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愛された孫 3-4(私小説)

 帰宅すると鍵が鳴る音を聞いてか、母が玄関まで出てきた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 母が電気をつけたので、玄関は暖色の明かりに包まれた。私は玄関のたたきに荷物を置き、手を洗いに洗面所に向かった。
「千田の家は継がなくていいって」
 母の声が頭の後ろで聞こえた。母が父に向かって言った。とりあえず聞こえなかったフリをして手を洗った。出てきた水はぬるま湯くらいの温度になっていた。母が洗い物でもしていたのだろう。
 手を拭いて玄関に戻った。
「どういうこと?」
 動揺を滲ませまいとしたら声が小さくなってぶっきらぼうな言い方になってしまった。
「さっきおばあちゃんから電話があったの。千花ちゃんの将来を縛っちゃいけないって思ったんだって」
 今まで散々縛ってきたくせに。まず第一にそう思った。次にいざ事が現実化すると怖じ気づいたのかという怒りが沸いてきた。私が七年かけてやっと決心した事を、花江は数時間で無かったことにしようとしている。
 母が父に言うのも気にくわなかった。父は私に言わせたが、母から見たら結局父のプロジェクトなのだ。
 私は感情を隠しながら荷物を取り、リビングに向かった。いつも通り無事帰宅した旨を伝えるために電話の受話器を取る。花江はすぐに電話に出た。
「今日はありがとう。無事着いたよ」
「お母さんにも言ったんだけどね」
 聞いたよ、と思いながら花江の言葉を待った。
「千花ちゃんの未来を縛っちゃいけないと思って。千花ちゃんはこれから好きな仕事をして、好きな人と結婚していいんだよ。行きたければ海外に住んだっていいし」
 話の飛躍ぶりに花江の老いを感じた。これからの話もいいけど、無駄に悩んだ七年間を返してくれよ。私がもっと早く返事をすればよかったのか。自分で考えず、拒否する勇気も無く、日々を過ごした私が悪いのか。最後は裏切る予定もあったが父の意図、花江の意図を汲もうとしたのに。
 おかげ様で自分の判断に自信が持てない。
 七年、七年と声高に叫ぶが恩着せがましいのではないか。頭の中の世間が私を嘲りなじる。結局自己責任ですね、すみません。私は不貞腐れながら頭の中の誰かに謝った。
「そっか。分かった。じゃあ千田にはならないね」
「うん。そうして」
 決意に嫌味をまぶして言った一言も、老いた花江には言葉通りにしか届かなかった。
 父に電話を変わり、私と姉の部屋に向かった。言質は取った、言質は取った、頭の中で繰り返しながら階段を踏みしめた。もう二度と花江の言うことに振り回されるものか。
 この時花江に怒ることと、花江を拒否することをやっと自分に許すことが出来た。 

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