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日本人は「再建は既存価値観を一旦全部手放すところから始まる」なる苦い現実を受け入れなければならないという話。

岩倉使節団(1871年~1873年)のハプスブルグ君主国担当者は、オーストリア軍においてはいまだ先込め青銅砲が現役配備されている事、戊辰戦争(1868年~1869年)ですら鋼鉄製元込め砲の戦いだった事を指摘すると「これだから後進国は困る。どんな兵器にも使い道というのがあるのだ」と逆に嗜められた事を報告しました。中央からの指示は「そんな国からは何も一切学ぶな」というもの。まぁ総力戦時代に適応出来ずまとめて滅んだ「前近代的多民族帝国なるもの」の典型的宿痾とも?

「SDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)」も本質は人類の存続を賭した総力戦な訳で、どうしても「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」的発想が忍び込んできます。もしそれが大英帝国臣民をしてフランス革命とナポレオン戦争(1792年~1815年)そしてロンドン大空襲(1940年~1941年)に耐えさしめた「科学実証主義的忍苦」ならば良いのですが、万が一大日本帝国を敗戦に導いた精神主義や修養主義の類だったら?

そもそも大日本帝国臣民に終戦を告げた玉音放送「大東亜戦争終結ノ詔書(1945年8月15日正午)」自体が「(間違った目標に向けた努力が全て徒労に終わった虚しさは分かる。いきなり気持ちを切り替えろといわれても困るだろう。だがそれでも今日を生き延びる為)時運ノ趨ク所(時の巡り合わせに従い)耐え難きを耐え、忍び難きを忍べ」と発破を掛ける内容でした。しかし日本人は本質的に変われず、それでオフコン戦争やワープロ戦争やPC9800互換機戦争にかまけてる間に欧米のIT企業が「OA(Office Automation)」概念を「ERP(Enterprise Resouce Planning)」概念を経て「Sustainablity Solution」概念へと発展させる展開を迎え、すっかり周回遅れになってしまったという次第。

執筆時期が終戦記念日をまたいだせいで、ふと考えがこんな方向に流れてしまいました。なお坂口安吾「堕落論(1946年)」は「戦前の努力の方向が間違っていたのなら、戦前の我々の考え方そのものが間違っており、むしろ間違っていると切り捨ててきた有象無象の中にこそ玉石混合で正解が混じっていたのだ」と主張。これこそが本当の「再建志向」という話に落ち着きそうですね。


ここまででとりあえず1000字弱。プロダクション・ノート的まとめは以下。

そんな感じで以下続報…

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