二候補に集中するのを防ぎたかった」なんですよね。
このコンセプトに沿うなら「11万票の獲得は、この意図の成功を意味するか?」についての検証が必要不可欠となってきます。
そして確かに「報道機関にほとんど黙殺され、地上戦(泥臭いドブ板選挙活動)抜きで勝ち取った11万票」と考えれば、その意義はそれなりに大きいといえましょう。
まるでウェストフェリア条約締結(1648年)まで(大国側の宗教的政治的都合により)スイスとオランダが国として存在しない事になっていた歴史を 彷彿とさせます。そこまで無茶を推し通してきた代償は大きく、主権国家体制への移行に失敗したスペインは以降三流国家に転落し、新生ローマ帝国に至っては事実上解体の始まりとなったのでした。
とはいえ、今回の都知事選ではさらに大きな「恐るべき票田」が可視化される展開もあったのです。
改めて前回投稿時点のChatGPTへの質問を読み返してみましょう。
かかる動向は、過去投稿の以下の様な話と関係してきます。
当然、当時の学生運動家自身が恣意的に編纂した「落書き集」からはこういう様相は浮かび上がってきません。
その一方で、当時は当時なりにそれを察知する方法がありました。コロンビア大学紛争を見舞った同様の混沌を、混沌のまま写し取った「いちご白書」ジェームズ・クネン「いちご白書(The Strawberry Statement,執筆1966年~1968年)」の様な名著が書店に並んでいたのです。
なお「いちご白書」翻訳版刊行は映画連動企画。エリック・シーガル原作映画「ある愛の詩(Love Story,1970年)」における原作翻訳連動と並んで、70年代から80年代前半を制した「角川春樹プロデューサーの手になるメディアミックス戦略」の最初期の成功例に数えられていたりします。
角川春樹の麻薬所持による逮捕(1993年)によって「歴史の掃き溜め」送りとなった過去史の一部…
しばらく前まで、いわゆる「1980年代的軽薄さ」と、それを終わらせたバブル崩壊(1990年頃)と関連付けてネガティブに語られてきた出来事。隣国韓国における「大宇財閥強制取り潰し」に関連して、21世紀初頭にははこんな説が流布したものです。「角川春樹は(書籍と映画を連動させる)メディアミックス映画の(テレビ局が仕掛けてきた)トレンディ・ドラマへの敗北も、バブル崩壊も認めない暴走機関車だった。だから密告なる非常手段を用いてでも止めるしかなかったのである」。
実際、逮捕された年においても自ら脚本と監督を手掛けた「REX恐竜物語(1993年)」をマイケル・クライトン原作スピルバーグ監督映画「ジュラシック・パーク(Jurassic Park,1993年)」と同等のグレードの作品と国内宣伝する事に成功し、逮捕と同時に上映が打ち切りとなり、たちまちそういう映画が存在した事自体が世間から忘れられる奇怪な展開を迎えたのでした。そう、まさしく世界金融危機(1997年)発生以降もイケイケ路線を放棄せず韓国経済をさらなる危険にさらした大宇財閥が金大中大統領の「勅命」なる非常手段によって、たちまち跡形もなく解体されてしまったのと同じコースという…
こうした「騙されやすかった当時の日本国民」が産み落としてしまったもう一つの鬼子が「そういう日本国民を侮って選挙に失敗し、勝手に絶望してテロに走った」オウム真理教だったという次第。
まさにそれは宮崎駿がCHAGE&ASKA「On Your Mark」のMV(1995年)において顕現させた魔術的リアリズムの世界…
思い出すのが以前触れた「選挙運動の手伝い」において、自称「元学生運動家」から聞いた「唯心論的マルクス主義者」達の話。
学生運動の実際闘争場面は、しばしば「マルクスなんて一行も読んでない我々の方が、むしろマルクス主義の真理を理解している」と豪語する反知性主義者の猪突猛進によって支えられていた。
運動の理論面を主導していた側からすれば思惑通り動かない彼らの様な存在は時として忌々しく映る状況もあったが、幸いにしてネットがまだまだそんなに普及してなかった時代でもあったので、彼らのその立場からの主張もまた関係者外にダダ漏れする事はなかった。
こうした人々は流行歌が「神田川(1973年)」を経て「いちご白書をもう一度(1975年)」に推移するうち観測可能範囲外に消え去った訳ですが、もちろんだからといって彼らの様な存在が消滅した訳ではなかった筈なのです。
ところで20世紀も後半に入り、時代遅れとなったマルクス主義が急進力を失うと次第に「緑の党」に代表される様な「新しい社会運動」に軸足を移す様になりました。
だが、この様に「各生活者の自然な直感をあえて全面肯定する政治」には、思わぬ欠陥があったという訳です。そう、次第にカール・マンハイム(Karl Mannheim,1893年~1947年)が「保守主義的思想(Das konservative Denken,1927年)」の中で指摘した「(フランス革命とナポレオン戦争の時代以降、欧州政治で主流となった)ある側面が進歩主義的で、残りの部分が保守的である様な人々の意見の擦り合わせによる合議体制」を「(過去の栄光ばかり有り難がる)伝統主義」に退行させようとする動きを適切にフィルタリング出来なくなってきたという次第。
世にいう「似非リベラル」「似非フェミニズム」概念の大源流ですね。フランス料理が、何でもデミグラスソースやホワイトソースで味付けする様になって行き詰まった時、フォン・ド・ボーなどソースの原材料に立ち返って新たな組み合わせ方を模索する事によって現代に通用する多様性を取り戻した様に「マルクス主義」が時代遅れになったら、思い切ってカール・マルクス(Karl Marx,1818年~1883年)の残した原典に立ち返り、時代遅れとなった部分はバッサリ切り捨てて、その部分を現代なお通用する部分に差し替えてリニューアルすれば良いだけの筈なのですが、頭が硬直して伝統主義の弊害に完全に捕まってしまった現在のマルクス主義者達は、そうは考えられなかったという次第。そうやって彼らの進歩主義からの逸脱は始まってしまったという訳です。
「世間を規定する測度範囲は、一般人の目には捉え切れない様な緩やかな測度で変遷を続けている」?
こういった話が、思わぬ形で私が別シリーズで展開している「エロティズム文化史」と密接に関係してきます。
私が一連の投稿の主題としてる「深層学習による世界の分布意味論的把握」なる概念における最大の障害がこれだったりします。そこまで明らかに出来た時点で以下続報…