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医者からも普通だと言われるムスメの遍歴②


嘘がバレた時のムスメの態度

明日から大学2年の夏休みという日の夜でした。あとはお風呂に入って寝るだけという時、ふとした会話の流れから、ムスメが大学に行っていないことがわかったのです。正確には大学には行ってはいたけど、授業に出ていなかった。

たた腑に落ちないのは、その時の彼女の態度。

なぜか太々しかったのです。まるで、大学に行っていなくて何が悪いと開き直っているようで、余計に腹が立ったのを覚えています。

授業を受けていなかった大学は、彼女の希望に合った感じの大学だったし、本人の希望でした。 サポート校(通学型の通信高校)のサポートをフル活用。彼女ひとりでは難しい手続き等いろいろをサポート、親子並走して入った大学でした。

入学時は、既にコロナ禍で、週に2、3日の登校でした。この大学は、コロナ後も引き続き対面授業が少ないままで、結果ムスメの不規則な生活が定着しているのは気にしていましたが…

私からしたら、登校日にはお弁当を作って持たせ、帰宅後も私が仕事で疲れていても出来るだけ彼女の話を聞き、大学生活がうまく行っていることを共に喜んでいた訳ですから、そりゃあ寝耳に水でした。

しかも1年の時からと言いますから、嘘をつかれていた期間が長すぎて、私の頭の中はパニック。動揺しながらも話し合おうとしてるのに、このムスメの態度は謎過ぎでした。

ムスメは人から注意や指摘されるのが、何より苦手というより、嫌いな(つまり自分の否を認めず屁理屈で言い返してくるタイプ)完璧主義者ですから、やはりここでも嘘をついていたことを素直に認めず(嘘はついていないと言い出す始末。つまり、嘘をついている自覚がゼロ)、人の話も聞かず(自分の非を認めたくない)、挙句の果てに、悪いのはは大学の講師だと責任転嫁し(因果関係がよく分からないので、自分をよく棚に上げる)、とにかく終始憎たらしいものの言い方をしてくるのです。いつもと言ったらいつもの事ですが、まともな会話ができませんでした。

『まずは、その態度を正そうか』と腐った根性を正さなきゃいけないところから始めなければいけませんでした。(誤解しているところを探し、ムスメの態度は私にはこう見えていて、こういう気持ちにさせるなどを言語化するなど)

なので、本題に入るまでかなりの時間が掛かり、結局、朝の3時4時頃まで話しは続き、その後ベッドに入りましたがほとんど眠れませんでした。

今思い返しても疲れる作業ですが、これが我が家の日常で、将来のことを考えたらやらねばならない話し合い作業なのでした。ただこんな毎日を繰り返していると、私もストレスで体調を崩すことになるので、息抜きはかなり意識して取るよう心がけています。

正直、心底疲れるこの作業。
けれど、口論になることを嫌って放っておくと、
彼女は間違いなくとんでもない事をしでかし、
物事を見事に180度勘違いし、
最終的には、周りの人(90%くらい私)を恨み出します
から、それを回避する為、頑張っています。

定型発達なら『経験から学び、自分で考ること』が一人でできるはずですが、ムスメは通訳者のようなガイドがいないといろいろなことが出来ないのだと思います。これは甘やかしとかではなく、彼女が成長する上で必要な工程なのだろうと思います。

とは言っても、それがそう簡単ではないのが、グレーの人の難しいところで、

彼女がやっている行動を言語化して、それはこういう意味で、他の人はそれをこう感じる的な事を教えるのはいいのですが、

その相手は、自分は100%正しいと思って譲らない頑ななASDですから、もちろん聞く耳もなく、注意は攻撃だと思って逆ギレしてきますから、必要なこととはいえ、ただただ難儀でしかないですから、時には放置することも必要と、自分を守っています。

失敗しないと分からない、は同じだけど


彼女が通っていた大学は親への連絡がまったくと言っていいほどない大学でした。後から昔のママ友から聞いて分かったのですが、多くの大学は親にもいろいろ連絡をくれるそうです。私はアメリカの大学で、アメリカは生徒の成績や単位の事で親と繋がることはないので、不思議に思わなかったのも癌だったのですが。

私も自分の仕事やほとんど全ての家事をひとりでしないといけない訳ですから、いい加減自分の事は自分でやって欲しいと任せ過ぎたように思います。

これは昨年のことを思い出して書いているのですが、この事件で良かったと思えるのは、

ムスメはある意味、人に助けを求めるどころか、自分が出来ない事を人に知られるくらいなら、嘘をついてでも隠し通す、筋金入りの特性を持っていることが、本人含め明らかになったことでした。

