ある推しと、透明化されるスパッツという名の防衛機構と、非実在青少年の尊厳
私には私と誕生日が同じ推しがいる。
今年もそのキャラクターの誕生日(=私の誕生日)が近いてきて、ふと思い出すことがあった。
※内容から私の推しを特定できる方もいらっしゃると思うが、ここからの内容は少しセンシティブというか、そんな感じなので、もし私の推しが誰か気付いたとしても、心の内にそっと秘めておいて欲しい
その推しが住んでいる作品(推しが登場する作品、という方が一般的に適切なのだろうが、それはなんだか、推しがただの役というか、推しの実在性が損なわれる表現に思われて悔しい)のファンブックか何かで、読者からの質問に作者が答えるコーナーがあった。
そしてそこには、ある一つの質問が載せられていた。
詳しい文言は覚えていないが、確かこんな質問だった。
そしてそれに対する作者のアンサーはシンプルで
と言ったものだった。
私がこのやり取りをはじめて見た時の記憶は、もう思い出せない。
他の、作品世界の謎に迫るような、読者の興味を引く質問にかき消され、多分その時は特段印象に残っていなかったのだろう。
私がこの、一見すると他愛もない質問とその回答を思い出したのは、「新しい学校のリーダーズ」のインタビューか何かを読んだ時だった。
今更改めて説明するのも何だが、新しい学校のリーダーズはあの「オトナブルー」を見ても分かる通り、制服を着て奇抜なダンスを行うアーティスト集団である。
そして彼女らはその振り付け中に時折、スカートをめくったり、たくしあげるような動作をする事があるのだが、その是非について本人達は
「スカートの中が見えようと下にスパッツを履いているんだから別にいいだろう」
的なことを述べていた。彼女らの主張の是非についてここではこれ以上掘り下げて議論はしない。
とにかくこれを見た時、私は何となく「スパッツ」と言う言葉を久しぶりに聞いた或いは見たような気がした。
そして、セーラー服を着た彼女らが「スパッツ」を履いているという事実に驚いた自分に驚いた。
自分自身、スカートを履く時はいつもスパッツを履いているし、自分が中高生の時分だって、毎日履いていた。
しかし何故か、ステージ衣装というフィクションとしての制服は、その「スパッツ」と結びつかなかったのだ。
この「スパッツ」という存在は、制服を着た女性表象(二次元、三次元問わず)の世界においては、必ずと言っていいほど無視される。
漫画であれアニメであれ映画であれ、フィクションの女性はスパッツを履かない。履くことを許されない。
風にたなびくスカートを一生懸命手で抑える前に、スパッツを履けばいいのに、それをしない。作者が禁じている。おそらくは読者を喜ばせるために。
そして自分の身を守る手段を封じられた、スカートを履いた(主に)女性達は、作者が故意に起こす「ハプニング」の度に、否応なしに
他の登場人物や、読者の性的な視線に晒される。
この問を応募した人は、何を思っていたのだろうか?
〇〇への心配が、この質問を応募させたのだろうか?
それとも、ある種のスケベ心からの質問だったのだろうか?
〇〇推しの人間としては、前者であって欲しいが、しかしこんな事は、指摘さえしなければ誰も気づかないはずなので、何となく、実際は後者な気がする。
この質問に答えた作者の意図も、よく考えると不思議だ。
その作品はかなり健全というか、少なくとも作中では性的な要素が全く見当たらないような話だったから、上の質問は、つまらないセクハラとして無視して即シュレッダー行きでも良かったはずだ。それにもかかわらず、わざわざ紙面を割いてこの問に決着をつけることを、作者は選んだ。
また、もう一つの可能性として、推しが存在する世界はまあまあ昔の作品でもあるので、当時の普通の作者ならばここで、
「もしかしたら見えてしまうかもしれませんねえ」
なんて言って、読者の欲望を満たすためのささやかなサービスとしてヤラシイ可能性を付与していたとしても、あまりおかしくはない。そんな時代だった。
しかし、実際には、私の知る限りでは初めて(!)作者は
二次元世界にスパッツを送り込み、〇〇にその着用を許す事で不当に性的な視線から、〇〇を永久に守る事を選択したのだ。
作者は〇〇を読者の欲望を満たすための商品では無く、一人の守られるべき児童として扱った。
そう考えると、作者はかなり特異な答えを返していた事になる。
思考は一旦二次元を離れ、推しを生み出した作者へと向かう。
作者は多分、この質問が来るまで、推しの下着が見えてしまう危険性を考えたことは無かったと思う。推しのスパッツなんて、作中で見えた事ないし。(勿論下着も)
だから、この、「○○が好きなように振舞うことで○○自身が他者に勝手に性的な視線に晒される危険」については、質問が来てから初めて考えたのだと思う。
ここで少し、作者の性別が問題となる。
もし作者が女性なら、スパッツという存在を認識している可能性が極めて高い為、「スパッツを履く」という選択肢を知っているうえで、それを〇〇に与えるかどうかを考えられる。
しかし、その作品の作者は男性だった。彼は、この質問が来る以前から「スパッツ」を知っていたのだろうか?
これは完全に私の妄想だが、もしかすると作者は質問に対して、キャラの尊厳を守る手段を考える中で、「スパッツ」という装置に出会ったのではないか。
そして作者がその気づきを得た瞬間、彼の作った、推しの住む世界にはスパッツが生まれ、その世界中の人々は不当な「まなざし」から解放されたのかもしれない。
私はフィクションを愛している。だからこそ、いまだに多くの作品とその作者が、キャラクターにスパッツを履くという自己防衛を禁止し、彼らを不合理に辱め続けていることを残念に思う。
確かにフィクションは本質的にキャラの人権を犠牲に、三次元に住む我々を喜ばせる娯楽である。
だとしても自分はなるべく、キャラクターの尊厳を守ろうと努力する作者の作品が読みたい。
現実世界(という言い方もあまり好きではないが)への悪影響が気になるということもあるが、それよりも何よりも、
その姿勢はキャラクターの実存を信じる気持ちに繋がっていると思うから。