【第三世代フェミニストの弾薬庫】「雪原や雪原にいれば狼、日常風景の中にあれば犬」は、どこまで間違いなのか?
深層学習研究の世界には「説明可能なAI(Explainable AI:XAI)」と呼ばれるジャンルが存在します。深層学習の成果について「何がその判断の根拠となっているか抽出する」リバース・エンジニアリング技術の一種ですね。なんだかんだいっても「カンブリア爆発期(5億4200万年前~5億3000万年前)に生物が授かった視覚と視覚情報を処理する脊髄の末裔で考える」我々にとっては、たとえ疑似的であっても(可能なら三次元未満の)直交座標系で感覚的に把握出来た方が何かと都合が良いのです。
流石は「大人の思惑など一切無視して、平然と「王様は裸」と指摘する子供」。誰もが必死で避けてる「軍拡競争の始まり」なる物騒な表現を平然と使ってきた。ならばこちらもこちらで、その前提でこれまで開陳してきた全体構造の再構築を図る事にしよう。
かかる「大人の思惑」なるもの、元来は単純明快な情報理論を一般人に分かりにくくしている主要因でもある。ノーバート・ウィナー「サイバネティクス(初版1948年、増補版1961年)」によれば情報理論の大源流は「高速化した航空機を撃墜する為の火器制御」。この過酷な世界観においては「情報量が0になる(手の内を全部読む事に成功する)」という事は「しかるべきタイミングで引き金を引けば確実に相手を殺せる状況の到来」を意味する。しかし実は相手にそう思い込ませる事に成功し、特定の行動に追い込めたら、逆に追う側の情報量が0となる。すなわち、対空砲の射撃だったら全部外れ、航空戦の最中だったら返り討ちにされ撃墜されてしまう展開を迎えてしまう訳である。ChatGPTの回答にある「生物が、カンブリア爆発期に視覚と視覚情報を処理する脊髄を授かった事により、軍拡競争が始まりまった」とは、まさにこうした「狸と狐の騙し合い」状況の開始を示唆している。
この考え方に従うなら「全ての事象の出現確率が均等の時、情報量が最大になる」なる表現も、正確には「各事象の関係について何も分からない時の最尤推定は「全ての出現確率が等しい」としかなり得ない」となる。この考え方が「あらゆる事象には全て(神の定めた)適切な出現確率が存在する」なる前近代までの常識に逆らう為、(まさにこの考え方から出発する)ベイズ推定の普及は遅れに遅れ20世紀を待つしかなかった。テーラー級数/マクローリン級数による近似も次数が低いうちは酷いものだが、人類はなかなか同じ様には考えられなかった訳である。
なお、ここでいう「新しいニッチ(生態的地位)が生まれ、生物の適応放散(急速な種分化と生態的多様化)が進行した」とは、全ての種がかかる軍拡競争に参加した訳ではなく「泥の中に潜る」「硬い外殻や棘を備える」「毒を蓄える」といった全く別の方法論で生き延びる種も存在した事を仄めかしている。私がこれまでの投稿で開陳してきた「地球の生物史上に初めて現れた「百獣の王」アノマロカリスは、何の手も打たない無策な種を食い滅ぼしつつ巨大化し、それらが根絶やしになった時点で飢えて滅んだ」情景は、まさにこうした状況を表していた訳である。そうした展開も含め「軍拡競争」は以降の生物界全体に波及した。
話題を「説明可能なAI(Explainable AI:XAI)」の件に戻しますと、この分野においては以下の様な「過学習」への戒めが有名です。
確かに研究者が定めた測度範囲外から学習してきたAIに問題がなかったとはいえません。しかしこの問題、本当に単純に「過学習」として切り捨ててしまって良いものなのでしょうか。
「女性画像の水着姿と下着姿」の峻別
たまたま(?)手元にある「(ネットに投稿される)女性画像の水着姿と下着姿」のセットにこの問題の適用を試みてみます。
白
黒
カラフル
実際に深層学習を試みるまでもなく、以下の様な傾向が何となく浮かび上がってきますね。
もちろん「いかにも水着らしいデザイン」「いかにも下着らしいデザイン」というのはあるが、ただでさえ両者の分布範囲は案外重なっている上、漫画っぽく省略されるとさらに判別が難しくなる。
