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それは好きじゃないから着たくない

私は、服が本当はもっと好きだった。

不意に思い出したのはまだ幼い頃の事。
私はお姫様の様なレースやふわふわしたスカートが好きな純粋な女の子だったんだ。

お気に入りのスカートは白いレースが内側に何層か重なるように縫われていて、ウエストにぽんぽんがリボン結び出来るように着いている。深い青色のチェック柄だった。

それを着て保育園に行ったある日、なんだか嬉しかったのだろうね。私はとてもウキウキしていた。そんな気持ちを言葉に出来ない私は、ただ楽しくて走り回っていたのかもしれない。

私は小さい頃からこだわりが細かい子供だった様で、着たくない服は絶対に着てくれなかったと母がボヤいていたのを思い出した。

そう、覚えている。
くすみカラーのピンクの長袖。
黒い大きめのボタンが付いていて、赤い小さなタグが付いている。

大人の感覚で今考えれば、大人っぽいデザインでとてもお洒落だと思う。でも、私は子供ながらに好きじゃなかった。ピンクの色味が暗くて嫌だったし、黒いボタンが許せなかった。

まあ、そういうことが沢山あってとても面倒な子供でした。ケロケロケロッピはとても好きだったのだけど、水着の色がカエルみたいな緑なのがすんごく嫌で、私は着替えたくなくて保育園からプールに行くのに置いていかれそうになったのも覚えている。

カエルみたいだもん。やだ!!!!!!!!!着ない!!!!!!!!

そう、口では言わない。
ただ着たくないから着替えない。
大変だっただろうなあ。なんて思う。手をかけさせましたね、ごめんなさい。あなたの娘です。

少し記憶は飛んで。

中学生になった頃には結構太っていたし、小学生時代にも色んな思い込みとトラウマを詰め込みながら根暗に成長していた。

それでも服が好きだったのだと思う。
中学生の頃、よくファッションイラストを描いていた。絵を描く仲間が出来て好きな漫画の絵やオリジナルキャラクターを描いて交換したりもしていたけど、それとは別で、こんな服装可愛いな~なんて考えながら1人で沢山描いた。

それが結構天才的で今なら普通に売ってるようなデザインも描いてたから私天才なのかも~笑
なんて、その証拠も今はないのだけど記憶の中にはあるのです。
レースのプリーツが組み込まれたアシンメトリーデザインのスカートやコートとか、当時はそんなになかったと思うから。

色々描いてた。
ドレス、パンクスタイル、アイドルみたいな衣装、キャンディPOPな感じ。色々。

それは、当時の私は太っていてブサイクで可愛いものなんか似合わないと思い込んでいたから、せめて絵の中だけでも好きな物を具現化していたのだと気付いた。

ある日、当時よく家に来ていたおじさんにその絵を見せたことがあって。

こんなの描いてるだけでは意味ないだろと言われた。詳細は全然覚えていないのだけど、恐らく、それを商品化するためにはどうしたらいいかとか、そういう具体的な事を考えるべきだという事を言いたかったのだと思う。

私は逆上して絵をぐしゃぐしゃにした。

そんなことを言われると思ってなかったからだ。
私はただ可愛いね、凄いねと言われたかっただけだったから。とてもとても悲しかった。

私が楽しくてやってる事は意味の無いことだと言われた気がした。馬鹿にされ、私自身が否定されたと思ったんだ。

思春期の心は複雑だね。
楽しいから描いてるんだと真っ直ぐに言える健康的な心が私にはまだなかったから。
それも仕方のないことだ。

ただ、私なら最初からそんなふうには絶対言わない。でも、彼は器用な人ではなかったし、私を大人として扱っていたのだとも今なら思えるんだ。

私は悪くなかったし、彼のことも許してあげようかな。私はまだこどもだった。だから本当はそんなこと言う前に褒めて欲しかったよ。それだけ。

そんなことを思い出していたら、あれ?なんで私こんなに服買わなくなっちゃったの?…って思う様になった。それは、もっともっと複雑に絡み合った事情があるわけなのだけど、それも少しずつ分かってきた。

結局、私は服が好きなんだな。
丁寧に作られた素敵なものが好きなんだ。
それが本当のこと。

だから戻っていこうと思う。
本来の私へ。



心の中のこどもを思い返してみて、今に繋がることがあるかもしれない。私が自分の記憶を語ることで誰かの気付きにも繋がれば…そんな淡い願いの心をこめて。
読んでくれてありがとう

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