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【第三世代フェミニストの弾薬庫】「第二世代フェミニズム」はどうやって始まったのか?
これについて書くのをすっかり失念してました。「第二世代フェミニズム」を始めた代表的人物として名前が上がるのはベティ・フリーダン(Betty Friedan,1921年~2006年)で、彼女が立ち上がった当時、白人中産階層の女性が置かれていた状況は映画「モナリザ・スマイル(2003年)」に描かれた通りだった様です。
ベティ・フリーダン(Betty Friedan)は、1960年代のアメリカで「第二波フェミニズム」として知られるウーマンリブ運動の先駆者として広く認識されています。彼女の著書『The Feminine Mystique』(1963年)は、当時の社会で広まっていた家庭中心の女性像に対する批判を強調し、多くの女性に共感を呼び起こし、フェミニズム運動の新たな波を起こしました。彼女の活動や運動の特徴、そして限界について以下に説明します。
1. ウーマンリブ運動の特徴
ウーマンリブ運動(Women’s Liberation Movement、女性解放運動)は、1960年代から1970年代にかけてアメリカを中心に展開された運動で、女性の社会的、経済的、政治的平等を目指しました。この運動の特徴には以下のような点が挙げられます。
1.1. 家庭の枠組みからの解放
ベティ・フリーダンの『The Feminine Mystique』では、特に当時の「理想的な」女性像—すなわち、家事と育児に従事する専業主婦としての女性—に対する批判がなされています。彼女はこの状態を「名前のない問題(the problem that has no name)」と呼び、多くの女性が感じていた満たされない気持ちや、自己実現への欲求を社会的に抑圧されていると論じました。運動は、女性が教育を受け、キャリアを追求する権利を主張し、家庭の外での自己実現を強調しました。
1.2. 労働市場における平等
ウーマンリブ運動の重要な目的の一つは、労働市場での女性の地位向上でした。運動は、女性に対する雇用機会の制限や賃金格差を批判し、男女平等な雇用条件を求めました。この運動の結果として、1960年代末には「Equal Pay Act(男女賃金平等法)」や「Title VII of the Civil Rights Act(市民権法第7編)」などが施行され、雇用における性差別が法律で禁止されるようになりました。
1.3. リプロダクティブ・ライツ(生殖の権利)
運動は、女性が自分の体に対して自己決定権を持つべきだという主張も強く掲げました。これは、避妊の自由や中絶の権利を求めるもので、特に1973年の「ロー対ウェイド判決(Roe v. Wade)」において、女性の中絶の権利が認められたことは、この運動の大きな成果の一つです。
1.4. 政治的影響
ベティ・フリーダンは、1966年に「全米女性機構(National Organization for Women, NOW)」を設立しました。この組織は、法的および政治的手段を通じて女性の権利拡張を求めることを目的とし、フェミニズム運動の主要な団体となりました。NOWは、法改正、訴訟、デモ活動などを通じて、女性の権利拡大を推進しました。
2. ウーマンリブ運動の限界
一方で、ウーマンリブ運動にはいくつかの限界も指摘されています。
2.1. 中産階級白人女性中心の運動
ベティ・フリーダンを含む初期のウーマンリブ運動は、主に中産階級の白人女性の視点に基づいていました。そのため、貧困層や有色人種の女性の問題が十分に取り上げられなかったという批判があります。例えば、黒人女性やラテン系女性は、人種差別や経済的搾取に直面しており、彼女たちの置かれている現実は中産階級の白人女性とは異なるものでした。これに対して、アフリカ系アメリカ人のフェミニストは、「インターセクショナリティ(intersectionality)」という概念を強調し、性差別、人種差別、階級差別が複合的に女性の人生に影響を与えることを指摘しました。
2.2. 家庭内労働の問題の軽視
ウーマンリブ運動は、女性が家庭外で働くことに重点を置きましたが、それは一方で家庭内労働の価値を軽視しているという批判を受けました。フェミニストの中には、育児や家事といった労働が依然として女性に重くのしかかっている現実を無視しているという指摘もありました。また、家庭内労働に対する適切な評価やサポートの必要性が運動の中で十分に論じられていないという点も限界として挙げられます。
2.3. 性別の二元論に基づくアプローチ
フリーダンの時代のウーマンリブ運動は、主に男性と女性という性別の二元論に基づいていましたが、後のフェミニズム運動では、性別の多様性や性のスペクトラムについての理解が広がっていきました。特に、トランスジェンダーやノンバイナリーの人々の権利に関する問題は、当初のウーマンリブ運動ではあまり議論されていなかったため、これも限界の一つとして指摘されています。
3. ベティ・フリーダン自身の限界