むしろ鑑賞者の判断は、背景が屋内か炎天下の屋外かに大きく左右されるといえよう。そして温泉とか、学校の教室内とかどちらでもない場合については、さらに細かな(分布意味論に立脚する)状況の「読み」が発生する。さらにここに異次元の要素として「画像生成AIや投稿環境の表現規制をかい潜る」なる因子が登場。こちらはまさしく上掲の「軍拡競争」状況そのものであり、同様の理由によって投稿における「下着」「水着」といったラベリングすら必ずしも当てには出来なくなってくる。
ここにさらに「どうやら実際に女性下着はシンプル化の方向に向かっている」という現実展開が加わり、峻別の難易度はさらに跳ね上がる。
ここで「ネット投稿における出現率」と「現実世界における出現率」の乖離という異次元の問題も浮上してきます。著名な例としては「スク水(スクール水着)」や「ブルマー」が挙げられるでしょう。
さらに複雑な背景を抱えるのが「ストライプ下着」問題。
水着としてはともかく、下着としては「尻や恥丘の丸みを際立たせる(そんなストライプ柄が透けて見える可能性がある)」というだけで致死遺伝子という訳ですね。
どうやらこの分野においては、こうした全体像を踏まえた上で各尺度の測度範囲を慎重に設計する必要がありそうです。
マックス・ウェーバー「鉄の檻」理論への回帰
ところで「この分野」って一体、どんな分野? 以前投稿した以下の図に戻りましょう。
実はこの構造自体、19世紀後半の欧米で始まった「女性の被服改革」を前提としているのです。運動しやすい服装への変化が始まった出発点…
「ビキニ水着登場までの歴史」もこれだけの長さがあります。
これはもうフェミニズム、それも「それぞれの女性の個性を大事にする」第三世代フェミニズムの領域の話。そして同時にマックス・ウェーバー「鉄の檻」理論における「適切な脱皮のタイミングの見定め方」の話となってくる訳です。
分布意味論や語彙仮説においては、かかる「鉄の檻」を「使用語彙の測度設定集」と見る訳ですね。まぁこのレベルの話では、まだまだ以下の様な時反応しか得られないのは承知の上で基礎中の基礎からの確認作業を遂行してる訳です。
実際、こうした観察分野において「当たり前の事」ほど、警戒して掛からねばなりません。例えば昨年シフォンドレイヤースカートの下にジーンズを履いた女性を見かけた時はあまりの奇異さにギョッとしたものですが、(馴染ませるための創意工夫もあって)以降観測例が順調に増え続け、今ではすっかり当たり前の事として受け入れるに至りました。そう「観測者側の視点」そのものが定点性を維持していないのです。
そもそも、それに気付けたのもたまたま(?)私が逐次メモを取り続けてきたからで、おそらく当事者たる女性も大半は特別に意識せず周囲に合わせて適応を続けてるだけとも見て取れます。そう「鉄の檻」とはいえ、その正体は固体とも液体ともつかないガラスの様なもので、一般人には認識出来ない様な緩慢な測度である準安定状態から別の準安定状態への変遷を続けているという次第。
そしてAI生成画像界隈は、こうした一連の流れを一切捉える事がなかったのです。理由はいちいち考えるまでもありません。
「画像生成AIや投稿環境の表現規制をかい潜る」エロ画像絵師の生業とは無相関(自ら積極的に取り入れる理由がない)。
ネット通販サイトなどのカタログは「売れ筋とそうでない商品を並列して並べる」ロングテール配置が基本であり、学習に向かない。その上、そこに掲載されてるモデル写真と、実際に路上で見掛けるファッションが一致してるとは限らない。本当に特定の服が売れまくっていたとしても「重ね着のオプションの一つ」に組み込まれ、全体として受ける印象がまるで変わっていたりするのである。
エサ(学習データ)がこれでは、どうにもなりません。まずこうした状況について、視野に捉えた範囲で一つ一つ可能な限り明らかにしていこうというのもこのシリーズの裏テーマの一つという次第。そこまで話が進んだ時点で以下続報…