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【産業進化論の動作原理】海外では2010年代のアニメ漫画Gameファン層が2020年代のAnimangaファン層に推移?
海外では2010年代tumbrに集ったアニメ漫画Gameファン層が2018年12月の「大粛清」と2023年3月の「小粛清」を経て、少なくともその一部がX(旧Twitter)に「移住」しました。いやそもそも私も含め多くが最初からダブル・アカウントだったのでしょう。特に「小粛清」に際しては「もうこれからメインをXにする」宣言が目立ったものです。
こういうアニメの海外展開を支えてきたのが違法アップロードにファンサブつけてたクランチロールなんだからなにが奏功するかなんてホントわからんよなあ。合法化に成功できたからだがその前に逮捕されてたら……https://t.co/FDwF3B1TSO
— Koshian (@ruscotar) December 23, 2024
2010年代前半のtumbrはまさにFunimationなどに違法アップロードされるアニメ番組などのキュレーションサイトとして栄えた訳ですが…「2018年の大粛清」以降はこのX(旧Twitter)に引っ越してきた感が有ります。最大の歴史的功績は「配信があると群がるファン」を可視化した事?https://t.co/QWGZjoUcZx
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
なおその後じわじと復興してきたtumbr、2023年3月に「天国大魔境」「地獄楽」「水星の魔女二次創作(百合系本番あり)」辺りがまとめて焼かれる「第二次小粛清」がありまして、さらにXへの移住が加速。日本人の知らないところでそんな動きがあったという…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
なお当時も今も穏健派LGBTQA層の本拠地を兼ねてて、そこで一番読まれてる「食べべたい人と作りたい人」は「本当のLGBTQA層に必要な配慮」の指針として重要。で、そうして細部を知れば知るほど今のフェミニストとLGBTQA活動家が滅茶苦茶か浮かび上がってくるという…https://t.co/I0X52L419n
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
ま、こうした全景を最初から最後まで全部傍観してきた訳ですが「ただ単にエンターテイメントとして消費されてるだけでなく、ある種のモラルの供給源となってきた伝統」みたいなものを感じます。「飽きられたらそれまで」な嗜好品とは全然違う消費のされ方をしてる感じ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
モラルの供給……ヤバみありすぎるワードが
— Koshian (@ruscotar) December 23, 2024
モラルというより以下のnoteで触れた対象恒常性、砕いていうと「いかなる状況にも流されず自分らしさを貫く態度」みたいな感じで日本人の多くはこれを割と普通に習得してるので「特に信じてる宗教はありません」状態でも海外でいう「無神論者」に落ちる事がないという…https://t.co/MT3yT2cTaP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
今回のドイツのクリスマスマーケット突入事件でまた国際的に「無神論者」の株がさらに暴落しましたが、それと「特別な信心を備えてない」日本人や世界のアニメ漫画Gameファンを隔ててる「隔壁」が確実に存在するという話ですね。 https://t.co/A6Se8nnExg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
日本人だけでなくX上の海外のアニメ漫画Gameファンも「食べたい人と作りたい人」を読んで「LGBTQAと社会の関係ってこうでいいんだよね?」となってる景色を眺めてると「汚れているのは土なんです‼︎」特に叫びたいお気持ちに… pic.twitter.com/H6rPoOWgwN
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
例えばこの集団はずっとラディカルフェミニストにオルグされてきましたが、最初期にはそのほとんどを「とらドラ」みのりんの台詞「あたしには何が幸せか、あたし以外の何者にも決めさせねー‼︎」の連呼で撃退してたし、以降も同じくらい強い言葉が幾らでも用意出来たという…https://t.co/6AcfZ8RdtP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) December 23, 2024
日本では90年代にクイアブームがあったのと関係してるのかなあ……無宗教でも無神論者に陥らないのはアニミズムを内包してるからだとは思うけど
— Koshian (@ruscotar) December 23, 2024
この推移と並行してもう一つの変化がありました。2010年代には「アニメ漫画Gameファン」をの自称が「Animangaファン」に変換したのです。
𝐓𝐇𝐄 𝐌𝐎𝐍𝐎𝐍𝐎𝐊𝐄 𝐌𝐎𝐕𝐈𝐄 𝐖𝐀𝐒 𝐀𝐍 𝐀𝐑𝐓𝐏𝐈𝐄𝐂𝐄 :(a thread🧵)
— Emon💕✍️✍️ (@Ani_twt321) December 19, 2024
The most bombastic work I have seen from the animanga world in a long time, as director Nakamura Kenji returns to bring us an entrallingly woven tapestry of a movie.💯#anitwt #anime #mononoke pic.twitter.com/muCDAabVpN
when the animanga trio has an aroace, bisexual, and nby icon.. all in one.. pic.twitter.com/90ge0DQQCe
— avary 🤍 (@kyoruyeye) August 23, 2024
え?Gameは何処で落ちちゃったの?
