今回はこの投稿の続き。
この投稿を読んで、こう思った人が少なくなかった筈です。「あれ?これいわゆる一人一派の話では?」
それとこれと「どこが違うのか」明らかにするのが、今回の投稿の主目的という次第。
まさかの時にフランス恐怖政治。
ところで一般にフランス革命の掉尾を飾る恐怖政治(1793年~1794年)は、ロベスピエールら公安委員会が勝手に始めたと思われてますが、実際にはそうでもありませんでした。ジロンド派の始めた革命戦争が敗色濃厚となり、パニックからフランス市民が疑心暗鬼になって互いを「王党派の密偵」と決め付けて殺し合う様になったので、それを鎮めるショック療法として始まったのです。
しかしながら国民皆兵制が功を奏して戦況が持ち直すとフランス市民は正気を取り戻し「誰がこんなに殺したのだ!? 責任者をギロチン位掛けろ!!」と叫び始めます。それでロベスピエールら「大量殺戮を命じた側」と、実際に大量殺戮を遂行した「死刑執行人達」の最終決戦となり、陰謀と党争と人殺しに慣れた後者が勝利して「もはや立て直し不可能となった」革命自体を終了させたのが、いわゆるテルミドールの反動(Coup d'état du 9 Thermidor,1794年7月27日)だったのです。実際「勝者」側のリストに目を向けると…
マルセイユとトゥーロンで王党派大虐殺を遂行したポール・バラス(Paul François Jean Nicolas, vicomte de Barras, 1755年〜1829年)。
リヨンで王党派大虐殺を遂行したジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché, 1759年〜1820年)。
九月虐殺(Massacres de Septembre、1792年)参加者でもあり、「ジロンド派の本拠地」ボルドーで大虐殺を遂行したジャン=ランベール・タリアン(Jean-Lambert Tallien, 1762年〜1820年)。
まるでナチスが第二次世界大戦に勝利したら、正気に帰ったドイツ国民が正気に返って「誰がこんなにユダヤ人を殺したのだ!! 責任者を吊るせ!!」と叫び始めたので絶滅収容所を経営した当事者がヒトラーら首脳部を生贄に差し出したかの様な地獄絵図。とはいえ陰謀と党争と人殺しの能しかない「フランス革命の最終勝者」に国家経営の才能はなく、それで最後には「革命のモグラ」シエイエスが取り立てた「フランス革命戦争の英雄」ナポレオン・ボナパルト将軍が全てを総取りする結果となった訳です。
さて「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」。ソ連衰退開始の影響を受けてマルクス主義フェミニズムの形骸化が進行すると、その隙を突く形でウーマンリブ運動が勃発。それが壮絶な内部分裂に終わったので「ショック療法として」ラディカル・フェミニズム運動が台頭してきました。今では多くのフェミニストが必死で忘れ様としている「ラディカル・フェミニズム覇権期」…
その歴史展開をどう認識するかによって、「見苦しく政治的であり続けようと足掻く」似非フェミニズムの「一人一派」と「あえて均等主義(Equalism)への発展的解消という道を選んだ」第三世代フェミニズムのSustainabilityは分岐するという次第。
今は誰も思い出さなくなった「ラディカル・フェミニズムの覇権期」
さて、皆さんは「ウルトラフェミニズム」というと、どんな流派を想像されるでしょうか?
さらには「ブラック・フェミニズム」なんてのもありました。
表象の政治と生存:Combahee River Collectiveとブラック・フェミニズム(The Politics of Representation and Survival: Combahee River Collective and Black Feminism)
おやおや?なにやら雲行きが…
出ました。「真の意味における女性解放は、自由主義国や資本主義国では決して実現し得ないので共産主義革命を最優先で遂行すべきである」なるマルクス主義フェミニズム的理念の継承。その根拠を衰退の最中にあるソ連でなく「マルクス主義改良運動」が盛んだった東欧に求めた辺りが新機軸。
それでは、それはどうやって実現されるのか?なんとこの問題は「女性VS男性」「富裕層VS貧困層」「白人VS黒人」の三軸で構成され、全女性のシスターフッド(連帯)によって解決されねばならないとされたのです。マルクス主義フェミニズムのスローガン「全ての女性の力を党の為に。そして党の力は革命の為に」の焼き直し。ただし1970年代ウーマンリブ運動の失敗を古典的マルクス主義の党争史観に拘泥し続けたブルジョワ白人女性運動家に押し付け「貧困黒人女性こそが女性こそがイニシアチブを握るべき(ヘゲモニー覇権を掌握すべし)」とした点が新規軸だったのです。
そう、元来「ブラック・フェミニズム」とは、以下の形でマルクス主義フェミニズムを再建しようとする、ある種の権威復興運動だったという次第。
