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短歌研究新人賞、受賞できなかったことでスッキリした

いつぞや俵万智さんの「考える短歌」を読んでから、短歌が作れなくなりました。

この本はいい本です。とても興味深く、31音で何をどう表現するかが深く書かれています。ほんの少し言葉を変えただけで劇的に良くなり、「芸術」になる。それがよくわかる本です。

ですが、この本を読んで私は呪いがかかりました。「上手くなければならない」という、私がよくかかってしまう呪いです。

何をやっても「上手くなければ」と思ってしまう

私は何をやるにも「上手さ」を求めてしまい、自分が上手くはなれないことに失望し、楽しめていたことが楽しくなくなっていきます。

ゲームでも、道楽でも、遊びでも。「上手くなければ」と思い始めた途端、苦しくなる。

短歌は最初、作る楽しみだけを感じていたのですが、「いずれ楽しめなくなっていくのだろうなあ」と思っていました。たくさんたくさん作っていったら、きっとまた呪われるだろうと。

それがたくさん作り続けることではなく、この本を読むことでいつもの呪いにかかってしまったのです。

短歌研究新人賞に応募してみた

呪いとは関係なく応募してみようと思っていたこの賞。

楽しんでいるついでに力試しをしてみようと思い、短歌をたくさん作り始めた勢いで送ってみました。

受賞作は短歌研究ツイッターで発表されておりましたが、私ではありませんでした。

これを見たときに、私は特に何も思いませんでした。「ああ、そうだったんだ」と。

自分ではなかったんだなぁ。そりゃそうだよなあ。素人の付け焼き刃だもの。

そう思ったときに、忘れていた「作る楽しさ」がもう一度生まれてきたような気がしました。呪いが解けた感覚です。

私は短歌を上手さを求めて作っていない

短歌は普通「詠む」と表現しますが、私は「作る」と言っています。それは素人作品だから、詠むと言えるほどのものでないと感じるから。

感覚として「作る」が近いのです。言葉を入れ換えたり、合う言葉を探したり……。パーツを組み立てて作り上げるイメージです。

それを私は仕事にしたくない。「歌人」にはなりたくない。そう思っているのだと、短歌研究新人賞の受賞作発表を見たときに改めて感じました。

仕事にはしたくない。下手の横好きでいいし、上手くなくていい。技巧や上手さを求めたくない。

ただ31音を組み立てることが楽しいのだ。

そう思いながらたくさん短歌を作っていた日々が蘇り、また気軽に作っていきたいなあと思い始めました。

応募してよかった、短歌研究新人賞。呪いを解いてくれてありがとう。

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