ジャンプフェスタで、畏怖に近い感情を俺は抱いた。ゲーム業界アベンジャーズが集まるTGSならともかく、ジャンプのブランドだけで幕張メッセを満員にできるのヤバすぎる。しかも、「人気IPを全部集めました」って感じじゃない。『SPYxFAMILY』ですら独立の「島」は存在しなかった。余力ありまくり。
— Rootport🔥 (@rootport) December 22, 2024
ジャンプはマンガ雑誌じゃないよ。「産業」だよ。
— Rootport🔥 (@rootport) December 22, 2024
いやマジで、TGSでは30〜50代の客に向けて「皆さんが子供の頃に遊んだあのIPの続編が出ます!」っていうノスタルジーに訴える展示がすごく多かった。でも、ジャンプフェスタは全然違うの。ノスタルジーの「ノ」の字もないの。『スラムダンク』も『ヒカルの碁』もないの…
— Rootport🔥 (@rootport) December 22, 2024
俺が子供の頃からあるIPで目立つところに展示があったのは、それこそコナミの遊戯王と、バンナムのドラゴンボールくらいだった……って印象。ちょっと時間なくてざっと歩いただけだけど、『ジョジョ』ですら見かけなかった。気がする。
— Rootport🔥 (@rootport) December 22, 2024
そもそもゲームの進化過程に何か問題が?
MD時代のゲームやってて、この時代のゲームって難しいというより基本の思想が「死に覚えゲー」ってことなのだとわかってきた。そして死ぬことは当然ストレスなので、各社なるべく死なないようにしたり死んでもストレスのないゲームを作るように変化していった。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
その変化と絶妙にマッチしていたのが対戦型FPSゲームだと思う。まず上級者になぶり殺しにされることからこの手のゲームは始まるが、素晴らしい事にチームゲームなので「自分が負けても勝てる」ことがある。実はこの点こそが重要なのだ。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
自身の腕の高低が勝敗を決しない点は、カイヨワの遊びの4類型 「競争」「運」「模擬」「眩暈」のうち「運」を偶然にも満たしている。FPSを(味方)ガチャゲーと揶揄する事があるが、それはFPSの本質を端的に言い表していて、マッチングの運要素が勝敗のウェイトを大きく占めている点がFPSの魅力。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
いうまでもなく「競争」はあるが、根幹はサバゲーなので「模擬」でもある。とくにグラフィックのリアリティを追求し続けるFPSは重度の現実シュミレーター指向だ。カイヨワの遊びの4類型のうち3つ(競争・運・模倣)を見事に満たしているFPSが現代ゲームの最大ジャンルとなるのは必然かな。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
一方、かつて一世を風靡したジャンル格ゲーは、競争は存在しても「運」がなかった。一ミリの運もなかった。次第に実力で勝ち続ける上級者だけが居座る限界集落化していったのもまた必然であった。桜井政博のスマブラはアイテム・地形落としなどで格ゲーに「運」を取り入れようとした意欲作だった。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
一方、かつて一世を風靡したジャンル格ゲーは、競争は存在しても「運」がなかった。一ミリの運もなかった。次第に実力で勝ち続ける上級者だけが居座る限界集落化していったのもまた必然であった。桜井政博のスマブラはアイテム・地形落としなどで格ゲーに「運」を取り入れようとした意欲作だった。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
つまるところ「競技」(実力)だけを測るゲームはあまりに過酷なので、コンシューマーもアーケードでもどんどん衰退・淘汰されていったが、競技性を保ったまま人間の興味を惹く要素として2000年以降発展していったのが運(つまりギャンブル)だったのではないかなと思う。ローグライトはその代表格だ。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
Slay the spire(デッキ構築型ローグ)がよい例だが、高いプレイヤースキルと知識量があっても、カード・ダンジョン運がないと詰む。逆にいえば運があれば攻略できる。負ければ運をいいわけに出来るし、攻略できればもちろん嬉しい。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
ローグ系のダンジョンランダム生成という「運」に、TCGのカード「運」をかけ合わせた、射幸性の塊のようなゲームだ。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
そしてSlayフォロワーのポーカーゲームbalatroがスマッシュヒットを放ち、balatroフォロワーのパチンコゲームBallionaireがいま話題になっている。
TCGからポーカー、ポーカーからパチンコと、ドンドンとガラが悪くなっている。遊び四系統の「運」の危険さ、つまりギャンブルという人間本能を刺激する”遊び”の強烈さを感じる事例だ。ビデオゲームが発明されてはや半世紀、人間は着実に「運」のゲームに流されていっている。
— 人間ジュネリック (@DividedSelf_94) December 16, 2024
とりあえずメモがてら。そんな感じで以下続報…