ベティ・フリーダン自身も、フェミニズム運動において一定の限界を持っていた人物として批判されることがあります。彼女は、ウーマンリブ運動における急進的なフェミニストや同性愛者に対して批判的な立場を取っていたことで、運動内での多様性の包摂に消極的だったと見なされています。特に、1970年代のラディカルフェミニストたちは、フリーダンの「主流派フェミニズム」を批判し、より包括的な運動を求めました。
まとめ
ベティ・フリーダンが始めたウーマンリブ運動は、女性の社会的、経済的、政治的な平等を目指した重要な運動であり、特に教育と労働市場での機会拡大やリプロダクティブ・ライツの確立に大きな影響を与えました。しかし、その一方で、中産階級の白人女性に焦点を当てすぎていたことや、家庭内労働の問題、性別の多様性への配慮が不十分だったことが限界として指摘されています。これらの限界は、後のフェミニズム運動で修正され、より広範で包括的な運動へと発展していきました。
ベル・フックスらが始めた「ブラック・フェミニズム」運動は、まさにこの状態へのカウンターとして始まった訳ですね。
同時代にはマルクス主義フェミニズムも台頭したとされています。
女性が生産労働から排除されているということを女性差別の最たる象徴として着目し、資本主義において家庭内の仕事にも賃金が与えられるよう要求することに自らの行動主義を捧ぐマルクス主義フェミニストもいる。補償がなされる生産労働を産み出そうという考え方は、シャーロット・パーキンズ・ギルマン (1898) などの著書に書かれている。彼は、女性差別は女性が私的領域に追いやられたことがはじまりであった、と論じた。また、女性の立場は、公的領域において仕事が見つかり、認知され、価値を見いだされれば向上するだろう、とも述べている。
もしかしたら、再生産労働を補償するための取り組みで最も影響力が強かったのは、「家事への賃金を要求する国際運動」であったかもしれない。この運動は、国際フェミニズム団体の団員によって1972年にイタリアで始まった。セルマ・ジェームス、マリアローザ・ダラ・コスタ、ブリジット・ガルティエ、シルビア・フェデリチといった団員の多くは、学術の世界や公共の場に自分たちの声を発信するために様々な書を出版した。 この取り組みは、イタリアで比較的少人数の女性たちによって始まったにも関わらず、「家事への賃金を要求する国際運動」は国際規模で活発化することに成功した。このグループはニューヨークのブルックリンで、フェデリチの力をかり、発足した。ハイジ・ハートマン (1981) の認めるように、これらの運動は最終的には失敗に終わったが、家事の価値とその経済との結びつきについての重要な説を打ち立てた。
マルクス主義フェミニストによって提唱された他の解決策に、再生産労働に縛り付けられた女性を解放する、というものがある。ハイジ・ハートマン (1981) は、家事への賃金を要求する運動などの古くから行われているマルクス主義フェミニストの活動についての自らの論考の中で、それらの運動は、女性の男性に対する関係よりむしろ女性の経済制度に対する関係を問題視し前者は後者の議論の内で説明できるだろうと考えているようだ、と論じている。"ハートマン (1981) は、昔からの学説は女性差別を女性の問題として扱わず代わりに資本主義経済の一部だとしてみなしている、と考える。同様に、人類学の研究や性的サブカルチャーの歴史に加え、サドマゾヒズム、売春、ポルノ、レズビアン文学といった題材についても著書を残してきたゲイル・ルービンは、1975年に自ら出した著書『女たちによる交通――性の『政治経済学』についてのノート』によってはじめて有名になった。この書で彼女は「セックス/ジェンダーシステム」という言葉を造り出し、マルクス主義の基本理念を軽視したり破壊したりすることなく、資本主義下の性差別についての不完全な憶測を主張しているだけだとしてマルクス主義者を批判した。
その後、マルクス主義フェミニストの多くは、女性が生産労働を手にした後に劣悪な環境に追い込まれる可能性が高いという現状に目を向けだした。 ナンシー・フォールブル (1994) は、職場(公的領域)だけでなく再生産(私的)領域でも女性は男性より下の立場にいるという事実にフェミニズム派は着目し始めた、と述べている。2013年に行われたインタビューで、シルビア・フェドリッチはフェミニズム派に対し、女性の多くが今や生産労働をも再生産労働をも強いられ「二重負担」の状況が生まれていることを考慮するよう求めた。 フェドリッチ (2013)は、女性は無償労働から解放されない限り自由を手にすることはできないと論じ、またそのためには男女の賃金格差を撤廃し職場に育児設備を設けるといった制度の改革も必要だろう、と述べている。 フェドリッチ (2013) の意見は、セルマ・ジェームス (2012) も同じようなインタビューの中で述べていて、これらの問題は近年の大統領選挙においても触れられている。
「共稼ぎ夫婦も、夫が仕事に専念出来る様に家事と育児を担当する専業主婦もどちらも尊い」なる立場に立つ第三世代フェミニズムはこの話題には微妙な距離を保ってました。むしろ「夫には家事を手伝わせるより全自動食器洗い機を買わせよ」と主張したサイバー・フェミニズム運動の後継なので…
そんな感じで以下続報。