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「男らしさ」と「女らしさ」は何が由来かを考えた。

先日、ぼくとは逆のパターン……つまりMtFの方と少し話す機会がありました。

そこで印象的だった出来事の一つが、彼女は重いものを持ってくれる男性にときめくという点。

それはぼくには無い感性なのです。

その人との会話で、世の中の人が無意識に「こういう行動や発想は男(女)らしい」「男性(女性)ならこうしてほしい」と考える内容がどこからくるのか、なんとなくイメージができたので書き残しておきます。

女性が持つらしい「男性への期待」をぼくは持っていない

その人は「荷物持とうか」と男性に声をかけられるとキュンとするとのことでした。

ぼくも現状ノンホルノンオペなので、男性にそのように声をかけられることがありますが、ときめいた経験がありません。

「え? 持てるのにな」

ぼくが思うのはそれだけです。

もっとも実際に重かったら助かりますが、特に重くないものを「持とうか」と言われても困惑します。

ぼくが時々参加しているイベントの主催者のにじまゆプロジェクトさんのnoteにも、こんな一文がありました。(このnoteを書こうと思ったきっかけはこの文章です)

“大きな荷物があったときに、男性がいたら運んでくれることを期待してしまったり、(後略)”

女の自分が意識してこなかった「男性の生きづらさ」(2021/9/14追記)より

無意識にそんな期待があるそうなのですが、ぼくはこれも抱いたことがありません。

「運びたい」なら思うんですけどね。

ほよさんはとても気が合う人ですが、こういう「性自認が女性の人らしい感性」に関しては全く理解が及びません。

「男らしい」と言われてみて思ったこと

話は戻って、先日のMtFさんとの話です。その人と話していて、ぼくの「家族を養いたい」という願望の話になったときに「男らしい。甲斐性を感じる」と言われました。

でもぼくは「男ならそうするからそういう願望を持った」のではなく、自然と自発的にそういう願望を抱いていたのです。

先述の「女性から男性への期待」と合わせて考えたときに、ぼくの中に浮かぶ考えがありました。

一部の男性が自然と持っていた価値観、行動基準が「男らしい」というイメージに繋がったのだろう、と。「男として好ましく見えるからそうしよう」と思ったのではなく、あくまで自然とやろうとしたことが「男らしい」と評価されたにすぎないのだろうと思いました。

重いものを率先して持ちたいだとか、その他いろいろ、「男らしい」とされるイメージの内容に沿った価値観と行動基準の人が過去に複数いた。それは誰かに言われたからそうなったのではなく、自然と抱いていたものだった。そういう人たちが「男らしさ」を作ったのだろうと。

「女らしさ」も同様で、「女らしい」とされるイメージの内容を自然と行う女性たちが過去に多数いたからそういうイメージができていったのでしょう。

もちろんイメージができあがるには年月がかかりますし、その間に人々の感性は変わっていくに違いありません。

現代においては「男らしさ」「女らしさ」はナンセンスだという話もありますが、それらの行動を自然と起こす男性/女性が減ってきたのかもしれません。

現在定着しているイメージが変わっていくのにはまた年月がかかるんでしょうね。

まとめ

「男(女)らしさ」はそういう行動を自然と起こす人たちが一定数いたからできたイメージなのだろうと推測した話をしました。

ソースは自分の感覚です。

異論はあるだろうと思いますが、ぼくはこう考えたらすっきりしました。

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