彼女は、失敗体験がトラウマ化しやすい上、外見上普通にしか見えないので、周りから出来ないことを見過ごされて育ってきてしまったということです。

発達障害に対して素人の親だけが支援しなければいけない現実


そもそも日本では、普通にしか見えないグレーの子供たちには、困難を抱えていたとしても、ほとんどの場合、なんの支援もありません。

それどころかそれによって多くの叱責を受けて育ってしまいます。普通に見えるグレーだと、本人も分からないまま普通を装うしかなく、それが限界になると不登校なり何なりとなり、挫折を経験するのです。

それが現実ですから、それを知っている私としては、出来るだけ成功体験を積ませようと、必要と思われる支援と環境を整えてきたつもりでしたが、親ひとりでは限界があります。

周りから「過剰に子供を甘やかすバカな親」という視線を何度も浴びてきましたが、他からどう言われようと必要なサポートだと気にしないようにしてきましたが、今回のことで分かったのは、特性を持つ子供も定型発達の子供と同じで

「失敗してみないことには、分からない」

のは同じだということです。

勿論、発達の場合、どこまで支援すればいいのかが常に難しく、毎回迷いながらやってきましたが、やはりここまで大きくやらかさないとダメなのかと実感しました。

お陰で、お金と時間は大分無駄にしましたが、これも必要な失敗だったのだと思うようにしています。本当に恐ろしい程、時間、掛かります。

初めて合理的配慮を求める


話を元に戻しますが、ムスメがやっと落ち着いて話せるようになって分かったのは、思っていた以上にヒアリングが弱いということでした。

もともとWISK(ウィスク)の検査で、彼女は視覚優位で聴覚情報処理にかなり困難があることは分かっていましたが、それまで学校生活を問題なく通過出来ていたので、よくは分かっていませんでした。

大学の授業で先生が言っていることが理解できない」と言うので、
「じゃあ、今までどうやって授業を受けてきたの?」と私の疑問が尽きなくなりましたが、要は今までも分かっていなかったけど、その時々のいろいろ(例えば教科書でいえば、次にやるところが予め分かっていたなど)、他のことでカバーしていたようでした。

ただ大学の授業は(学科にもよりますが)、それまでとは違い、自分の力だけではカバーしきれなかったようでした。

彼女の専攻系のクラスは少人数だったので、安心していたのですが、少人数だろうがなんだろうが、そもそも彼女は一斉指示を一度で理解するのが難しかったらしく、おまけに大学の授業は、生徒が毎回入れ替わり立ち替わり違うので、(特に知らない人に)自分から声をかけるのが苦手なムスメは聞けず、勿論先生にも聞けないので、どんどん取り残されていったそうです。

それが分かった時点で、なぜ始めに困った時は行くようにと言っていたスクールアシスト室に行かなかったのかと聞くと、この期に及んでも

「そんなところに自分が行くのが嫌だった。自分でなんとかできると思ってた」

と言いますから、やはり

メタ認知(自覚)のためにも、行き着くところまで行くしかなかった

のだと思います。

彼女の現実が分かった翌日、私が大学のアシスト室にすぐ電話をし事情を話すと、とても協力的に対応してもらえたのですが、本来あった大学のサポートシステムを知ることとなり、悔やまれました。

例えば、ムスメの2年の春学期の担任教授が、実はそういう生徒のサポートに一番手厚い先生で有名だったとか、秋学期からの担任はあまり詳しい先生ではないから多くは望めないかもしれないなどなどなど、当たり前ですが、もっと早く行っていたら傷は浅かったと思われることだらけでした。

そんな中でも、単位はこれから頑張れば、まだ間に合うから大丈夫!と励まされ、夏休み中も少しでも追いつけるようにと、手厚いサポートで有名な先生が夏休みに補習に参加することを提案してくれたり、好意的に動いてもらえたのは救いでした。

ただ合理的配慮には、発達障害の診断書が必要だということで、うちの場合、そこが一苦労でした。理由は、もう医療とは繋がっていなかったから。診断は小6の時で、医療と繋がっていたのは精神状態が落ち着く高校入学まででした。

当時通っていた病院に問い合わせると、最終診察から1年以上経つと診断書は書けない(病院によって違うかもしれないので、確認が必要)ので、他の医療機関への引き継ぎの書類なら、まだカルテがあるのでギリギリ書けると言われ、とにかくそれを送ってもらうようお願い。(2、3週間かかると言われ、本当にそれくらい掛かりました)

そして、今度はその書類を持って、一番近くの精神科(精神科を名乗っているだけの発達障害のことをほとんど知らないクリニック。先生も週1しか来ないアルバイトみたいな若い医者)のところへ行き(通うわけではないので、正直どこでも良かった)、事情を話して診断書を書いてもらい、1万円近く取られましたが、必要提出書類と合わせて、なんとか秋学期に間に合う感じで提出できたのでした。

この続きはすみません。まだ先になりそうです。


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