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アメリカ現地校の不思議な先生から習った、一生忘れない英語の使い方
渡米してすぐに出会った算数の先生
アメリカの現地校に不思議な算数の先生がいました。結構お年を召されていたのか、髪はほとんどありませんでした。また、目がとても悪いのか、ハリーポッターのハリーがしているような眼鏡のとても分厚い版をかけていて、お話をするときには先生の目が眼鏡いっぱいに拡大されている、という…今でも思い出してしまうほど、見た目からキャラの濃い先生でした。
彼の謎行動といえば、休み時間になると生徒からペットボトルを集め、それらを学校の外の大きなビニール袋に集め、定期的に車に積んで、持ち帰っていました。後から聞いた話によると、これらの缶を寄附してお金を貰っていたそうです。学校として行う活動をボランティアで先生がしていたのか、もしくはお小遣い稼ぎのためという噂もあり、今でも謎です。先生をしながら副業として(?)ちょっと社会貢献をしながらお金を稼ごうと思っていたのでしょうか。ペットボトルを寄附していたのは私たちになりますが…それでも、先生が良い生活を送り、私たちに授業をしてくれていると考えると結果よしとしましょう(笑)。
そんな不思議な先生が、算数の授業中に必ず生徒に教えていた英語の使い方があります。
1.文の最後の語尾を上げない。
日本語でも似たようなものがあると思いますが、アメリカでは、文章の最後の言葉のトーンをあげる癖のある人がいます。子どもでは特に多い気がしますが、大人でも時々語尾を上げる人に出会うことがあります。
下記のように、文章の最後の語尾を上げると、本来は疑問文ではない文章が疑問文(?)のように聞こえてしまい、自信のないように聞こえます。この場合はBidenの最後のトーンを少し上げると想像してください(↗)。
先生:"Who is the President of the United States?"
生徒:"It's Joe Biden↗. (?)" ⇒疑問文・自信がないように聞こえる。
このように、子どもが語尾を上げるのは、おそらくクラスルームから始まるのではないでしょうか。先生が質問を投げかけたときに、答えに自信がない時、「こうじゃないの?」という含みを持つ少し高めのトーンが最後に現れます。でも実は、最後のトーンを下げて話す(言い切る)と自信があるように聞こえるので、賢く聞こえるようになるんです!
先生:"Who is the President of the United States?"
生徒:"It's Joe Biden." ⇒自信があるように聞こえる。
私も英語を喋り始めたとき、友達の影響もあり、最後が上がってしまう時期がありました。そうすると、先生は「もう一回言い直してごらん」と言うのです。「今のトーン、おかしかったよね?↗」と。先生は欠かさず、直してくるので、自然と生徒も言葉遣いが身に付きました。毎回直されるのが嫌になるからです。
私は何度も直され繰り返すうちに、もう発言してしまっているし(答えが間違っていてももう遅い)、とりあえず賢く聞こえるなら、語尾を上げずに下げる勇気を持てばいいんだ!と気づいた時がありました(笑)
お陰様で大人になっても、その感覚を忘れずに意識するようにしています。
2.Can Iではなく、May Iを使う。
突然ですが、アメリカでは授業中にトイレへ立つことができます。誰でもいつでも自由に手を挙げ「お手洗いに行ってもよいですか?」と聞きます。
そんな時、"Can I go to the bathroom?"と言う生徒に対し、先生はいつも"May I~でしょ?"と訂正をしていました。"Yes, you CAN! So…?"という感じで言い直すように促されます。これは、「あなたはトイレはできるんだから、それで…何?」=つまり=「Canは可能という意味だから、あなたがトイレに行ける(=Can I)のは当たり前でしょう。May Iは~してもよいでしょうか?という意味なので、Mayを使いなさい。」ということです。※
※日本ではCanの代わりに、より丁寧なCouldばかり習うと思いますが、アメリカ人の日常会話(特に子ども)はCanばかり…ということは注釈として付けておきます。
ところでアメリカでは、授業中にトイレへ行くことに関して、誰もそれを恥ずかしいなんて思わず、また馬鹿にすることもありません。頻繁に手を挙げたとしても馬鹿にすることはありません。「まぁ、あるよね。」ぐらいで、馬鹿にする生徒がいれば、先生がきちんと注意してくれます。
日本はどうでしょうか。私が学生の頃、特に小学生の頃は手を挙げる人を見たことがありません。高校生の時は、手を挙げる人は少数でした。手を挙げることは恥ずかしい、と思う人が多かったと思いますし、授業中にトイレに行くこと自体が「当たり前(=普通)」ではなかったんだと思います。(中学校はアメリカで過ごしたのでわかりません。)
トイレは、人間が人間として生きるために必要なもの。私はアメリカのこういったところがとても大好きなのですが、当たり前の習慣にすれば、誰も恥ずかしいだなんて思いません。何も間違っていないことであれば、「普通」の光景にしていけば良いんです。
いかがでしたか?
先生は、教え子全員が大人になっても恥ずかしくない英語の使い方を今のうちに身に付けてほしい、と、この2つを徹底して教えていたそうです。先生の気持ちは私に届き、日本に帰国後、英語をしばらく話しませんでしたが、再びアメリカに戻るとそれらが思い出され、気を付けて生活をしています。そのおかげで、ビジネスでも、日常生活の中でも、自信を持って話すことができています。私は生涯、この教えを忘れることはないでしょう。
今まさに英語を勉強中の方や、これから勉強したい方、また今までも英語を喋ってきたけど意識していなかった方を含め、今日から是非、意識をしてみてください。
ちょっとしたことですが、私のように、いずれ、大きな変化を感じるかもしれません!
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