そして、それは同時に「神は無謬のはずなのに、どうしてこの世には悪が存在するのか?」なる神義論的イシュー(問い掛け)に 対し、「中世スンニ派古典哲学の完成者」ガザーリー(Abū Ḥāmed Muḥammad ibn Muḥammad al-Ṭūsī al-Shāfi'ī al-Ghazālī 、1058年〜1111年)の流出論、すなわち「神の英知そのものは確かに無謬であるが、その理念は現実の世界へと全方向に向けて流出していく過程で数多くの誤謬を累積させ、最後には互いを悪と認定し合う矛盾を抱えた「歪んだ正義」にまで縮退してしまう」を暫定回答とした18世紀欧州における神学論争の焼き直しでもあったのです。
しかしながら「リスボン大地震(1755年11月1日)」到来によってかかる楽観的に過ぎる暫定回答が一瞬にして瓦解を余儀なくされた様に、ブラック・フェミニズムの振興もまたマルクス主義的革命史観の復興なる悲願自体は果たせず分裂衰退を余儀なくされたのでした。
そうやって「ラディカル・フェミニズムの覇権期」も終わった後、残骸として残った「(全女性を肯定しようとして矛盾の塊となった)一人一派」思想と「(元来はマルクス主義的革命史観の隠れ蓑に過ぎなかった筈の)それでも全女性は一つ」なる漠然とした「連帯」感を「ええとこどり」する形で現在の似非フェミニズム思想は形成されるに至ったのでした。なんたる悪魔合体。それはまさにオブジェクト指向プログラミングでは絶対避けるべきとされている「多重継承の暴走」に他ならないという訳です。
「平等主義(Equalism)への発展的解消」なる結末を選んだ「政治的」第三世代フェミニズムのSustainability戦略
1990年代、かかる「女性の一人一派的立場」に同情を寄せる振りをして全面否定するマルクス主義的フェミニズムから分離した「政治的」第三世代フェミニズムは、当然この様な形での「母屋の消滅」に際して対消滅の危機に曝されました。そこで採択されたのが「連帯」概念を放棄しての「確率的現実への回帰」という考え方。
「問題の評価軸として「女性VS男性」「富裕層VS貧困層」「白人VS黒人」の三軸を特徴抽出した場合、三軸一斉に意識して上手くいく事前確率は全体の$${\frac{1}{8}}$$、二軸に関心を集中して上手くいく事前確率は$${\frac{3}{8}}$$、むしろ一軸に関心を集中した方が上手くいく事前確率も全体の$${\frac{3}{8}}$$、さらにかかる特徴抽出全部が間違ってる事前確率が$${\frac{1}{8}}$$。そして、かかる全体像に女性問題が関わってくる事前確率は$${\frac{1}{8}+\frac{2}{8}+\frac{1}{8}=\frac{4}{8}=\frac{1}{2}}$$。」
もちろん実際に集計するうちに「一人一派的要望」は全体としての平均情報量を下げつつ、どこが厚くてどこが薄い分布か全体像を明らかにしていく(かくして出現頻度と条件付童子出現率が設定された分布意味論的確率空間が出現し、そのベイズ更新結果に合わせて運動のプライオリティが刻々と変化していく)。
まず(相応期間、相応の準安定状態を保ち得る)市民運動として成立する為に必要な最低限の動員数というのがあるので、それを確保出来るかどうか確かめるのが以下の図でいう「正業の検証」。しかしもちろん正しい動機に基づいて正しい結果が出せる見込みがなければそもそも運動るを始める意味がないので、これを検証するのが以下の図でいう「正見の検証」と「正報の検証」。
上掲の図自体は最近起こしたものですが、2010年台において第三世代フェミニズムが(あくまで政治的最終勝利を目指す)マルクス主義的フェミニズムからの完全決別を果たす為に選んだのは、概ねこういう考え方だったのです。例えばいわゆる「ピンクタックス問題」。
これを解消するアイディアの一つが「ユニセックスなデザインのカミソリの発売」という訳ですが、そのアプローチに市場性がある事を証明するには男性の一部(もちろん男性だって一人一派で「男らしいカミソリ」に執着するタイプもいるし、そうでないタイプもいる)を巻き込んでいくのが最も現実的だったりします。その一方で富裕層女性が特にこの問題に関して興味を持っていなければ「今回は特に巻き込む必要はない」と考えたりもする訳です。そして、本来ならそういう対応を柔軟に即決する為にこそ、シスターフッド(日頃の付き合いを通じての、あらゆる意味合いにおける相互理解)は存在すべきという話…
ラディカル・フェミニストが着手したセクハラ問題がマイケル・クライトン原作映画「ディスクロージャー」肯定を経て「逆セクハラ認定」に至る経緯もこの流れに沿ったものといえましょう。
そう、大事なのは「女も男も一人一派」なる点意識を「どういう市民運動なら成立し得るのか?(動員可能人数が十分でなければ、成立し得ない。動員可能人数が十分なだけでは成立させる意味がない)」なる個別の面意識へと発展的に解消していく現実主義的姿勢であり、この話が理解出来るかどうかが「(最終的に平等主義に到達した)第三世代フェミニズム」と「(いつまでも迷子の様にスタート値てウロウロしているだけの)似非フェミニズム」との峻別点になってくる訳です。そんな感じで以下続報…