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破壊的イノベーションとしての「ガラスの靴の美女」は今日なお華麗に逃亡を続けているという話。
去年から今年にかけて海外アニメ・ファンの間で「舞踏会論争」なるものが展開しました。日本のTVアニメ「葬送のフリーレン」などに素晴らしい舞踏場面があり、それにディズニー・ファンが「まだ美女と野獣のレベルにも到達してない」と水を差したところ、逆に「ディズニー映画は舞踏会シーンどころかラブロマンスの世界から引退した」「それを求める女性層から卒業した」とやり込められてしまったのです。典型的な形での持続的イノベーションの自発的放棄例。皮肉にも1930年代、世界恐慌下の暗い世相に迎合したフライシャー・スタジオが消え去り、あえて逆張りして「白雪姫と七人の小人(1935年)」を発表したディズニー・スタジオが残った歴史の真逆の展開に?
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そもそも「シンデレラ」なる物語自体がイノベーションを語る上で重要な教訓に満ちています。まず大前提として「シンデレラ」の王子様は「白雪姫」の王子様の様な生きた女性が愛せない死体マニアではありません。従って「メリダとおそろしの森」の世界の様に周辺国がこぞって政略結婚の機会を虎視眈々と狙ってたとしてもおかしくない訳ですが、その状況を「ガラスの靴の美女」の登場が一夜にして覆してしまった訳です。まるでAppleのiPhone発表が一瞬にしてNokiaやDocomoやauやソフトバンクの携帯を過去の遺物に変貌させてしまった様に。SAPがERP概念を固めたR/3シリーズを自らHANAで全更新してしまった様に。映画史においてディズニーの劇場版ミュージカルアニメ映画の果たした役割もまた同様の破壊的イノベーションだったといえましょう。
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しかしながら、それに続いた「誰がガラスの靴の美女たるべきか?」を巡る争いには、シンデレラ・チームと継母チームが骨肉の争いを繰り広げたばかりか、国内外の年頃の娘達がこぞって参戦。iPhoneの単独覇権がGoogleのAndroid投入によって阻止された様に。ディズニーが軽視したTV分野でハンナ・バーベラスタジオや、ランキンバススタジオが台頭し、その下請けだったトップクラフトがジブリの前身となった様に。IBM-PCを発表したIBMが、最後にはこの分野からの全面撤退を余儀なくされた様に。
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女性の夢自体が進化し続ける以上、そもそも誰かが「ガラスの靴の美女」を永続的に完全確保する事はあり得ません。どうしてディズニーランドでは永久に工事が続くのかという話…
ここまででとりあえず1000字弱。プロダクション・ノート的追記は以下。
そんな感じで以下続報…